東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
旧ダイアリー保管用→ 〔ものかきの倉庫〕
特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)
HP→〔ものかきの荒野〕   Twitter→〔Twitter/gms02〕

2/7付けレス

 本日は、戦隊ブルーの系譜を雑に振り返ってみました。資料がちょっと足りていないのですが、こういう、とりあえず並べるだけ並べてみて、なんか見えるような見えないようなとするのは割と好きなもので、一通りやりたい予定。

赤い仮面のV3

◆ヘイスタックさん
 >「”信じない事”を”信じる”」というギャグ……だったのか?とは思うのですが
メンバーもそれに全乗っかりしてしまうので、一歩間違えると酷い暴言になっているような……? と、受け止め方の悩ましいやり取りでしたね。
 >「明らかに論理が破綻している事を無理矢理勇気認定して力業で雑に勝利する」というのは物凄くマジレンジャーっぽくはあるんですが(笑)
急な「勇気」の持ち出し方とか、若干の意識が見えましたが、過去戦隊とダイレクトに絡む『ゴーカイ』だと、これやっても先行作品オマージュとして成立しない事もなかったのですが、間接的な利用にとどまる今作だと“劇中に存在しない前提”を持ち込んでしまうという点で、悪い意味で《ウルトラ》近作ぽい印象も出てしまいました。
 >ラストバトルで急にマジーヌが活躍してキャラソン流れたからはいキャラ回扱い
とにかくキャラソンを幾つか流す縛りがあって、無理矢理な組み立てになったのですかね……そう思いたい出来で。

◆ヒュウガ・クロサキさん
 >このHNで投稿するのは初めてですが、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
 >本人自身は私的動機10で動く復讐鬼型なのに、表向き公的動機10で動く完璧超人型だと思い込んでいる
 >(=周囲の登場人物にも視聴者にもそう思わせている)ところですよね。
やはりこの「思い込んでいる(そう思わせている)」構造と、なぜ竜はそう思い込まなくてはいけないかの理由付け(一種の自己防衛の為)の説得力が、『ジェットマン』の悪辣にして巧妙なところですよね。
 >この2作は極限までヒーロー性という表向きの仮面を取っ払った上で「人間性」の観点からヒーローの本質を描いたというべきか。
『ジェット』から『ダイレン』、そして『カー』『メガ』と、“未成熟なヒーロー”に焦点を当てる事で、80年代に構築してきたヒーロー像を捉え直そう、というのが90年代の大きな流れとしてあったのでしょうね。
 >ヒュウガが公10の完璧超人型、ブルブラックが私10の復讐鬼型という綺麗な色分けになっているのが見事です。
ギンガマン』はやはり、物語における黒騎士の当てはめ方が、絶妙でしたよねー。近作とはちょっと意味づけが違うとはいえ、追加戦士枠の使い方としては、シリーズ屈指だなと。
 >走先生は獣医という設定もあったのでしょうけど、どちらかといえばゴーレッド/巽マトイの系譜かもしれません。
成る程、「個人の性格」と「職業的な判断力」が混ざり合っている感じですね。
 >(つまり自主的な決断をする場面がそもそもない)のが総受けに思わせているのかもしれません。
確かに竜也は未来人にぐいぐい自分からかかわっていく能動的主人公だったのに対して、殿は使命に忠実に行動し、そこに家臣が集まってくる点で、受動的主人公の面がありますね。
 >彼も分類するなら公5私5のタイプかもしれませんね、その意味では大和先生らの系譜とあまり変わらないというか。
『ゼンカイ』自体、『ジュウオウ』の先めいた世界観でスタートしているので、そう考えると確かに、同じライン上で捉えた方が介人はわかりやすいかもですね。
 >私10の熱血漢と公10の熱血漢
キャラの性質に、戦隊の背景としての公私の区分を加えて考慮するのは、また面白そうですね。