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君にも聞こえる筈さ

超獣戦隊ライブマン』感想・第21-22話

◆第21話「豪よ聞け!母の声を…」◆ (監督:東條昭平 脚本:曽田博久)
 ナレーション「オブラーは、ライブマンに挑戦状を叩きつけた! 遂に、オブラーと決着をつけなければならない時が来たのである!」
 アカデミア時代の豪の写真を手にする母親の悲痛な表情を挟みながら、いよいよ激突の迫るライブマンとドクターオブラー。だがライブマンとの決戦の場に向かおうとするオブラーをアシュラが拉致し、ケンプ・マゼンダ・アシュラの手によって、その生命エネルギーからオブラーと瓜二つの頭脳獣・オブラーヅノーが生み出される。
 「計算通りだわ」
 「ああ。ライブマンはあいつを本物のオブラーと思い込み、戦うことができない」
 「ライブマンが戦い疲れた所で、俺たちが一気に……」
 豪の母親の事を思うあまり、オブラーを「豪」と呼び、まともに戦う事のできないライブマンは、オブラーヅノーの攻撃を一方的に受ける事に。
 「ビアス様、宇宙人ごときの力を借りずとも、我ら地球人の天才が力を合わせれば、ライブマンなど敵ではありません!」
 一人より二人がいいさ二人より三人がいいのです!
 「ふふふ、ライバル出現の効果が早速現れたというわけだ。こうでなければならん」
 力も夢もそして勇気もそれだけ強くでかくなるのですね!
 だがそこに、出し殻になって死んだと思われ放置されていた本物のオブラーがしぶとく登場。
 「俺が、あれぐらいのことでくたばると思っているのか! 真の天才、ドクター・オブラーの力を見せてやる!」
 しかし、そんなオブラーの事を、かつての同輩たちは嘲り笑う。
 「はっ、笑わせるな! 天才とは俺たちのこと。貴様なんか天才の内にはいるものか!」
 「ボルトに入った時のこと、思い出させてあげましょうか」
 「やめろ! やめてくれ!」
 悲痛な叫び虚しく、ケンプとマゼンダは、アカデミア時代にビアス様から送られてきた、真の天才を証明する為の暗号テストを尾村は受け取ってさえいない事を暴露し、当初より同じ3天才とされつつも月形と仙田に対するコンプレックスを感じさせた尾村ですが、退場の都合もあってか、公式に格下と決定。
 「おまえはお情けで入れてもらったのだ」
 「でも所詮、私たちとは才能が違ったのよ。おまえが幾ら頑張っても、私たちには及ばないのよ!」
 「黙れ、黙れ! ドクターオブラーは、絶対に貴様等には負けん! ライブマンは、俺が倒す!」
 オブラーの「一番」「最高」に対する狂気めいた執着が繰り返し描かれ、オブラーとオブラーヅノーに同時に襲いかかられたライブマンは、どちらが本物かわからず大混乱(多分、ちょっとスマートな方)。めぐみと丈が崖から転落し、勇介は追い詰められながらも、本物と信じるオブラーに、母親について語りかけ続ける。
 「お母さんは君を誇りに思い、君だけが生き甲斐だったんだ! 帰るんだ、お母さんのところへ! 君の体は元に戻ったじゃないか豪! 君は人間へ戻れるんだ! ボルトでの果てしない恐ろしい競走なんかやめて、人間の世界に戻るんだ!」
 ビアス様による天才同士の嫉妬とプライドを煽り互いに競い合わせる行為が、平穏を失い競走し続けるだけの世界として「人間の世界」の対比に置かれ、近いスケールでは「学歴社会」や「受験戦争」への社会風刺、遠いスケールでは人類が互いに奪い殺し合う「戦争」が纏う悲劇を射程に入れて、それを、あくまで悪の組織とヒーローの戦いという寓話を通して描き出すのが、ヒーローフィクションとして会心の一刀。
 ここに、ボルトとは如何なる“悪”であり、なぜライブマンは、生けとし生ける全ての命の為に戦うのかが明確な形を取り、これまでの積み重ねをしっかりと繋ぎ合わせて、復讐を越えて“命や人間性を軽んじる世界”に抗おうとするヒーローの姿が煌めきを放つ、曽田先生の見事な切れ味。





――友よ、君たちはなぜ、悪魔に魂を売ったのか?!――



 「お母さん! 豪を助けてやってください!」
 「どうしろとおっしゃるの。……もうあんな子は、私の子供ではありません」
 勇介とオブラーはもつれ合って崖から転落し、弱り切ったオブラーの為に、勇介は豪母の元へと走る。
 「あのオブラーこそあなたの子なんです。あなたは、豪は生まれつきの天才だとおっしゃいましたね。……違います、貴方が作った天才なんです! オブラーを作ったのはあなたなんです!」
 これは強烈。
 前回、勇介たちがだいぶ尾村母に同情的だった事と、オブラーへ対する勇介の説得内容から、2話かけて正負の面が描かれてはいるものの、最終的に“母の愛の全肯定”に着地しないかには一抹の不安があったのですが、豪を救って欲しいという勇介の言葉に合計3回顔を背けた末に、遂にこの一言で振り向くのも、実に劇的。
 そして、命を軽んじ、人間性を蔑ろにし、嫉妬と競走をこそ原理とする世界は、ビアスのような悪魔だけの手で生み出されるわけではなく、誰だってそれに荷担する可能性がある事をえぐり出し、ボルト-オブラー/尾村豪-母親の関係を通して、世相のみならず、それを構成する存在として振り向きざまに見る者をも殴りつけてくる、素晴らしいフットワーク。
 愕然とする尾村母へ向け、勇介は、遊園地や公園ではしゃぎ回っていた勉強ヅノーについて語る。
 「でも、お母さんは豪に勉強ばかりさせていた。毫もいい子だったんでしょう。お母さんの期待に応えようと一生懸命だったんです。……いつも一番でいようと。科学アカデミアでも一番勉強していたのは豪だった。それも貴方の為に」
 オブラーの劣等感や執着は元を辿れば母親によって植え付けられたものである、と第3話からの尾村豪の物語として、きちっと接続。
 「ボルトへ入ってからも頑張り続けたんです」
 は「頑張る」という表現を使っていいのか少々疑問ですが……
 「でも、その為にもうあいつはすり切れようとしてるんです。精神的にも肉体的にももう限界に来てるんです! 助けてやって下さい! あいつにはお母さんの愛が必要なんです!」
 続く「すり切れる」という表現は、尾村の現状を表すのに実に当を得ており、自らが生み出してしまったものに目を逸らさずに向き合う事を勇介が願うのは、非常に格好良く決まりました。
 またここで、オブラーが人間の姿を離れた異形と化している事が「競争社会の生み出した怪物」を映像的にも補強し、要素の使い切りが実に鮮やか。
 「生まれてこのかた一度も味わった事がない本当の親の愛で包んでやってください」
 オブラーには母の愛を語る一方で、母親には歪んだ愛情をはっきりと突きつけ、けっこう酷い事を言っている勇介ですが、今回、ヒーローフィクションの枠内に慎重に収めつつもかなりストレートな表現も用いられており、これを真っ正面からやれるのは、東條監督の胆力といったものも感じるところ。
 また前回今回と、尾村母の好演が全体の説得力を引き上げてくれており、とても素晴らしいキャスティングでした。
 「豪! 許して! 母さんが悪かったわ!! もう天才なんかならなくていいのよ! もう誰とも競走なんかしなくていい! 一番になれなんて言わないから!」
 勇介と共にオブラーの横たわる浜辺へ向かった母は、逃げずに謝罪をし自らの子にかけた呪いを解くが、そこにオブラーヅノーが出現し、尾村母へと凶刃を向ける。
 ケンプ達がライブマンを攪乱する為に作り出したオブラーヅノーですが、その出自を考えるとツインヅノーやベンキョウヅノーと同種――素体の分身的存在――ともいえ、ならばそこに宿っているのが尾村豪の怨念だと思えば、尾村母にまっしぐらに斬り掛かっていくのも納得。
 力を振り絞って立ち上がったオブラーは頭脳獣の攻撃から身を挺して母をかばうと最後の力を振り絞って反撃を浴びせ、20余念の呪縛を解かれ、20余念の怨念を自ら受け止め消化した事により、(結果的には)その中身を喪う事に。
 「母さん……人間に戻りたい……!」
 倒れたオブラーは母の胸に抱かれて尾村豪の姿へと戻り、ケンプたちが姿を見せるが、めぐみと丈も復帰して、ライブマン
 尾村豪の精神性が消滅したオブラーヅノーは顔かたちが変化し、ケンプ、飛び道具で、とても久しぶりな気がする見せ場。
 「みんな頑張れ! 豪の為にも勝つんだ!」
 力を振り絞ったライブマンは、3人一斉キック→ファルコンブレイク→ダブルライブラスター→バイモーションバスターの怒濤の攻勢でオブラーヅノーを撃破し、巨大戦ではその武器を奪って投げつけてから、超獣剣でフィニッシュ。
 そして――……母に肩を借りて歩く尾村豪、その瞳は、何も映していなかった。
 「この子は精神も肉体も、もう完全にすり切れてしまったんです」
 一命こそ取り留めたものの、豪の精神は崩壊しており、遊びたかった気持ち(ベンキョウヅノー)を失い、呪縛によって得たものを失い、秘めた怨念(オブラーヅノー)を失い、微かに残った人の心(母への愛情)が奇跡に還元された時、後には空っぽの器以外の何も残らなかった、のが大変重い。
 「これからはせめてもの罪滅ぼしに、ずーっと一緒に居てやります」
 母親をかばった豪が死亡すると豪母が生きている理由を失いかねないので、豪を生き残らせはした上で、この世にドクターオブラーを作り出した一因である豪母が、オブラーという十字架を廃人となった息子と共に背負っていく形で、ドクターオブラーとして行ってきた悪事への因果応報を調整。
 去りゆく二人だが、不意に足を止めた豪が、花と戯れる蝶の姿を見て微かな笑みを浮かべ、これまで、ドクターオブラーとして踏みにじってきたもの――ライブマンが守ろうとする命――に最後の最後で目を止める、のは『ライブマン』のテーゼを示して美しい着地でした。
 アカデミア島大虐殺などに関わっているので「いつの日か必ず、破壊された心を、取り戻してくれる事を信じ」ていいのかはちょっと疑問ですが、その後の解釈は視聴者に任せる形に……とは、まだ第21話なので言い切れませんが、終盤に尾村豪フェニックス! とかされても台無しな予感しかしないので、このまま退場と思いたいところ。
 3話構成となったオブラー退場編、不安要素もきっちり回避してくれて、因縁の仇敵の一人が舞台を去る一つの山場というのみならず、これまでの『ライブマン』をまとめる、変な表現ですが前半戦最終回とでもいった内容で面白かったです。……なんというかこう、ある点で、『ライブマン』のテーマ性を一つ、幹部の退場と合わせて描き切ったというか。
 難を言えば、尾村と因縁を構築されていた丈ではなく、勇介が説得を全て持っていってしまった事ですが、これまでのまとめゆえに主人公に、という事になったのかと思われ、逆に丈が説得を全て担当して、勇介がその間は消えているとそれはそれで違和感あったような気もしてならず、致し方ない取捨選択であったのかなとは(丈とルイの急接近は、これも見越してだったのかどうだったのか)。
 ケンプの美獣モードもあるとはいえ、初期3天才の中では一人だけ着ぐるみであり、アクセントとしては面白いものの、今作の明確な顔出し(により人間的一面を掘り下げていく)路線からは外れていたオブラーですが、スタッフもそこを気にしていたのか、この3話はしっかりと役者さんを使ってくれて、出番は限られながらも、力の入った熱演で印象的なキャストとなりました。
 その上で、オブラーが異形の怪物――つまりは、鬼――であった意味を、物語として作ってみせたのも、お見事。
 後の某作品を思い出す精神崩壊エンドは、爆死回避も含めて衝撃でしたが、オブラーの退場を通して今作における“悪”が明確に炙り出される構造上、オブラーは究極的な“悪”ではなく被害者の一面を持った存在となり、筋としては納得のいく落としどころに。
 また前作『マスクマン』では、敵幹部の掘り下げ回や大筋を動かしていく回において、巨大戦要員(やられ役怪人)の配置が凄くあからさまかつ雑で作劇の足を引っ張っていたのですが、今回のオブラーヅノーは、ケンプ達の せこい ずる賢い作戦による必然性、オブラー内部にある怨念という物語的意味、最終的にオブラーと一体化して巨大になる可能性を残す、と、如何にも適当にやられて巨大戦の消化に使われます、といった扱いにならない工夫があったのが、技術的に素晴らしかったです。
 前回までの勢いを殺さず綺麗にまとまった上で、
 「ボルトでの果てしない恐ろしい競走なんかやめて、人間の世界に戻るんだ!」
 と
 「オブラーを作ったのはあなたなんです!」
 がクリティカルヒットで、満足のオブラー退場編でした。

◆第22話「宇宙カラオケ名人登場」◆ (監督:長石多可男 脚本:曽田博久)
 突如、地球に珍妙な見た目の宇宙人ブッチー(声は、前作のアナグマスが好演だった神山卓三)がギターラヅノーを伴って姿を現し、悪魔の子守歌によって人々を覚めない眠りに陥らせていく!
 「待て! 怪しい歌を唄っているのは貴様らか!」
 催眠音波に対抗するため外部音声をシャットアウトするライブマンだが、それを逆手に取られて背後からモヒカン兵の奇襲攻撃を受け、アナグマス通り越してゲーター(『電撃戦隊チェンジマン』)を思い出すノリとは裏腹に、作戦が割とえげつない。
 ブッチーパンチを受けて変身解除に追い込まれ、勇介と丈が眠ってしまうライブマン壊滅の危機に乗り込んできて、クーガーバルカンを炸裂させるのは、勿論、我らがコロンさん(笑)
 ほぼほぼ追加戦士ポジションの頼れるサポートロボは勇介と丈を荷台に載せて撤退に成功し、コロンさんマジ半端ねぇ。
 「ふふふふはははは、なかなか面白い奴らだ。その悪魔の歌で、地球を滅ぼしてみよ」
 ヅノーベースでローラースケートを履いて「パラダイス銀河」を始め、面白いポイントで高得点を叩き出したカラオケコンビはビアス様に気に入られ、一人出したら二人も三人も一緒とばかり宇宙天才が追加投入されてしまったのですが、華々しく登場したと思ったらあっという間に存在感が炎天下のソフトクリームと化してしまったギルドスの立場はいったい。
 めぐみが知り合った少女の自作曲が、この子守歌に対抗する波長であると判明する定番の展開になるのですが、なにぶん前回が前回だっただけに、ポップシンガーを目指してコンクール優勝にこだわる少女と、みんなに歌を聴いてもらいたい気持ちの本質を諭すめぐみの間に生じるドラマに、ノリにくいことこの上なし。
 おまけに、東京に憧れ地元を飛び出したい鬱屈とか、今回のコンクールがラストチャンスとか、少女の心情に色々な要素を盛りすぎて、公の正義の為に個人の夢を踏みつけにしかけている(ヒーローが、一般市民にヒーロー的行動を強いている)ような事になったり、メタ的には現役アイドル歌手であった岬めぐみ役の森恵さんの体験などが反映されているのだろうかとか、めぐみボーカルの挿入歌を入れるのが目的なのだろうかとか、もしかするとこの少女が事務所の後輩だったりする丸ごと企画回だったのだろうか、とか色々とノイズが浮かんでしまい、シナリオの出来も含めてどうにも虚心で見づらいエピソードでした。
 砂浜に打ち捨てられていた玩具の赤いピアノを弾く少女、の図は長石監督っぽかったですが。
 少女の曲の力で勇介と丈も目を覚まし、反撃開始したライブマンは突然、3人の個人武器(そもそもライオンがバズーカ形態を見せるのが初めてのような気がしますが……)を合体させたトリプルバズーカで攻撃するが、結局トドメはバイモーションバスター。
 巨大戦では怪音波に苦しむものの、ギターを破壊して超獣剣で勝利を収め、夏の海にめぐみと少女のハーモニーが響くのであった、でつづく。
 EDからは一足早くオブラーが消え(リズムに合わせて初期3天才がポーズを決めるシーンが割と好きだったのですが、前回で見納めとなりました)、アシュラが参加……どころか、ブッチーも普通に居るのですが、こ、このまま居座るの?!
 前回今回とギルドスが一言も喋らないまま、ヅノーベースに露骨なコメディリリーフが投入され、果たしてどうなる『ライブマン』。予告で久々にケンプが美獣を披露してなんとなく活躍する感じなのですが、前回の作品として一つやり切った感といい、色々と不安だ!!