再び宮部みゆき
●『ぼんくら』(宮部みゆき)
それでも、やがてお徳は泣きやんだ。お徳のような人間は、いつも必ず泣きやむのだ。
痺れる、実に痺れる一節。
そう、こんな一節を書いてみたかった。
或いは、書いてみたい、とそんな事を痛切に思わされる一冊でありました。
前回、8年ぶりに宮部みゆきを読んで、「とにかく私にとっての宮部さんは最上級の褒め言葉としての“小説の巧い作家”」と書きましたが、もう一つ宮部さんは私にとって、“「格好いい」の感覚が合致する作家”でありまして……例えば、ある人物が許せないものに対して見せる怒りとか、また或いは譲れない一線で顔を出す矜持とか、時には守るべきものに向けて見せる強さと優しさとか、それは私好みのヒーローフィクションとはまた違う表現で描き出されるのですが、恐らくその根っこは同じで、多分私は、そういう「格好いい」に触れたくてフィクションに親しんでいるのだろうな……と、その「格好いい」の趣味が合う作家であった事を、久方ぶりに思い出しました。
どんなに巧い作家でも、何をもって「格好いい」とするのか、が合わないとピンと来ない場合はしばしばあるのですが(勿論、作者の経年や作品によって出力されるものは違いますが……割と根っこの「格好いい」感って、作家の色が出ると考えています)、宮部さんはそこが凄く合う作家であったなと……例えば新本格系だと、有栖川有栖を割と長い期間、読めているのも、多分ちょっと近い感覚。
怠惰で面倒くさがり、細かいことに目くじら立てず、鷹揚な性格で日々のんびりと市中見回りに勤めていた本所深川方の同心・井筒平四郎が、馴染みの長屋で起きた変事に関わっていく時代長編ミステリで、構成の妙、人物描写の巧さ、気持ちの良いラスト、と著者の技巧が冴え渡り、面白かったです。
しばらく、宮部みゆきブームが再来しそう。