はたらき、たたかう
なんだかまたぞろ、「《平成ライダー》は無職が多い」みたいな言説が目の端を通ったので、今年ようやく『カブト』を見たところで自分なりの整理も兼ねて、歴代主人公のお仕事を書き出してみました。
『ディケイド』『ゴースト』『ジオウ』以外は全話視聴。
この3作品以外は、劇中描写から確認できる情報に限っており、「実はこういう設定が……」といったもの仮にあったとしても考慮には入れていません。
できる範囲でチェックしましたが、記憶違いの入っている可能性はあり。
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『仮面ライダークウガ』 五代雄介/冒険家・「喫茶店ポレポレ」アルバイト
『仮面ライダーアギト』 津上翔一/記憶喪失
『仮面ライダー龍騎』 城戸真司/「OREジャーナル」見習い編集員・「花鶏」アルバイト
『仮面ライダー555』 乾巧/「西洋洗濯舗菊池」アルバイト
『仮面ライダー剣』 剣崎一真/BOARD職員
『仮面ライダー響鬼』 ヒビキ/鬼
『仮面ライダーカブト』 天道総司/有閑貴族
『仮面ライダー電王』 野上良太郎/「ミルクディッパー」アルバイト
『仮面ライダーキバ』 紅渡/バイオリン職人
『仮面ライダーディケイド』 門矢士/カメラマン(自称)・「光写真館」アルバイト
『仮面ライダーW』 左翔太郎/私立探偵
『仮面ライダーオーズ』 火野映司/「クスクシエ」アルバイト
『仮面ライダーフォーゼ』 如月弦太朗/高校生
『仮面ライダーウィザード』 操真晴人/無職
『仮面ライダー鎧武』 葛葉紘汰/フリーター→無職
『仮面ライダードライブ』 泊進ノ介/刑事
『仮面ライダーゴースト』 天空寺タケル/高校生
『仮面ライダーエグゼイド』 宝生永夢/研修医
『仮面ライダービルド』 桐生戦兎/記憶喪失
『仮面ライダージオウ』 常磐ソウゴ/高校生
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ひとまず「無職」を、「学生身分以外で労働の対価としての報酬を得て生計を立てていない」と定義づけた場合(社会通念はともかく、物語上ではそこに意味があるので)、劇中描写を見る限りにおいて明確に無職といえそうなのは、
津上翔一・天道総司・操真晴人・葛葉紘汰・桐生戦兎
の5人で、20作品中5作品。
これに「身内のところで働いている、ないし労働の対価に居候が含まれている、などの非正規雇用者」を加えると、
五代雄介・乾巧・野上良太郎・門矢士・火野映司
となり、ここまで視野に入れると全体の50%となりますが、ここでは「社会的無職」と「まがりなりにも継続的な労働の描写があるキャラクター」は、“物語上の意味づけ”に関係するので、分けて考えたいところ(未見のため『ディケイド』門矢士がちょっとよくわからないですが)。
なお、五代と映司については、物語中の立ち位置からここに入れましたが、「定職に就く以外の生き方を既に選んでいる」という点で、少々特殊な例といえます。
あと「労働の対価に居候が含まれている」についてちょっと複雑なのが『アギト』の翔一くんで、劇中において翔一くんと美杉教授との間に金銭のやり取りが存在するかどうかは明確にされないのですが、翔一くんの家事能力はもはや「住み込みの家政夫」レベルに達しており、「労働を中心に生活している」という点でも、翔一くんは典型的無職主人公のようでいながら、実は作劇としては就職しているのに近いところがあるな、と(笑)
後『龍騎』の城戸真司は、「OREジャーナル」からも給料は出ているが薄給で、「花鶏」で家賃代わりに働いている複合パターン(正社員待遇で無かった気もするので、社会的には上記フリーター組に入るのかも)。
物凄く基本的な点としては、“そもそもどうやって生計を立ててどこにどう暮らしているのかも不明な人が大半だった”《昭和ライダー》主人公に対して、「社会の中に立脚したヒーロー」を成立させる事が『クウガ』以降の大きな存念であり、そこで無職に毛を生やす事こそが重要であって、「社会性」と「自由度」を同時に確保する為の発明が「住み込みアルバイト」であったというのが、特に《平成ライダー》初期には見えるところです。
それが同時に「生活感」の描写にも繋がる事になったわけですが、
・社会的立場の存在がキャラクターの土台として当たり前になった
・脚本陣や、シリーズとしての演出ラインの変化
・追加ガジェットに次ぐ追加ガジェットの投入など単純に尺の余裕が無くなる
など複合的な理由から、シリーズ後期に入ると労働と生活感により社会性を描く意識が薄れると共に、主人公の「生活空間」が、「物語空間」の後方に切り離された作品――『フォーゼ』『ドライブ』『エグゼイド』――が顔を出すようになってくる、のは個人的に《平成ライダー》20年の大きな変遷として感じるところ。
方法論としての「住み込みアルバイト」は、シリーズ初期作品のリビルド的作風だった『オーズ』を最後に姿を消すと、『ウィザード』では「居候先の仕事を特に手伝わない無職」も登場する事になりますが、操真晴人はこの辺り、メインライターきだつよしさんの《昭和ライダー》好みが反映されているような気はします。
同じく「居候先の仕事を特に手伝わない無職」であった戦兎さんは、作戦で一時的に就職した後に解雇されたかどうか記憶に無いのですが、天道総司は中盤以降に管理職待遇で就職しますし(それ自体がメタ的なシリーズ史を意識しているとは思われます)、葛葉紘汰の無職が『鎧武』における“子供の視点”のシンボル的意味合いを含んでいた事を思うと、仮面ライダーとなって以降、「労働しない」事に最初から最後までこだわっていたのは、意外と晴人さんは珍しい例といえそう。
まあそこには、「仮面ライダー(ヒーロー)」の“言い換え”として「魔法使い」を用いている物語の構造上、「魔法使い」の語が、なりわいのニュアンスを含むように、といった意図もあったのかな、とは思うところです。
また晴人の場合、サバトを経て“半分死んでいる”というか、社会性との一時的分断を経験しているのは、翔一くんにおける「記憶喪失」のバリエーションであり、《昭和》においては「改造手術」に該当する“死と再生のイニシエーション”であって、由緒正しい無職ヒーローといえるでしょうか(笑)
……久しく貯め込んでしまっておりますが、こう見ると現行『ガヴ』は、「住み込みアルバイト」形式にして「生活空間と物語空間の接続」についての明確な意識が窺え…………あ、冒頭に目にした言説、「《令和》に比べて……」だったら、確かにそれはそうかもしれない、と今更ながらに気付いてみましたが(まず最初に「《昭和》と比べてしまう」脳)、その辺り、《令和ライダー》を並べるとまた方法論の変化が見えてきたりはするのかもしれず、しかし現状、完走しているのが『ゼロワン』だけなので出来ないのでありました。
『ゼロワン』といえば今この話の流れで気付いたのですが、『ドライブ』『エグゼイド』同様、“主人公の「生活空間」が、「物語空間」の後方に切り離された作品”でありながら、劇中のキーアイテムであるヒューマノイドは劇中世界の「生活空間」に密接している設定、だったのもボタンの掛け違いの一つだったのかな、と改めて。
話を《平成》に戻すと、主人公の意識はともかく、“実質的に無職”だったのが、『仮面ライダー剣』剣崎一真(笑)
『剣』は作品前半の出来の悪さやメインライターの降板劇などもあり、職業ライダーで始まるも最序盤に会社が吹き飛んで野生化した筈が何故か主人公に失業したつもりがない、という謎の状況が延々と放置されていた問題を、物語終盤、出勤とか別にしていないけれど月給はずっと振り込まれていた扱いで強引に解決した為、労働の扱いそのものがあやふやなのですが、多分その手の中の保険証は無効だよ剣崎! 区役所に行って切り替えないと全額自己負担だよ剣崎!
そんな『剣』も一応含めて、職業ライダー(ライダー活動そのものが業務)といえるのは、
剣崎一真・ヒビキ・泊進ノ介・宝生永夢
の4人で、20作品中の4作品、ちょうど前期と後期に2つずつで、ならすと5年に一度、と考えると、パターンとしてはそんなものでしょうか。
なおヒビキさんは、所属している秘密組織が特に表向きの身分を与えてくれたりはしていない為、世間的には“河原で筋トレしている無職、ないし、え、あの人、マラソン選手なんでしょ? あら私は、登山家って聞いたわよ?”と思われている可能性があります(だからごくたまに、たちばなを手伝っています!)。
この話から引き出される教訓は、やはり就職するなら、圧倒的に安定した公権力ないし官公庁とズブズブの大病院という身も蓋もない現実です。
そういえば無職といえば、『555』木場勇治は作劇としてまさにザ・無職の描写ですが(あれはあれで、生活費その他はスマートブレインから支給されているのでしょうが)、勇治の無職ぶりと、なんだかんだと労働に身をやつす巧との対比は割と重要な要素として、二人を分かつものの一つとして上手く活用されていたなと。
えーそんなわけで、《平成ライダー》無職王として、主人公でなければライダーでもありませんが、『仮面ライダー555』から木場勇治を推薦して、話のオチに変えさせていただこうと思います。
……主人公以外、その他のライダーも一通り考慮に入れるとそれはそれでまた面白そうかなと思いますが(主人公との関係性など)、就職率は多分上がりそう。