『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』感想・第47話
◆ドン47話「ドンノーかいぎ」◆ (監督:諸田敏 脚本:井上敏樹)
喫茶どんぶらマスターを立会人として、ドン家直系暴太郎組と脳人会直系園井組(現在破門)の手打ちの場が持たれ、見所は、仮出所したオヤジの世話を無言のまま甲斐甲斐しく焼く若頭のタロウ。
そのオヤジは、マスターにお茶を運ばれると激しく動揺して傅き、つまるところマスターは、関東守護獣会(会長:大獣神)や五星神龍会(会長:大神龍)などを取りまとめる、戦隊極道社会の超大物、と認識しておけば良いようです。
タロウが雉野救出に礼を述べる思わぬ展開から会議が始まる中、一人やさぐれる雉野は、みほを取り戻すまで何度でも鬼になってやると宣言するが、四面楚歌。
「犬塚翼の言う事は本当だ」
「……その通り。みほは獣人だ」
「おまえまで嘘つくのかぁぁぁ!!」
「タロウは嘘をつけない! 知ってるだろ?」
うーん、これは凶悪……。
「僕は、獣人と結婚したっていうのか……?!」
否定不能の理屈(なにしろ嘘をつくと、死ぬ)を突きつけられた雉野は、異形の怪人と誓いのキスをかわした情景を思い描いて目を回すと倒れ込んで気を失い、ソノニとソノザはともかく、その状況にはるかまで笑いを噛み殺しているのは、(見た事もない相手とはいえ)人の情がちょっとなさすぎでは。
雉と鶴の物語がこれで片付けられてしまうとさすがに残念すぎるのですが……キビポイントを持ち出されてもそれはそれでどうかな部分もあって悩ましい。
前回の謎だったソノイが獣人の森に入った手段は、独房の囚人の元を訪れておじいさんスイッチによるものだったのは、綺麗に繋がりました。
一方、掃除に余念の無いソノシ、メイクに余念の無いソノゴ、筋トレに余念の無いソノロク、とそれぞれ肉付けされたネオソノーズは街に繰り出し、消毒薬をばらまきながら人間をさらっていくソノシは手を叩いて馬鹿笑い。
「相変わらずだなぁソノシは……仕事じゃなきゃ関わりたくねぇ」
「ええ、全く」
とゴとロクが物陰から顔を出して呟きまた引っ込める描写の他、プーアル茶に大量の砂糖を投入から指でOKを出すオヤジ、それに対するはるかの大げさなリアクションなど、一息ついて嵐の前の意図だったのかもですが、演出のコミカルさが過剰で、ノりにくいAパート。
あくまでコメディ部分を押し出していくにしても、ノリツッコミの類などはキャラクターの積み重ねもさほど活きないので、単純に終盤の作劇としてあまり面白くならず(そういう意味では、乙女モードに入るソノニ、なんかは演出がちょっとやり過ぎた上でも、空振り具合を含めての面白さが出たのですが)。
街ではネオソノーズがドンブラ&旧ソノーズを誘い出そうと市民を次々と扉の向こうに放り込んでいく中、手打ちの場では教授が教授なりの筋を通そうとゴネ始めたのをきっかけに議論が紛糾していき、机の中央に置いたカメラでカット割らずに一同をぐるぐると映す手法は、顔のアップを撮るには画質があまりに落ちすぎて単純に見づらく、演出がどうも冴えません。
捨て鉢な雉野は反対を明言し、ハードボイルドを気取る犬塚は棄権を宣言し、会談に役立たずな二人の為にますます話が進まなくなってきたところで、オヤジが挙手。
「ドンブラザーズには、物語の『桃太郎』では、敵である筈の鬼が交じっている」
(え……いや……最初から薄々思ってたけど……)
「その、意味がわかるか?」
(もしかして?! ラスボスは……わ・た・しぃ?!)
「恐らくそこには、ドン家のメッセージが込められている。敵も、味方も無い、という」
融和を解いて抗争の無意味さを解こうとするオヤジであったが、教授には割と冷たくあしらわれ、仮出所、終了。
巨視的な観点を持ち込んだオヤジがしっしっと追い払われ――ここでオヤジの言葉に皆で納得する事で生じる嘘っぽさは露悪的な見せ方で避けたのでしょうが――、彼我の考え方や「共通の敵」に対する情報交換や認識のすり合わせを全くしないまま、近視眼的なやり取りに終始するのは意図的にしてもストレスが多く、特に猿原は、議論を建設的なものにしようとせずに、話を延々とこじらせようとしているだけにも見えてしまいます。
勿論、劇中人物にとっては“物語の終わり”は見えない以上、あくまで“目の前の物事”に対処しようと考える方が自然であり、逆に劇中に“終わり”の兆しが見えないのに劇中人物が“終わり”を急に意識し始めて違和感が生じる事もままありますが、やはりその辺りは、劇中人物と視聴者の感覚をある程度は近づけておいた方が話の流れはスムーズになるわけで、今作今回に関しては、そのズレが“面白さ”になるよりも“延々と続く煮え切らなさ”になってしまったように思います。
伸びすぎてスープと一体化したラーメンのような状況に、ソノニを救う為に犬塚がキビポイントを使用した事を明かしてマスターがフォローを入れるが、ソノニから送られてきた秋波に対して、ハードボイルドの美学を損ねられた犬塚が態度を硬化させて合併反対に回り、多数決の結果は、4対4。
タロウが「もういい。俺の一票は百票だ」と言い出すと満場一致の平和的な手打ちを望むソノイの反論に教授が同調し、各自のスタンスに基づく言動の飛躍と思わぬ繋がり、それによって発生する陣営の目まぐるしい入れ替わり……と、井上脚本の面白さはむしろこれが本領という部分が出てきたところですぐに打ち切られるのは、どうしても息切れを感じてしまいます。
ソノシ一行がどんぶらに来店すると、多数決に強引に加わり、7対4で暴太郎組と園井組の手打ちが決定。
多分、以前にジャッカー鬼となった女が、電撃隊繋がりでガスマスク顔の電撃鬼となり、それを追いかけてきた金髪男はフィーバー鬼(字幕によると「世界鬼」)となり……ヒトツ鬼に関しては、劇中の扱いがどんどん雑になっていくのに合わせて、一部を除き小ネタ的なモチーフの取り込みに偏って、予算と改造の都合も含めたマイナーチェンジの繰り返しのようなデザインになってしまったのは、大変残念。
怪人の着ぐるみを見た瞬間、そう来るのか……! といったような驚きや面白さが中盤以降はほとんど感じられなかったのは、怪人好きとしては残念でした(過去2年、ほぼ頭部だけでどう面白がらせるかで、健闘していたのもありますし)。
ドンブラザーズvsヒトツ鬼カップル、旧ソノーズvsネオソノーズの乱戦となると、キジブラザー、そしてドン・モモタロウが立て続けに鬼の中に吸い込まれる緊急事態となり、衝撃の展開と呼ぶにはドンモモの不覚があまりにも適当な描写で、盛り上がりには欠けたまま、つづく。
……うーん……なんとか面白くしようとした結果なのかもですが、最終盤としてはあまりにも小手先のギャグ頼りになってキャラクターの厚みに欠け、演出の方向性次第でもう少しどうにか出来たのではと思うのですが……脚本の出来も微妙そうだったにしても、この10年ぐらいの諸田監督に対する、その見せ方はどうなんだろう……という悪い印象が、この最終盤に、まとめて噴出してしまいました。
1年物の東映ヒーロー作品ではままある、終盤まとめに入ってからの失速と転倒パターンに見事にはまってしまった感がありますが、そこから9回裏に逆転サヨナラホームランを叩き込んだ例もあるので、残り話数に望みを懸けたいところです。
次回――帰ってきたジロウ「僕考えたんですけど……この世界を、処刑しようかなって」。