東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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梅雨入り前の読書メモ

最近はどちらかというとゲームスイッチ

●『辛い飴』(田中啓文
 ジャズミュージシャン・永見緋太郎の事件簿シリーズ2冊目。
 謎解き小説というよりは、ジャズ小説ちょっとミステリ付き、の傾向が強いですが、今巻も佳作が並び、「酸っぱい酒」「辛い飴」「渋い夢」「淡泊な毒」「さっちゃんのアルト」が好みでした。

●『人魚と金魚鉢』(市井豊
 聴き屋シリーズ2冊目。「愚者は春に隠れる」がぼちぼちぐらいで、1冊めほどは引きつけられず。……短編集の順番としては、1本目は巻頭に持ってこない方が良かったかな、とは。

●『亜愛一郎の狼狽』(泡坂妻夫
 まるで役者のような美男子ながら、口を開けばどこかピントがずれ、やることなすこと不器用で格好がつかないカメラマン・亜愛一郎。見た目以外はいっけん冴えない亜なのだが、実は極めて優れた観察力と発想力の持ち主で、ふと目にした謎の真相にたちどころに辿り着く――何もない階段でしきりに転びかける資産家、離陸した気球のバスケット内部で射殺されていたコメディアン、誤字だらけの童話……果たしてそこに隠された真実とは。
 初・泡坂妻夫
 ちょうど、最近読んだ『変調二人羽織』(連城三紀彦)と同じく、デビュー作を含めて雑誌『幻影城』掲載作をまとめた短編集で、(もちろん作家性は違いますが)同時代の作品としては、『変調二人羽織』収録短編よりも、スッキリして読みやすい内容。
 これまでなんとなく読んでいなかった作家だったのですが、このぐらい読みやすいなら、他の作品も読んでみたいなと。
 後、今作を読んでみると、上記した<永見緋太郎の事件簿>シリーズは、主人公の少しズレた感じや謎との関わり方に共通項を感じてみたり。

●『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』(ウィンストン・ブラック)


 本章が扱う「中世の教会は科学を抑圧していた」というフィクションは、出所も議論の過程も、「中世の人々は地球を平らだと思っていた」という第2章のフィクションと密接な関連がある。
 まず、ともに全くの誤りであり、中世カトリックの教会の権威を失墜させ、当時のカトリック教会を攻撃しようとした近世と近代の著述家の手になる創作である。中世の教会が意図的に科学研究を抑圧したという証拠は何もない。既に示したように、主張を補強するために援用された主な事例であるヒュパティアの殺害とガリレオの異端審問はこれに該当しない。
 (中略)
 近世科学革命が(はじめて)現代科学を準備したと主張する研究者は、中世の科学者は当時なおアリストテレスの正しさに疑いをいれず、なお科学を聖書と整合させようとしており、再現可能な実験記録を残すことはなかったではないか、と即座に抗弁するだろう。なるほど事実である。
 ただ、ここで重要なのは、科学実験と進歩は、中世の教会とその文化を背景に、教会権威の承認を得ながら追求された、ということである。中世の科学は、宗教の潜在的な敵ではなく、より確かな神の知識に至る道とみなされていたのだ。

(第6章 中世の教会は科学を抑圧していた)

 無知と暴力に支配された、衰退と停滞の時代――人々は地球を平らだと信じ、教会は科学を抑圧し、庶民は非常に不衛生で腐った肉さえ食べていた……「暗黒時代」とも称される「中世ヨーロッパ」について広く伝播した数々のイメージは、その多くが正確な典拠に基づかない虚構である。
 では何故、その虚構は広まって歴史の実態とは異なる「中世主義」といえる観念を生み出すに至り、今なお、多くの人々の「中世ヨーロッパ」観に誤解を与え続けているのか……〔流布しているイメージ・それを広めた資料〕/〔歴史学における実態・その一次史料〕を順番に並べて中世ヨーロッパの虚構と真実を紐解き、
 大雑把にいうと
 ・そもそも約1000年を「中世」でひとくくりに扱う事に無理がある
 ・暗黒時代にあったとされている物事は、「ルネサンス礼賛」「反カトリック」などの視点・目的から後世の著述家により作り出された神話が数多い
 ・その際、ごく一部の事柄に触れた史料をさも中世全体の常識のように扱っている場合もある事に注意しなくてはならない
 といったスタンスが全体を貫いており、始めに「中世主義」メカニズムの総論と、それに対する著者の姿勢が示され、それから著名なフィクションの虚実について史料を紐解く各論になっているのが、読みやすい構成。
 単純に、歴史学の成果を以て「Aが虚構でBが真実だ!」とやるのではなく、「なぜ虚構Aはかくも世に広まったのか?」の背景分析から始まっているのが非常に飲み込みやすくて良かったですし、この「“中世ヨーロッパ”という暗黒神話」を「“歴史”として定着したデマ」と捉えると、人が真実を虚構で塗りつぶそうとする際の心性など、普遍的かつ現代的なテーマが内包されており、その点も興味深く読みました。
 また、中世主義をベースにしたゲームや映画も視野に収め、そういった意識的なフィクションに対してその全てを史実の観点から否定するつもりはないが、元々の作られたイメージに一定のバイアスがかかっている以上、そこに描かれるステレオタイプの取り扱いには注意する必要がある、という著者の視点が、通して好感を持てて良かったです。