宮部みゆきとの再会
毎度お馴染み年末振り返り企画。
今年はなんといっても、8年ぶりの宮部みゆきに手を出して、宮部時代小説に改めてドはまりしたのが個人的な最大のトピックとなりましたが、『きたきた捕物帖』 → 『ぼんくら』 → 『あかんべえ』 → 『日暮らし』 → 『おまえさん』 → 『おそろし』と行脚を続け、シリーズ3作目というのはあるものの、今年の長編ベスト1は、『おまえさん』。
世の中にはとんでもない小説があると、ひたすら至福の時間が続く、傑作でありました。
他、特に印象に残ったのは、
《黒後家蜘蛛の会》シリーズ(アイザック・アシモフ)の型に倣い、洒落た謎解きと読み味のいい語り口が良かった連作短編集『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』(笛吹太郎)。
探偵の品の良さが読みやすく、洒落たオチが目立つのも好みに合っていた《濱地健三郎》シリーズ(有栖川有栖)。
<天使>の降臨した世界とその独自のルールの中で、一人の探偵の再生を描く『楽園とは探偵の不在なり』(斜線堂有紀)。
怪獣の出現するパラレル日本(地球)という舞台設定が良く練られ、怪獣の存在する世界が生んだ犯罪、が説得力をもって描き出される、一種の異世界(SF)ミステリ『殲滅特区の静寂』(大倉崇裕)。
謎の文字を追い、そこに事件性(犯罪)は存在するのか? を追うサスペンス『5A73』(詠坂雄二)。
17世紀を舞台にした海洋冒険歴史ミステリ『名探偵と海の悪魔』(スチュアート・タートン)。
短編のベストは、紙の本が存在せず、口伝により物語を伝える人間そのものが「本」と呼ばれる奇妙な国を描いた幻想的な綺譚でありつつ、ミステリの手法がある大胆な形で持ち込まれた「本の背骨が最後に残る」(斜線堂有紀)。
斜線堂有紀は、おお、と思う作品もある一方、同性同士(男女問わず)の関係性を軸にした作品は、個人的にピンと来ない場合が多く、なかなか間合いの難しい作家。
今年、初めて触れた作家では、最近立て続けに詠坂雄二作品を読んでいるのですが、“劇中のノンフィクションをベースにしたフィクション”という構造を明示する事によって、
〔劇中の出来事〔A〕と、劇中の虚構〔B〕の間にある、劇中筆者の作為〔C〕〕
の存在を意識させられる、のが興味を引かれる書き方。
無論、そもそもフィクションである以上は筆者の作為で構成されているわけですが、それをいわゆる額縁構造(最も外枠に位置するのが、現実に読者が読んでいるフィクション〔D〕)にする事により、〔A〕と〔B〕の関係を俯瞰すれば、否が応でも〔C〕が目に入る構造になっており、果たして〔C〕は何を見せようとし、何を隠そうとしているのか。
そこには〔A〕を〔B〕に仕立て直すにあたっての劇中筆者の作為が入り込んでいる筈なのですが、実は〔D〕を読むにあたって〔C〕を読み解く必要というのは(私の考える限りでは)特に無くて、ただそこに〔C〕が生まれるという事が“物語”というものなのではないか、と思わせるところに作者の狙いがあるような無いような……急に曖昧になりましたが、言語化しきれていない印象についてのメモという事で一つ。
一方で作者は、筆者の作為が「盛り込まれている」と同時に、時にそれを越えて自由に読者が「読み取れる」ものを“物語”と置いている節があり、そこに恐らく存在する、“物語”の力を信じている、というところが作品と割と相性の良い理由であるのかも。
初期作品から読み直した上で考えると、思うに『5A73』は、謎の文字に“物語”を作り出そう(見出そう)とする物語、であって、本格ミステリ的に見るならば、必要な人を納得させる物語を作り出す存在こそが「名探偵」といえるのかもしれません。
今年は宮部みゆきに再び手を出したりしつつ、ミステリジャンルに限ってもまだまだ読んでいない名作が山ほどあるわけだから、とジャンルの偏りに関しては割り切りを強めましたが、来年も、今年後半ぐらいのペースは維持して本を読めればいいなと思っております(そうすれば、ジャンルの越境なども、自然としたくなる筈)。