諸子百家から書店まで
儒者が徳治の因果律の正当性を叫べば叫ぶほど、孔子が真実有徳の聖人であったか否か疑惑を招き、一方孔子は絶対に有徳の聖人であったと喧伝すればするほど、徳治の因果律の破綻が鮮明になるとの隘路から、儒家は永遠に抜け出せない。孔子の死に伴い、彼の後学たちは、敬愛・追慕してやまぬ開祖の存在そのものが、儒教の根本理念を瓦解させかねない危機に直面したのである。
また教団の開祖たる孔子の死を、前記のごとく悲惨極まりなきものとして、儒者が理解し伝承するとき、当然そこには二つの情念を生ずる。一つは孔子の偉大な徳を受け入れようとせず、落魄の死へと追いやった歴史的現実への復讐心であり、一つは世界に復讐を遂げる行為により、失意の中に世を去った孔子の魂を救済せんとする精神である。
もとよりこの復讐と鎮魂は、同時に前記の学派的課題をも解決する形で達成されなければならない。かくして孔子の後学たちは、残された難問――受命なき聖人・孔子――なる矛盾に立ち向かいはじめる。
無位無冠の匹夫として虚しく終わった孔子は、1200年の後に、如何にして王号を得るに至ったのか……その原動力は、儒者の抱えるルサンチマンにこそあった、との視点で儒教の歴史を紐解いていく一冊。
著者の解釈部分も含めて、今の目線で読むと、一つのカルト教団が、歴史の歪曲と偽書の捏造を繰り返しながら政治権力に食い込んでいき、やがては国家の公認を得て開祖を王に祀り上げるまでの経緯であり、途中に著者がキリスト教を引き合いに出すように、多かれ少なかれ「宗教」というものの持つ一面を描いて考えさせられる内容でした。
難を言えば、著者いわく欺瞞と捏造に溢れる儒学の思想や出鱈目満載の偽書の類いが、なにゆえ中華の政治や社会に受け入れられたのか、その下地や理由に関しての説明が少なく、最終章に多少触れられているぐらい(著名な、漢の高祖の際に宮廷儀礼を整えて有用性を示したくだりはありましたが)なのがわかりにくかったですが、恐らく、その辺りはこの本を読むにあたっては一定の把握をしているのが前提、ぐらいな感じ。
なので、一般的な中国史における儒学(儒教)の立ち位置、については事前に理解しておいた方が、より面白く読めたのかなという印象。
丸呑みにはしにくい内容といえますが、ところどころに流れるような名文もあり、歴史や思想哲学を扱った書というよりも、良し悪しはともかく、ある種のノンフィクションのような読み味が面白かったです。
後、並行して『韓非子』(冨谷至)を読了。近接ジャンルの本を同時に読むと面白いのですが、次はもうちょっとフラットな感じの孔子ないし儒教について書いたものを読むか……。
●『ストーンサークルの殺人』(M・W・クレイヴン)
英国カンブリア州に数多あるストーンサークルの中で発見された、焼き殺された男の死体。連続殺人事件として捜査を進める警察だが、狡知に長けた犯人は死体以外の証拠を一切残さない。捜査が難航する中、休職中の刑事、ワシントン・ポーの名前が被害者の死体の一つに刻まれていた事がわかり、思わぬ形で現場に復帰する事になったポーは、謎だらけの事件に挑む事に――。
恐るべき連続殺人犯vs真実に辿り着くまで食らいついたら離さないタフな刑事、の構図によるイギリスの長編ミステリ。
猟奇殺人と陰惨な背景が綴られるも、事件の外形的なグロテスクさを念入りに描写する作風ではなく終始テンポ良く進むので読みやすく、劇中の要素の収まり方も綺麗で(一つ、それは必要だったか……? と思う要素はありましたが)、なかなか面白かったです。
組織の一員として動きながらも、これが目標と見定めたらグレーゾーンを突っ切る事も辞さない主人公の筋の通し方と、事件を追う中での「謎」と「敵」の移り変わり方が妙味。
国内でも高評価で順調にシリーズ既刊が翻訳されているようなので、その内また続刊も読んでみたいところ(分厚いので、少し間を空けて)。
●『魔女推理 -嘘つき魔女が6度死ぬ-』(三田誠)
「死を食べる魔女」といわれる美しき少女・檻杖くのり。満開の桜の下、4年ぶりに彼女と再会した「僕」は、クラスメイトに起きた不可解な出来事について問うが、そこにあるのは、「魔法」なのか、「嘘」なのか――。
ライトノベル畑を主戦場に、「魔法」に関わる物語を多く書いてきた作者な事もあり、魔術的要素が随所に散りばめられてはいますが、超常と合理がクロスするタイプの謎解きミステリ……とは少し違って、ある種の異能の存在を前提とした世界での、「嘘」を巡るサスペンス、とでもいった印象(横文字を使って定義を曖昧にしておりますが、例えば西澤保彦の<チョーモンイン>シリーズとは明確に違うアプローチで、ミステリは素材であって文法としては用いていない感触)。
オチは、成る程そう落とすのか、という感じで、久々に読みましたが三田さんは嫌いでない作家。
●『米澤屋書店』(米澤穂信)
「ご挨拶より本の話をしませんか」で始まる、著者がデビュー以来20年ほどの間に書いてきた本にまつわる文章をまとめた一冊。
先日読んだ『阿津川辰海読書日記』(阿津川辰海)の中で紹介されていたのですが、『阿津川辰海読書日記』の方が、ウェブ連載+文庫本解説+その他落ち穂拾い、という連載記事をベースに比較的まとまった構成だったのと比べると、新聞紙上の短期連載・雑誌の特集・対談記事……などなど、よく言えばバラエティ豊富、悪く言えば手当たり次第にかき集めた感じで、一冊の読み物としてのまとまりは非常に悪く、著者のファン向け、といった内容。
個人的に米澤さんは、好きか嫌いか、と言われるとちょっと微妙な位置づけで、個人的好みからすると(ある時期以降は特に)露悪的傾向が強すぎるのですが……でも『クドリャフカの順番』は傑作なので、これと『遠回りする雛』だけでも、好きといえば好き。
『阿津川辰海読書日記』が「知性と情熱」の混合物だとすると、こちらは「生真面目な一方で、芝居がかっている」といった感じでしたが、ブックガイド的になる部分に関しては、面白く読みました。
面白そうな海外の小説を紹介してもらえるのは、ありがたい。