東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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年始の読書メモ

昭和から令和

◆『沈黙の狂詩曲 精華編Vol.1』
 2016~2018年の間に発表されたミステリ短篇を集めた書籍を、更に分冊で文庫化したアンソロジー。日本最旬ミステリー「ザ・ベスト」、と銘打った割には収録6本中2本は割と広義の「ミステリ」で首をひねるところはあり、分冊の関係で「1巻(上)」といった分量ではあるのですが、少なくともこの一冊だけを読むと、アンソロジーとしての質はいまいち。
 その中で出色だったのは、「上代礼司は鈴の音を胸に抱く」(織守きょうや)。この著者が上手いのは知っていたのですが、久々に読んでもやはり上手い。弁護士物のシリーズ作品は内容がやや重くなりがちなので離れていたのですが、また読んでみたくなりました。

◆『馬鹿みたいな話!-昭和36年のミステリ-』(辻真先
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 このときミステリ作家風早勝利の脳内に、自然と浮かび上がった単語がある。
 “密室”
 そうか……テレビスタジオとは、理想的な密室なんだ!
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 昭和36年――終戦から16年が経過し、豊かになりつつある日本。“大衆娯楽の王様”が映画からテレビに移り変わろうとする時代、雑誌『宝石』の新人コンクールで次席となり、駆け出しの推理小説作家となっていた風早勝利の姿は、東京にあった。CHK(中央放送協会)で番組を制作・演出するPDとなっていた親友・大杉日出夫の引き立て、ドラマの脚本を書く事になった勝利だが、あろう事かその本番中、生放送のスタジオで主演女優の死体が発見されてしまう……!

 前作『たかが殺人じゃないか』から12年後を描いた、“昭和ミステリ”シリーズ第3弾。
 前2作に続き、実際にNHKでテレビドラマの制作に携わっていた著者の経験がふんだんに盛り込まれ、昭和30年代のTV業界奮戦記(まだ、ドラマが生放送の時代)と、その中で起きる殺人事件を組み合わせた内容。
 謎解き部分はそれほど面白くなく、話の筋も個人的な好みには合わなかったのですが、著者いわく“昔話”の部分は軽快で面白く、シリーズとして“前作キャラクターのその後”を追える楽しさも含めて、読ませ方の巧い一冊でした。

◆『ノッキンオン・ロックドドア』1-2 (青崎有吾)


 探偵事務所「ノッキンオン・ロックドドア」を共同経営するのは、片や不可能専門・御殿場倒理、片や不可解専門・片無氷雨
 一人は「どうやって(HOW)?」しか解く事が出来ず、一人は「どうして(WHY)?」しか解く事が出来ず、己の専門分野以外では全く推理力の働かない二人の探偵が、憎まれ口を叩き合いながらも、密室で起きた画家の死と塗りつぶされたキャンパス、髪を短く刈られた死体、遺書に記された方法では何故か開かない巨大金庫……といった、不可能と不可解を抱えた事件に挑んでいく連作短編集。

 『水族館の殺人』が個人的に全然駄目で、以降読んでいなかったのですが、基本設定が面白そうで、久方ぶりに青崎有吾。
 早々に、警察の捜査現場に探偵が紛れ込んだり、警察の捜査が始まって間もない事件について相談しにくる依頼人が居たり、探偵に事件を斡旋する仲介屋の存在があったりする世界観である事が示されたのは一つの割り切りとしてスッキリ読みやすく、名作「九マイルは遠すぎる」(ハリイ・ケメルマン)のオマージュや、実在推理小説への言及など稚気を交えながら、やや小粒な謎解きをキャラクター小説として読ませる造り。
 「なぜ」「どうやって」の片方ずつしか解けない探偵コンビの基本設定の面白さは光り、主観人物を入れ替えながら、主要登場人物の関係性の中に隠された謎を、連作を成立させる要素として少しずつ見せていくのは手堅く、派手さは無いが、堅実な面白さはある作品でした。2巻で一区切り。

◆『最長不倒距離』(都筑道夫


 ものぐさ太郎の末裔を自称する物部太郎は、実業家にして資産家である父との約束で“1年間真面目に働く”フリをする為に、片岡直次郎の協力を得て超自然現象専門の探偵事務所をでっちあげたが、あに図らんや、再び依頼人が現れてしまう。嫌々ながらも重い腰を上げた太郎は、出なくなってしまった幽霊をまた出るようにしてほしい、という奇妙な依頼でスキー宿を訪れるのだが、そこに出たのは雪山に残った奇妙なシュプールと、露天風呂に浮かんだ死体。頭を剃り上げ、時計を二つにした女の死体は何者なのか? 出来る限り働きたくない太郎は、調査を直次郎に任せてコタツの中で「最長不倒距離」を決め込もうとするのだが、折しも豪雪で宿が下界から孤立してしまい……。

 『七十五羽の烏』に続き、物部太郎と片岡直次郎のデコボココンビが怪事件に挑む、長編ミステリ。
 旅館に出る幽霊の噂、癖のある宿泊客たち、雪山の不可思議なシュプール、風呂場から消えた男、死体に巻かれた二つの時計……軽妙洒脱な文章でテンポ良く謎を積み上げていく筆致は今作も巧みでしたが、謎の内の幾つかは割とパッとしない形で解き明かされてしまい、出来としては前作の方が好き。
 基本、謎は謎である間が美しく、解けてしまえば「幽霊の正体見たり枯れ尾花」となるのは、探偵の位置づけからして意図的なものであったのかもですが、個人的には、謎が解けた時に美しい飛翔が起きる物語が好きなので、そこはちょっと合わないところでした。
 上記作品と併読していた為に、タイミング的に面白かったのが、太郎と直次郎の以下のやり取り。


 「しかし、なんだって、所長にそんなことを聞かしたんでしょう?」
 「わからない。どうやってということはわかっても、なぜかはわからないっていったろう? なぜをつきとめるのは、大ごとだよ」
 「じゃあ、例のシュプールも、どうやってつけたかわかってるんですか?」
 「想像はつく。きみだって、わかるはずだ。わからないとすれば、無意識のうちに、なぜをいっしょに考えているからさ。もっとも、なぜがわからなければ、どうやってがわかったところで、あまり意味はない」

(※強調は、原文の傍点部分)

 劇中発言による「ミステリ」の要素の分解は、メタ的な視点も含まれているとは思いますが、HOWとWHYの関係、ミステリ小説を成立させる要素の考え方として、興味深かったところ。