短編集をハシゴする
10月に入って急に、読書スイッチが猛烈に入ったとか。
私立探偵は「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」と言われているけど、まあ、俺の場合は「タフなふりして疲れてる。優しい真似して損してる」ってとこかな。
恐らく、初・霞流一(ベテランなので、アンソロジーで短編を読んでいた、とかはありそう)。
若い頃は某TV局の記者をしており、フリーの探偵になってからもその縁で映画やTV関係者からの依頼が多い、私立探偵・紅門福助(くれないもん・ふくすけ)を主人公とした、シリーズ短編集(探偵は、これ以前に数冊の長編もあり)。
主演俳優が真夜中に見た巨塔はどこに消えたのか? 監督とプロデューサの死体はなぜ首をすげかえられていたのか? 被害者はどうやって鍵のかかった美術倉庫へ入り込んだのか? など、いずれも映画のスタッフや撮影現場と関わる事件が並ぶ趣向。
一作一作のページ数が比較的少ない事もあり、概ね現場で関係者として事情聴取を受ける事になる探偵が、聴取内容や知己の刑事からの情報で事件の輪郭を掴み、これと当たりを付けると一気に解決まで持ち込んでいくのがパターンで、「事件」と「推理」を切り詰めたスピーディ&コンパクトな作りに多少の味気なさはある一方、一つの業界を舞台とする事で題材――映画――にまつわる関係者の感情が常にどこかに漂い、全くの無味乾燥にならないようにしているのが、上手い味付け。
探偵も、「事件」に対してはユーモアを漂わせながらもサバサバとした対応に徹する一方、「映画」に対しては感傷を見せるのがバランスが取れており、「事件」と「推理」の関係にいっそ機械的なところもありつつ、総じて読み味の悪くない短編集でした。
収録作中、個人的なベストは、とある活劇映画のリメイクを巡り、“被害者”の取った行動の動機が染みる「届けられた棺」。
それから、とある映像演出の手法が謎解きの鍵となり、舞台設定だけで無しに、推理×映画が鮮やかに噛み合った「モンタージュ」が面白かったです。
●『紳士ならざる者の心理学』(柄刀一)
<天才・龍之介がゆく!>シリーズ第9作。
なぜ9作目からなのかというと、先日読んだ『阿津川辰海読書日記』で挙げられていた為です。
柄刀作品は、ちょくちょく読んでいる中で、このシリーズに手を出していなかった理由は、率直に微妙な印象のシリーズタイトルと、「本格痛快ミステリー」なる不安を誘う枕詞だったのですが、中身は徹底した理詰めによる謎解きから“物語”としての飛躍を志向する、柄刀さんらしい短編集でした。
その飛躍の点では、限られたヒントから急死した会社社長の遺言書を電話越しに探す「召されてからのメッセージ」と、居ない筈の少女が写った不可解な写真の謎を解き明かす「少女の淡き消失点」が、割と好き。
『読書日記』で「ダイイング・メッセージ物の傑作」として評価されていた「見られていた密室」は、瀕死の重傷を負って密室の中に逃げ込んだ男が、犯人が室内を監視カメラで見ている状況で、どうやって犯人を指摘するメッセージを残すのか? を、被害者vs犯人の頭脳戦に見立てて描き、確かにこれは面白かったです。
シリーズ作品としては大きなストーリーの流れがあり、既に出来上がった人間関係も幾つか登場し、今作で一つの節目を迎える要素もあるので、出来ればシリーズを追いかけてきてこそ、の作りでしたが、一応、単独で読んでも問題なく読めはする内容。
……読めはしますが、ここから読むのはシリーズファンにはちょっと申し訳ない気持ちにはなる内容だったので、ひとまず今度、遡って1作目を読んでみたい気持ち。
●『はやく名探偵になりたい』(東川篤哉)
烏賊川市を舞台に、冴えているのいないのかいまいちわからない探偵・鵜飼と、その助手・戸川が様々な事件に出くわす短編集で、大ヒットした『謎解きはディナーのあとで』が全く合わず、長らく遠ざけていた東川篤哉に、約15年ぶりのチャレンジ。
完璧な密室殺人を成し遂げた筈の男が思わぬ陥穽にはまる「藤枝邸の完全なる密室」・ある夜に起きた些細な盗難事件や酔っ払い騒ぎから一つの犯罪に辿り着く「七つのビールケースの問題」
の2編はオチも洒落ていて面白かった一方、
走行中のトラックの荷台で死体が発見される「時速四十キロの密室」・深夜の森を疾走する車椅子の謎「雀の森の異常な夜」
の2編は個人的に苦手な要素に抵触し、今回の当たり外れは五分五分でした。
巻末を飾る、鵜飼&戸川から離れた視点の「宝石泥棒と母の悲しみ」は、番外編といった趣向の小品でしたが、これはぼちぼち悪くなかったです。
基本的に、あらゆる言い回しやリアクションを過剰に描く事による“笑い”が主体で、あまりセンスは合わないのですが、私自身が一頃よりも、ジャンルの趣向そのものを題材にしたタイプのメタミステリを許容できるようになってきているようで、その辺りの仕掛けは楽しめました。
後、(シリーズ毎回のお約束なのか?)「鵜飼や戸川が転落や衝突でしょっちゅう死ぬような目に遭っても何故か死なない」事で、主役格の二人が所属している時空をあくまで小説的に表現しているのは、好き。
戯画化のあまり、やたら間延びした口調で喋り続ける女性キャラとか、厳しい描写もありますが、改めて少し東川篤哉に手を出してみたくなりました(なにぶん作品数が多いので!)。
●『純喫茶「一服堂」の四季』(東川篤哉)
小学館……の本社ビルから徒歩1分ほどのビルに看板を掲げる弱小出版社・放談社の雑誌記者・村崎は、親戚の屋敷で起きた殺人事件の謎に頭を悩ませていた折、鎌倉の街にひっそりと構えられた喫茶店「一服堂」を訪れる。極度の人見知りの店主が淹れるコーヒーの味はなんとも微妙……だが、推理のキレは抜群で、店で耳にしたいずれ劣らぬ猟奇殺人事件の謎を解き明かす、安楽椅子探偵もの連作短編集。
15年ぶりに1冊だけだと当たり外れが極端に出る可能性があると思って、もひとつ東川篤哉。
全体的に過剰気味の台詞回しとオーバーアクション、テンション高めになりがちなの登場人物たち、ミステリとしてはあくまで理詰め、の作風は概ね一緒。
扱われるのはタイトル通りに四季を彩る、2件の磔殺人に2件のバラバラ殺人、謎めいた4つの猟奇殺人で統一されており、本格ミステリにままある、“理詰めを徹底するとグロテスクに到達する”を狙ってやったような内容。
……余談ですが、私が割と柄刀作品を好きなのは、理詰めの末に実行犯の人間性を消し去るのではなく、“理詰めの先に人間を見出そうとしている”というか、“理詰めの理は結局、人間の理である”といった意識が見えるところにあるのかなと。……そう考えると、「見られていた密室」の被害者は、死を前にしたからこそ徹底的な――人間の限界に肉薄する――理詰めの元に行動し、故に探偵がそれを読み解こうとする物語の構図が成立した、と見る事もできそう。
一方で柄刀作品には、“しかしこの世界には、人を越えた神の理というものがあるのかもしれない”という方向性もあって、その両者を表裏一体で扱うところに、魅力を感じる作家です。
閑話休題。
今作では、探偵役がゲーム『逆転裁判』のキャラみたいな言行を取るところが、好みの分かれそうなところでありましょうか。
個人的にはそこは、ううーん……だったのですが、第2話「もっとも猟奇的な夏」が、真相がわかった瞬間に世界が違って見える感覚や、登場キャラクターの“格好良さ”を味わえて秀逸な出来で、お陰で最後まで読み通すことが出来ました。
連作としては、ある思い込みを利用した仕掛けが最後に炸裂し、各章の一人称が効果的に作用するのは巧妙なところ。またそれによって、ミステリ小説における、ある一つの問題点を解決しているのは、うがち過ぎかもしれませんが、作者のメタミステリ的な視点が窺えるところでした。
……その仕掛けにより浮上してくる“物語”が好みかどうかというと、ううーん……なのですが(笑)、上記作品と合わせて、2025年現在、個人的な東川篤哉との距離感をなんとなく定められる一冊でありました。
●『丑三つ時から夜明けまで』(大倉崇裕)
「いよいよ、ヤツらのおでましだぜ」
ヤツら……。
「これだけの条件をすべて満たしているということは……」
的場は額の汗をぬぐう。
「やはり、犯人は幽霊以外にはあり得ません」
“幽霊”の実在と、力の強い霊体は死後に現世に干渉して殺人を犯す事すら可能、とする研究結果を手に入れてしまった警察庁は、幽霊による犯罪に対応すべく、幽霊捜査のエキスパートである特殊部隊として捜査五課を立ち上げ、静岡県警で試験運用を開始する。捜査一課に所属する「私」は、闇金の社長が堅牢な密室で殺害された事件で、嫌々ながらも第五課と共同捜査をする羽目に……。
音もなく姿を現し、壁も天井も関係なく移動できる幽霊が、死後に自らの復讐を果たせるようになったらどうなるか?
を中心に据えた特殊設定ミステリの短編集。
勿論、幽霊が存在できる期間は死後1年間(フーダニット)、死因に関係した能力を発動できる(ハウダニット)、といった“縛り”が存在してロジックの成立する余地を作っており、不可能犯罪に幽霊の介在を考慮に入れて謎を解こうとする設定は面白そうだったのですが……奇想天外な設定に対して骨格はあくまで警察小説、という形をやりたかったのか、捜査一課と捜査五課の仲がやたら悪いのが、個人的にはだいぶマイナス。
刑事たちのプライドや意地の張り合いに、部署同士の縄張り争いなどは警察小説の定番とはいえますが、それにしても互いが無闇と感じ悪すぎる上に主要登場人物がやたら情緒不安定気味なのも引っかかり、小競り合いが毎度のお約束のように描かれるところを見るに、その間で右往左往する羽目になる人の良い主人公の姿も含めて恐らくユーモアを企図しているのでしょうが……個人的には、笑えるよりも、主人公を除く主要人物への好感度が下がりすぎてしまいました(一応、この点についての筋は最終話でケアはされますが)。
そういった問題点に関して少しずつは改善されていき、“幽霊が存在する世界ならでは”のロジックの用い方も面白みが出てきた「闇夜」「幻の夏山」と尻上がりに面白くなってきたところで最終話を迎えてしまい、まあこればかりは、仕方が無いといった感。