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ビーダマスター・ミド!

電子戦隊デンジマン』感想・第34話

◆第34話「哀しい捨子の物語」◆ (監督:竹本弘一 脚本:曽田博久)
 「俺はいったい、何者なんだろう……古川俊介なんかじゃない事は、確かだ」
 鏡を見つめて呟く、荒れる高校生男子……なんとその正体は、17年前、ベーダー城から卵が転がり落ちて行方不明になっていたビー玉ラー?!
 超異次元から偶然にも地球に辿り着いて育ち、己の出自を知らぬ、はぐれベーダーと化していたビー玉ラーを帰参させる為にベーダー一族は尋ね人の広告を打ち、
 「どうもベーダーの動きがおかしいんで、捕まえてみたら……」
 と、見た目サラリーマン風の地球人に偽装した戦闘員を階段から投げ落として、チラシを奪ってきた事を回想する赤城、あまりにも豪快(笑)
 デンジランドの観測データから、17年前、地球にベーダー怪物の卵が飛来していた事が確認され、ビー玉ラーを追うグリーンは、以前にもビー玉ラーを追いかけて見失った、貧しい佇まいの母子家庭・古川家に再び辿り着くと、デンジスコープにより少年の正体を確認。
 「待ってくれ。ここは俺に任せてくれ」
 ベーダー怪物とその協力者は血祭りじゃぁ、と鼻息の荒い仲間達をグリーンは押しとどめ……なんか前回、全く同じような流れで大失敗をやらかした同僚が居たような。
 先行して古川家を訪れたグリーンは……変身を、解いた!
 玄関開けたらデンジグリーン、だったらどうしようかと思いましたが、元刑事の聞き込みスキルを発揮した緑川は最悪の事態を回避。だが一歩遅く、ミラー&ケラーの介入により、俊介は母親の前でビー玉ラーへと変貌してしまう。
 生身の緑川をげしげしを踏んだビー玉ラーは、戦闘員の助勢を受けてデンジマン待ち伏せを切り抜けると、女王陛下と謁見。
 「おお、ビーダマラー、立派になったものじゃ」
 ヘドリアン女王は優しい声音でそれを迎え入れ、曽我町子さんの声音の変え方が実にお見事ですが、序盤に特徴付けとして強調されていた、臣下に優しく懐の深い女王スタイルを保持。
 ……まあ、ヘドリアン女王が臣下に厳しく当たるタイプだったら、ヘドラー将軍あたりはとっくにトイレ掃除係に降格されていそうですしね!
 「だから言わない事じゃないんだ。グリーンに任せず早く捕まえておけばよかったんだ」
 一方、サーチアンドデストロイこそがジャスティス、と2週連続の《説得》コマンド失敗に不満を見せる青梅を、母親を小さい頃に亡くした緑川は、ちょっとマザコンの気があるんだ、と赤城が取りなし、どこでどうしてその情報を得たのか皆目不明ですが、恐らくアカギランドで雇うに際して、メンバーの身辺を洗わせたに違いありません。
 古川母の口より、17年前、河川敷で拾った赤ん坊を我が子のように育ててきた経緯が語られ、素っ裸の赤ん坊を草むらに転がしておく、赤ん坊にハードな撮影。
 「私のした事は、間違ってたでしょうか?」
 「いえ、誰にも出来る事ではありません。本当に人間らしい心を持った人にしかできないことをやったんですよ。そのお母さんの気持ちは、必ず、必ず、俊介くんにも通じる筈です」
 直後にシーンが切り替わると、工場地帯の大破壊が行われているのは、すれ違う思いの表現として効果的になり、ベーダー怪物としての本分を取り戻したビー玉ラーは高笑い。
 「これこそベーダーの本当の姿! 破壊しろ! 焼き尽くせ!」
 「この世を焦熱の地獄に変えるんだ!」
 吉川母は緑川に向け、ザ・昭和歌謡な挿入歌(「母の背で覚えた子守唄」(歌:みなみらんぼう)との事)をバックに流す回想シーンで俊介を育ててきた日々について語り、作風からだいぶ離れた挿入歌が延々と流れて少々困惑しますが、「ビー玉」や「母」といった単語が歌詞に入っている事から、今回のエピソードのイメージソースだったりしたのか、或いはやたらと吉川母役の女優さんがフィーチャーされるので何かその関係でもあったのか。
 勿論、単純にエピソード内容とシンクロしていたので使っただけの可能性もありますが……80年代後半に長石監督が好んで何度か行っているタイプの演出がこの時点で行われているのは、興味深いところ。
 先行した赤青黄桃がビー玉ラーと戦う中、子を想う母親の思念が、思い出のビー玉を通して流れ込んできたビー玉ラーは動きを止めると、頭をかきむしるようにしながら逃走。
 ベーダー怪物として生まれ持つ悪の意識と、人間社会で育まれた善の意識との衝突が、二つのビー玉によって象徴的に描かれ(ビー玉=「タマ」であり、すなわち「魂」を示すとの解釈も可能)、吉川母の懇願を聞き入れたグリーンは、再び歌謡曲をバックに母親をビー玉ラーの元へと連れて行く。
 ビー玉を握った手、という面白い頭部デザインだったビー玉ラーですが、母親の説得を受けるこの場面において、人差し指と中指の先にあたる部分に目がついているのが明確に示される事で、人の表情と感情が盛り込まれるのが、細かく上手い。
 だが、ミラーとケラーの介入によって思い出のビー玉が破壊されると、完全なる悪に染まったビー玉ラーは緑へと襲いかかり、何かと割り切りの早いこの時代において、「お母さん、戦う事を許して下さい!」と身内に許可を取るのが、だいぶ珍しい印象。
 5人揃ったデンジマンは、ビー玉ラーを取り囲んで下半身を蹴り回すが、ビー玉爆弾で反撃を受けて逃げ惑う羽目に陥り、冒頭で子供達を相手にビー玉の達人ぶりを見せた緑川の大人げない特技……はこれといって活用されないまま、スティック投擲から稲妻落としでフィニッシュ!
 巨大戦では、ビー玉ラーの手持ち武器を奪って頭部を殴りつけるも、変幻自在のビー玉攻撃によろめくダイデンジンだったが、ボールにはボールだ、と鉄球で殴り返すとデンジ満月斬りにより両断し、17年を人間として生きたベーダー怪物は、古川俊介として、河川敷に勝手にお墓が建てられるのであった。
 ナレーション「人は、人を育み包む、大いなるものを、母なる海、母なる大地と呼ぶ。デンジマンは、この母なるものを守って、戦い抜く事を決意した」
 結局、ベーダーとして生まれたものはベーダーとして葬り去られる結末でありましたが、ラストを締めたナレーションにより、観念的で相対的な「善悪」ばかりではなく、「ベーダーの母」と「人間の母」、「二つの母」を対比する狙いもあった構造が目の前にパッとひらけるのは、成る程でありました。
 今作の曽田脚本は、桃・黄・赤・緑……と、後にいうところのキャラ回をサブライターとして意識的に描いている様子ですが、赤の泥棒回を除くと、いずれもデンジマンが守ろうとするものとは何か”への目配りも盛り込まれており、後続のシリーズ作品へ繋がっていくものを感じるところです。
 次回――桃井あきらの新たなトラブル?!