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桜井姉にはノックが足りない

仮面ライダーギーツ』感想・第7話

◆第7話「邂逅6:ラスボスと缶けり」◆ (監督:上堀内佳寿也 脚本:高橋悠也
 まあ、ナレーションぽく見せて、あくまで桜井主観のモノローグではあるのですが、
 「デザイアグランプリの過酷な戦いによって、多くの参加者が脱落していった」
 典型的な、嘘は言っていないのに、そ、そうだっけ……? と思わず首をひねりたくなるオープニング(笑)
 実際、怪我もすれば命の危険もあるのは間違いないのですが、3-4-5-6と、怪人ポジションも登場せず、ジャマトの脅威よりもライダー同士の足の引っ張りあい重視だったのに加え、仮面ライダーとジャマト戦闘員の基本スペック差が大きい為に、通常戦闘における緊張感、プレイヤーに迫る命の取り合いの真剣みが不足しているのは、苦しいところ。
 何も人死にが出るのを好むわけではないですが、どうせシロクマとペンギンを使って、ほーらこんなハードな事をやるんですよー、とこれ見よがしに仕掛けるのならば、序盤にもう2、3人ぐらい、調子に乗っていたら雑魚ジャマトにやられてさっくり退場を描いて、デザイアグランプリの基本的な危険度、を強調しておいた方が良かったのではないかな、と。
 続けて「脱落」と「退場」の違いが振り返られ、これまでの成り行きも兼ねて妙に強調されるのですが、さっくり説明しておけば良かった要素を妙に引っ張った為に、あれこれテンポが悪くなっている気がしてなりません。
 「あなたは今どこに……」
 一方、コインを見つめながら物思いにふけるエース様の本命は、年上の女。
 「……母さん」
 違った。
 ラスボスが出現して緊急ミッションが始まるとタヌキは早速ステルスキルを成功させ、木陰に隠れてペンギンを見捨て、ゾンビといえども戦いにくいので人命救助を優先し、そんなタヌキのステップアップを丁寧に描いていくのかと思いきや、特にこれといった劇的な事は無いまま、ただなんとく戦いに“慣れていく”形になってしまったのは、個人的には非常に残念。
 もう少し、段取りを積み上げていって、自らの戦う意思を持っての「変身」を劇的に描いて欲しかったな、というわけでなかなか、上昇しない桜井への好感度。
 最終戦は、人間製エナジードリンクを飲んで巨大化していくサボテンジャマトとの缶蹴りゲームとなり、その勝利条件は、エナジー缶を蹴り飛ばしてサボテンジャマトを枯死させること。
 サボテンジャマトは、かつて仮面ライダーを全滅させ、デザイアグランプリを一つバッドエンドにした程のボスキャラであり、その悲劇は壊滅したジャマーエリアごと、この世界と人々の記憶から消し去られた、とエースは説明。
 やたらと訳知りなエースに対し、今更ながら桜井が周回数を問うと「西暦元年から」と答が返り……以前、第3話のラストで「かつてこの国も、争いの末に天下統一が果たされた」とエースがちょっとズレた事を言い出した時に、これ後々エース様が「俺の名は、ある時はローマのカエサル、ある時はうつけの信長、またある時は皇帝ナポレオン……その実態は!」とか言い出して、中盤以降、転生英雄大戦になるのでは……? とかちらっと思ったのですが、あながち、大外れでも無いかもという気がしてきました(笑)
 少なくとも、本能寺の変の真相はデザイアグランプリ!」とかはありそう。
 休憩時間になると、エース・ネオン・桜井・桜井姉が蕎麦屋で邂逅し、ラストミッションが進行する中、桜井が蕎麦屋の主人の無事な背中に決意を新たにするのは、良かったところ。
 「おまえが世界平和を望む理由、わかった気がするよ」
 「え?」
 「家族を失う痛みを知るからこそ、同じ想いをする人が、増えてほしくないもんな」
 桜井姉弟が、両親を事故で失ったと知ったエース様が笑顔で急に距離を詰めてきて、桜井、とっても困惑。
 見ている私も困惑。
 そして一夜が明け、サボテンジャマトにより無人と化した遊園地でゲームが再開すると、タヌキは念願のブーストを起動してバイクを召喚。
 「変身」の扱いが割と雑な代わりに、ブーストバックルを序盤における各ライダーの起爆装置に用いる発想自体は面白いと思うものの、その効果の程に関しては、いまいち盛り上がれず。
 ネコの時もそうでしたが、ブースト変身からの活躍を劇的にしようにも物語の積み上げによる助走距離が短いのでジャンプの飛距離が足りず、その原因はひとえに、仮面ライダーが多すぎる”――個々の助走スペースが取れない――に尽きると思うのですが、2-7話まで、実質6話で3人のライダーのステップアップを描こうとしたら、皆揃って、塩ひとつまみのうっすいスープにしかならないのも、むべなるかな。
 複数ライダー×共有装備、の使い方そのものは良いアイデアだと思うのですが、ギミックの処理件数が多すぎて登場人物の描写がダイジェストになりがちな近作ライダーのマイナス面と悪い意味で見事に噛み合い、それは退場ライダーのドラマは記号的に処理するしかないわけで、割と深刻に感じる八方塞がり。
 バイクを操り巨大サボテンの懐に飛び込む事に成功するタヌキだが、サボテンの全方位視界により缶を蹴る前に針攻撃を受けてしまい、生身の状態でジェットコースターのコース上を逃げるシーンは、なかなか迫力のアクションでした。
 容赦なく放たれる巨大針により、桜井ぐさっと串刺し寸前、飛び込んだギーツがそれを阻止すると、シークレットミッションの条件達成。
 「は?!」「え?!」
 道長とネオンは、幾らタヌキが突撃役を買って出たからといって、どうして生身でぼんやり佇んでいるのでしょうか……(緊張感も皆無なら、勝つ気も見えない)。
 「このゲームの攻略に、本当に必要なアイテムだ。ラスボスに見つかってくれて、サンキュ」
 ギーツの元にはレアバックルがドロップされ、ゲーム開始直後に、どうという事のないステルスキルでシークレットミッション達成を描いておいたのは、この伏線として秀逸でした。
 「…………俺をその気にさせたのは……そのアイテムを手に入れる為か」
 「また、化かされたな」
 割と本格的にひくひくしている桜井に向けてギーツは指でキツネをかたどり、突然のスマイルで歩み寄りには裏がありました、は納得(笑)
 「……そんなにゲームが楽しいか?! ……世界がピンチになってる、こんな時に!」
 桜井は激高し、利用されて重傷を負った事には怒って当然だとは思うのですが、それとエースが「ゲームを楽しんでいる」はいまいち繋がりが悪く(「ゲーム」だと思っているから「他人を利用できる」という発想なのかもですが、そういう桜井もDGPを「ゲーム」「ゲーム」と言っているわけで……)、そもそも「世界のピンチ」を「あくまでもゲーム」として扱っているのはDGP運営であり、その点についてこれまで一切ツッコんで来なかった桜井が、その矛先を急に英寿へと向けるのは、話の都合があまりにも丸出し。
 桜井はもっと早く、「神経衰弱とか言っている場合じゃないでしょ?!」とか「缶蹴りとかふざけてるんですか?!」と怒っておくべきだったのでは。
 ……この辺り、桜井の平凡よりやや上な善良さについて、いまいち真実みを感じられない要因の一つでもあったり。
 「世界は守る。理想の世界を、かなえるついでにな」
 ギーツは新たなバックルの手裏剣を回してニンジャギーツへと変身し(ニンジャが緑色なのは、狐面繋がりで『ニンニンジャー』ネタ……?)、以前にも書きましたが、どうにもギーツの「俺だけが知ってる攻略法」は、面白みを感じられません。
 「さあ――ハイライトだ」
 ニンジャギーツは、空蝉の術と分身の術を駆使するとライダー忍法・激熱十字手裏剣でサボテンに大ダメージを与えるが、その隙に蹴り飛ばしたエナジー缶は空中でキャッチされてしまい、ゲームクリアはならず。
 「おい。なんでニンジャバックルなんてものがあるって知ってた」
 「おまえらとはゲームの経験も知識も違うからな」
 英寿は「俺だけが知ってる攻略法」について開き直り始め、その部分を物語全体の謎に関わる伏せカードにしつつ、“主人公の強さの理由”としているのは、現代的といえば現代的なのでありましょうか。
 「もう信じないよ……君のことは」
 ようやく桜井が、エースとの価値観の相違を衝突にまで引き上げるも、バッタリ気を失って、つづく。
 うーん…………総合的な問題として、どうも作品として「世界のピンチに立ち向かう仮面ライダー達」はあくまで大前提として見せたいのかと思われるのですが、
 ・「世界を救え」「代わりに願いをかなえてやる」と集められたわけではないので、キャラクターの行動原理としては後から押しつけられたものでしかないのに、いつの間にか当然の責務にすり替えられている。
 ・雑魚ジャマト戦は基本的に《無双》シリーズ。
 ・ミッション中に頻繁に入る休憩。
 と諸々重なって、「世界のピンチ」=「「ミッション」に対する緊迫感」と、「ライダーたちの心構え」の双方を強く見せる仕掛けが大幅に不足している感。
 色々なアプローチはあるものとした上で、サバイバルゲーム的なるものの面白さの一つに「特異な状況(特殊なルール)下における限定空間をどう切り抜けるか」というのがあるとは思うのですが、ミッションとミッションの合間に日常を描くのは良いとしても、一つのミッション中にさえ繰り返し休憩を挟んで緊張感ズタズタになっているのは、少なくとも“ゲーム”の面白さは大きく削いでいる部分だと思います。
 そこは率直に設計ミスだと思うのですが――或いは、“ゲーム”の面白さ、だけで描き切る事を最初から諦めているというか――、物語の緩急への意識は必要にしても、総じて「緊張」と「弛緩」のバランスが後者に偏って悪く、大前提となる土台部分の緊迫感が保持できていない為、「世界が!」「願いが!」「ゲームか?!」といった劇中人物の感情が空回りして響いてこない感。
 次回――身内狙いでキャラクターの危機感を否が応でも引き上げてくるようですが、放てるか、タヌキック!