東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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冒険してラッパピーヤ!

恐竜戦隊ジュウレンジャー』簡易構成分析

 あれもこれも貯まりすぎているので、ひとまず、データだけ集めておいて総括と構成分析の叩き台にする作業をしておこうシリーズ。

◇演出
 東條昭平〔1.2.7.8.13.14.17.18.21.22.27.28.29.36.38.40.41.42.49.50〕:20本
 小笠原猛〔3.4.9.10.19.20.30.31.37.39.45.46〕:12本
 坂本太郎〔5.6.15.16.23.24.34.35.43.44〕:10本
 渡辺勝也〔11.12.32.33.47.48〕:6本
 雨宮慶太〔25.26〕:2本

 前作『ジェットマン』ではメイン監督に雨宮監督が抜擢され、間に新井清・簑輪雅夫 ・坂本太郎を挟んで、ローテ3番手を担当していた東條監督が、パイロット版とラスト2本を担当して、最多演出。3話持ち2回に加え、恐らくブライ登場の兼ね合いで〔東條→坂本→東條→小笠原→東條〕と一人だけ高速回転もこなしており、存在感の大きさを見せつけます。ちなみに、ブライ合わせの担当は、ブライ役の和泉史郎さんが現場に入りやすい配慮だったのかな……? と思うと、『チェンジマン』には参加していなかったというオチ。
 他、《メタルヒーロー》畑だった小笠原監督が、簑輪監督と入れ替わる形で《スーパー戦隊》初参加。坂本監督は前作から続投し、前作最終盤で簑輪監督の怪我により非公式デビューしていた渡辺監督が公式デビュー。

◇脚本
 杉村升〔1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.14.15.17.18.19.20.21.22.23.28.29.30.31.34.36.37.40.41.42.47.48.49.50〕:34本(※うち2本連名)
 荒川稔久〔13.24.32.38.43.44.46〕:7本
 高久進〔12.16.25.35.39.45〕:6本
 鷺山京子〔27.33〕:2本
 井上敏樹〔26〕:1本
 荒木憲一〔7.11〕:2本 (※共に連名)

 長く続いた曽田戦隊が終わり、井上『ジェットマン』を挟んでメインライターとなったのは、シリーズ初参加の杉村升。《メタルヒーロー》も加えると、『ジバン』『ウインスペクター』『ソルブレイン』 → 今作 → 『ダイレンジャー』『カクレンジャー』『オーレンジャー』まで、7年連続でメインライターを務める事となり、90年代前半、東映はまだ、とても東映なのでした。
 杉村さんは企画段階からかなり積極的にアイデアを出していったとの事ですが、それもあってか全体の約7割を担当し、特に前半は25本中の20本(!)を担当と、杉村さんのメイン仕事としては、かなり本数多め。序盤に荒木さんとの連名が2本あるのは、立ち上がり杉村さんへの負担が大きいので、プロット出しで協力してもらったりなどがあったのでしょうか。
 他、前作でシリーズ初参加した荒川稔久が堅実な仕事を見せ、高久・鷺山のベテラン2名が参加。高久さんと鷺山さんは、新風、という感じではないですが、《メタルヒーロー》関係の縁で、杉村さんと合わせやすい方を選んだとかあったのかもしれません。

 メイン回(判定は筆者の独断によります)は、以下の通り。 ※()内は、コンビ回。

ティラノレンジャー/ゲキ
 〔5.6.18.22.29.32.39.43〕:8(6)回
マンモスレンジャー/ゴウシ
 〔15.25.32.44〕:4(1)回
トリケラレンジャー/ダン
 〔7.12.14.26.28.33〕:6(2)回
タイガーレンジャー/ボーイ
 〔8.14.16.24.35〕:5(1)回
プテラレンジャー/メイ
 〔13.26.27.38〕:4(1)回
ドラゴンレンジャー/ブライ
 〔18.21.22.29.34.39〕:6(4)回
ドラゴンシーザー
 〔43〕:1(1)回

 立ち上がり、キャラ回の構築に手間取った今作、第1-6話でゲキをリーダーにしたヒーローチームを提示し、伝説の武器と巨大ロボを揃えた後、ダン→ボーイとセオリー通りにキャラ回に入ったと思いきや恐竜のタマゴが乱入し、片付いたと思ったら再びダン、とややちぐはぐな流れ。
 主人公ポジションのゲキは、一応、守護獣に悪夢を見せられ右往左往する大獣神誕生編をメイン回と数えましたが、本格的に焦点が当たるのはブライの登場を待つ事になり、装備とロボを強く押し出す一方で、キャラクター面ではかなりのスロースタートとなりました。
 ゲキに関しては、誰がメインとも言いがたい回では中心に立つ場合が多いのでキャラとして目立たないわけではないのですが、ブライ登場後はブライ登場後で、『高速戦隊ターボレンジャー』における、レッドターボ回=ヤミマル回、のパターン同様、ゲキ回=ブライ回のセット状態になり、個別のメイン回といえるものが消えてしまったのが、良し悪しとなる事に。そう見ると、ブライの問題を抱えつつ、サブリーダー・ゴウシとの関係を描いた第32話は、全体の中で良いアクセントとなりました。
 メイン回かどうかとは別に、劇中における扱いの良さでいうと、序盤はダン、後半はメイがフィーチャー傾向の印象ですが、この辺りは、事務所の意向とか人気が出たとか、メタ的な事情があったりはしそう。
 ボーイは演じる橋本巧さんが過去作品でレギュラーだった関係もあってか、基本、安定した扱い。
 初メインの遅さや回数からは不憫枠になりかけたゴウシでしたが、ごつい見た目とは裏腹に落ち着いた参謀役(唯一の知謀60台)、というおいしい立ち位置が後半にいくほど存在感を増した事と、終盤のメイン回である第44話の出来が良かった事で印象はプラス。
 また、チーム全体の話なのでメイン回には数えなかったものの、同じく最終盤の第46話でメイが大きく扱われており、この辺りはトータルのバランスを見て、脚本の荒川さんが気を配ったところであったのかも。
 「来年も、再来年も、その次の年も、誕生パーティ、やりたいから!」
 は、ジュウレンジャーがなんのために戦ってきたのか、をびしっと示してくれて、好きな台詞。
 シリーズ初の追加戦士となったブライは、メイン回の扱いではゲキと表裏一体を成すのですが、その中で、中盤の単独メインである第34話が、ブライのヒーロー新生を改めて描きつつ終盤の布石にもなっている良質回でありました。

 主なイベントは、以下。

 第4話 伝説の武器獲得
 第6話 大獣神誕生
 第9話 恐竜のタマゴ初登場
 第17話 ドラゴンレンジャー/ブライ復活 (※『恐竜任侠伝-第1部-』17-22話)
 第19話 ラミィ登場
 第20話 大獣神敗北
 第21話 ブライ独房入り・ドラゴンシーザー登場
 第22話 ブライと和解・剛龍神誕生
 第29話 サンダースリンガー獲得・獣騎神キングブラキオン登場 (※『恐竜任侠伝-第2部-』29-31話)
 第30話 大サタン襲来
 第31話 獣帝大獣神究極大獣神誕生
 第42話 ブライ死亡 (※『恐竜任侠伝-第3部-』40-42話)
 第48話 大サタン再臨
 第50話 大サタン消滅・パンドーラ一味、宇宙放浪刑に

 目を引くところだと、悪役側のテコ入れが第19話のラミィ登場しかない事。一応、第30話で大サタンが召喚されますがすぐに場外ホームランされますし、強化ゴーレム兵もすぐに順応されますし、基本、バンドーラ様が非常に有能かつ強大で、ジュウレンジャーが頻繁に全滅しそうになる為に、死にかけては強化を繰り返すヒーロー側が、ようやく最後の最後で、バンドーラ様に追いつき乗り越える、といった構造。
 シリーズ史としては、「2号ロボと追加戦士がセットで登場する」のが大きなエポックメイキングとなる今作、そこから別バージョン合体(剛龍神)となるのも初の試みとなり、シリーズ従来の意味でのスーパー合体(獣帝大獣神)が前座扱いで、要塞系メカとの超スーパー合体(究極大獣神)が特殊合体ではなく本命の真スーパー合体と位置づけられ、“新しい形”が一気に出てきたのが大きな特色。
 とにかく、悪役側をバンドーラ様の魅力で1年保たせる事ができた事により、ブライ編を適度に挟んでジュウレンジャーに焦点を合わせながら、「子供」「悪夢」という作品の二つの大きな軸を、“悪”の側の姿勢を変動する事無く1年間貫けたのは、大きな武器となりました。
 また、“頼れる助っ人”ポジションであるブライ兄さんが決してオーバーキル的存在ではなく、時と場合によってはジュウレンジャーの弱点として利用されてしまう事さえあるのが、バンドーラの有能さと、ブライの切なさと、 神の悪辣さ を印象づけて効果的に機能。
 最終的に、第9話で初登場の後、微妙に持てあましている感のあった恐竜のタマゴが、劇中の複数のテーゼをひとまとめにする役目を果たしたのは、お見事でありました。
 《スーパー戦隊》シリーズとしては新しい試みにチャレンジしつつ、非常にプリミティブな“悪”へのこだわり(幼年世代に突き刺さる、素朴で、原初的恐怖、といいましょうか)が上手くいった作品であったな、と。そしてそれを反転する、原初的な希望としての「生命」「夢」に恐竜のタマゴをもって着地してみせたのが、重ねて、お見事でありました。
 故にその新しい「生命」が、バンドーラという「悪夢」の象徴――「死」により生まれた存在でもある――を転向させるというのも、ロジックとしては非常に納得。
 “神と人との関係性”については物足りない部分もありましたが、総合的には1年間の物語の中で(特に後半になるほど)、何を拾って何を捨てるかの選択が上手く、風呂敷をきちんと折り畳めた作品であったかな、と思います。