『ウルトラマンガイア』感想・第5話
◆第5話「もう一人の巨人」◆ (監督:原田昌樹 脚本:小中千昭 特技監督:北浦嗣巳)
「純粋に技術的な関心」からLX機(前回乗った機体?)を弄っているのをオペ子B(ジョジー)に見咎められた我夢、口止め料を要求される(笑)
というちょっとコミカルな導入から、コマンダーの呼び出しを受けた我夢は、家族について質問される。
「君の命を私は預かっている。本来居てはならぬ者を、私の権限で認めさせたんだ」
「……ありがとうございます」
話の成り行きの見えない我夢に対し、コマンダーはXIGに参加している事を家族に「ちゃんと話してこい」と命じ、電話で適当に済ませようとする我夢は「ちゃんと顔を見せて話してこい」と叱られ地上行きの輸送便に乗せられる事に。
子供扱いにむくれる我夢ですが、大人を名乗るならば筋を通して周囲の人間に対して大人の責任を果たさなければならない(1-4話を通して描かれている、我夢に明確に欠けている部分)、という規範をコマンダーが自ら示し、我夢と組織の関係性の進展(我夢の学び)が描かれて良かったです。
かくして嫌々ながら実家のある千葉県へと向かう我夢の私服は、ボタニカル柄のアロハシャツだった。
…………い、今まで見てきた特撮ヒーローの私服の中でも、トップクラスの破壊力だよ我夢!!
故郷の砂浜を、周囲の子供と馴染めなかった幼い日を思い出しながらそぞろ歩きするアロハシャツの我夢は、実家の玄関先で入りづらそうにもじもじしていた所、買い物帰りの母親と出会って強引に家の中へ。
今回、監督の特色なのか、実相寺オマージュなのか、キャラの部分的アップや光源を用いた画面の陰影をやけに強調した映像が続くのですが、我夢の故郷では夏の情緒を強調した叙情的なタッチに代わり、どちらもここまでの作風と、テンポが変わりすぎて戸惑い先行。演出に変化を付けるのは面白いですが、今回は一話完結性の弱いエピソードですし、もう少し作品の方向性が落ち着いてからでも良かったような。
心配はしているが必要以上に口は出さない(出せない)という、母親と我夢の微妙な距離感は、天才児であった我夢との接し方、に親の側でも悩みや葛藤があった事を匂わせるのですが、子供っぽいのに大人のつもりである事を疑っていない我夢の、天才ゆえのいびつさ、というのは今後も少しずつ拾ってくれる事を期待。
一方、壁に貼り付けたガイア関連の記事の切り抜きや週刊誌の表紙を鋭い視線で見つめながら、激しい筋トレに励む怪しい男が一人。どうやら20年前にも存在していた黒い粘着さんは、千葉県沿岸に怪獣上陸のニュースをキャッチして、ニヤリと笑う。
「母さん! ……僕さ……この街って、あんまし好きじゃなかった。でも、今は凄く帰ってきて良かったって思ってる!」
自分の守るものを具体的に見つめ直した我夢は、ファイターと連携して怪獣の組成を分析し、その肉体がほぼ海水と同じ成分で出来ている事を確認。いわば、二足歩行の巨大生物という姿で意志を持った海水ともいえる怪獣は、その体内に湛える水分ゆえに通常のミサイル程度の火力では全く役に立たない。
「……やっぱり僕が……」
主題歌通り、ギリギリまで踏ん張って人間の力で立ち向かおうとするも、どうにもならないそんな時、ガイアに変身しようとした我夢だが、いつの間にか海岸に佇んでいた黒服の男に気付く。我夢と目を合わせた男は尖ったブレスレットを掲げると、新たな光の巨人――青い巨人――に変身し、地表にぐさっと急降下。
第3話で顔見せ登場した青いウルトラマンがいよいよ本格登場し、がに股でどすーーーんと降臨するガイアに対し、大地に突き刺さる錐のようにぐさっっっと垂直落下しての登場でまずは差別化。
「ガイアじゃない……」
「ウルトラマンは一人じゃないのか」
立ちポーズがちょっとスタイリッシュな青い巨人は、橈側手根屈筋ビームで怪獣を転ばせるとその尻尾を掴み、鍛え抜いた広背筋による振り回しから、渾身の背負い投げ。そして右腕に蒼い光の刃をまとうと袈裟懸けで胴体を、返す刀で首を鮮やかに切断する!
クールなライバルキャラ(多分)として華々しいデビュー戦を飾る青い巨人……と思った次の瞬間、海水体質の怪獣の傷口は瞬く間に塞がってしまう。
「ふぉ?!」
驚く青い巨人は怪獣に組み付かれて一転して大ピンチとなり、お、おかしいな……30秒前まで、今週はガイアお休みの勢いだったのにな……!
青い巨人のタイマーが点滅するのを見た我夢はブレスを掲げ、「ガイアーーーーー!!」から、満を持してのどすーーーん降臨。ダッシュで援護に入ると、ペンローズの過程飛び蹴りからの、左上段スピンネットワーク蹴り、そして必殺の意識は原子の振る舞いや時空の中に既に存在している回し蹴りで頭を吹き飛ばすも、怪獣の損傷はまたも復元してしまう。
量子物理格闘術を見切られて追い込まれたガイアもタイマーが点滅を始め、これは後編につづいて次回共闘か? と思ったその時、すくっと立ち上がった青い巨人の必殺光線で怪獣は無惨に吹き飛び、大爆死。
(君なのか……君だったのか……?)
辛うじて怪獣もろとも爆死をせずに済んだガイアの呼びかけを無視して青い巨人は飛び去っていき、続けて飛び去るガイアを見送るライトニングリーダー。
「……あの、どちらかと戦う事になるのか」
という呟きは、成り行きとはいえこれまで完全にガイアと共闘路線だった流れからは唐突さが否めないのですが、シンプルに『ゴジラvsビオランテ』オマージュ? 勿論、現場の温度差や、正体不明の巨人への警戒意識はあって当然なのですが、この後の前振りの為にやや強引になった印象。
「くっそー……頭の中じゃもっと動けてるのに……!」
海岸でふらつく我夢は自分自身に憤り、使命感と責任感先行で技量や経験が伴っておらず、頭は良いが肉体言語には慣れていない、という高山我夢というヒーローの現在地を象徴していて、大変良い台詞。
手に入れた力を未だ使いこなせない我夢は、“もう一人”の気配に気付いて振り返り、そこに旧知の男の姿を見る。
「我夢! 君が二番目だったんだ?」
「藤宮! 藤宮博也くん、だろ? どうして君がウルトラマン――」
「根源的破滅招来体を阻止できるのは、アルケミースターズなんて仲良しグループじゃない。 鍛え抜いた筋肉だ それがわかったから俺は辞めた」
……今なにか混信しましたが、知性×筋肉に昆虫魂を融合させたビーファイターは、90年代における極めて優れた、ヒーロー像の分解と再構成からなる具象化だったのでなかろうか、と改めて。
トライアングル的になぞらえるならば〔心・頭・体〕といったところですが、これにもう一つ、科学×肉体×オカルト、という三角形が重ねられており、優れた知性と優れた頭脳が強き魂を伴う事でヒーローとなり、科学とオカルトを人間の体と心が繋ぎ合わせて力とする、というのは実に良く出来た構造だったと思います(作品的には、これに対するネガ存在の扱いをうまく処理しきれなかったわけですが)。
話を戻して、プロティンの導きに目覚めた怪しい黒服こと、元アルケミースターズの藤宮は……
「地球にとって人類とはガン細胞だよ! 増殖し続け、地球を汚し続けるだけの存在」
正統派環境テロリストになっていた。
以前に『特捜ロボ ジャンパーソン』(1993)の感想で触れた事がありますが、『ゴジラvsビオランテ』(1989)『寄生獣』(1990~1995)『機動武闘伝Gガンダム』(1994)など、90年代ポップカルチャーにはエコロジー、そしてその先鋭化である環境テロリストテーゼが花盛りという印象が強いのですが(他の年代でも相応にあるとは思いますが)、そんな90年代のフィナーレを飾ろうとするかのような強烈な直球が、今見ると一周回って物凄いインパクト。
(※軽く調べたところ、それ以前からエコロジーに関わる運動はあったものの、1988年に地球温暖化説が一般に広まったのが一つの契機となった模様)
また横道に逸れますが、今作と同年放映の『星獣戦隊ギンガマン』のヒーローが、現代文明から隔絶した隠れ里に暮らし、山野に親しみ星の力を振るういわばネイチャー系の戦士ながら、「自然と人類文明の衝突」という要素は描かず、あくまで地球環境を汚染するのは敵である悪の組織バルバンの仕業、を徹底していたのは興味深い差異かもしれません。もっとも『ギンガマン』の場合、星を守るヒーローもバルバン(悪)と同一になる危険を常に内心に孕んでいるからこそ、それに打ち勝たなくてはならない、というのが作品の大きなテーマであったので、星を汚すバルバンそのものが人間自身のメタファーになっている、とはいえるのですが。
「ウルトラマンは地球を守るものだ。しかし、存在理由を持たない人間まで救う義務はない!」
藤宮は我夢にびしっと指を突きつけ宣言し、「選ばれし者」の使命感と責任感から暴走したり決めポーズの練習したりは我夢もやりましたが、どうやら、我夢以上に「選ばれた俺」にはまってしまっている模様です。
千葉県に出張ってくる前に各局のニュース番組を全て録画セットしてきましたが、全く予定通りに決まらなかったので、家に帰って多分泣く。部屋の隅で膝を抱えながら(やっちまった……TV局まで行って、「ウルトラマンの姿、世界にあますところなく伝えてほしい」って格好つけてきたのに、やっちまった……)とフェルマーの最終定理に挑みながら泣く。
それはそれとして、今作における「ウルトラマン」の定義付け(藤宮主観)が一つ示されている事が大きな意味を持っているのですが、発言からすると我夢より先にウルトラマンと同調していたらしき藤宮、もしかして、第1話でいざ怪獣が出てきたぞぉぉぉ今日の為に鍛えてきた筋肉の出番だぞぉぉぉ――はっ!? 万が一の肉離れを避ける為に、まずは入念にアップして筋肉をほぐさなければ! とかやっている内に降臨したガイアに怪獣を倒されてしまい、行き場を失った使命感が立体交差でこじれてしまったのでは。
そう考えると、大変同情の余地のある我夢の影といえるのかもしれません。
「XIGなんて辞めてしまえ! 俺を手伝う事が君のなすべき事だ」
「違う! 絶対に君の考えは間違ってるぞ!」
同じアルケミースターズの一員として根源的破滅に備え、くしくも共に光の巨人の力を得ながら、道を違えた赤と青――夕陽の光に染まる海岸で対峙する2人の青年、でつづく。
コミカルな導入こそひと味違うアクセントして面白かったものの、演出の傾向がこれまでとあまりに違いすぎて困惑が先に立っていたのですが(後の作品でいうと『仮面ライダークウガ』7-8話を見た時の気持ちというか(笑))、地球に迫る根源的破滅を前に、2人のウルトラマンの姿を通して「人間」とは何か――そして「ウルトラマン」とは何か――を問う、という今作の縦軸が明確に示され、クライマックスは大変盛り上がりました。
主義主張の違いばかりでなく、様々な意味で脳内理想先行の我夢と、筋トレに励み肉体を理想に近付ける道を行く藤宮、という対比もクッキリとして良い案配。また、両ウルトラマンのトサカが逆向き、というのはデザインの特性をこれ以上なく活かして大変秀逸。
我夢-XIGの足場を固める前に第二のウルトラマン登場は早いのでは……? と思っていたのですが、同じアルケミースターズだった過去を含めて、明確な対立構造が我夢というキャラクターの理想主義に空論だけでないしっかりとした縁取りを与えてくれそうで、ここからの展開が楽しみです。