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奇跡のキズナ 勇者のチカラ

『機界戦隊ゼンカイジャー』簡易総括1

 最終話感想で書いたように、『ゼンカイジャー』と私の波長がどこでズレてしまったのかを、作品の歩みを辿りながら検証してひとまずの総括にしようと思いますが、まず第一に、「一人の人間と四人のロボ」という幟を立てて始まったのに、いざ蓋を開けてみたら、ロボットではなく、そういう種族だった事。
 最初からだ!
 ……まあこれは作品外の要素ではありますが、近年は学年情報誌との関わりのみならず、インターネットを意識して事前情報を大々的に広めるのも、広報戦略として作品の立ち上がりに重要な要素となっているので、加えさせていただきます。
 で勿論、そもそも「「ロボット」とはなんぞや?」という要件定義が必要になるわけですが、今作の場合は「人間大から常にロボが大活躍」といった売り文句が存在していたので、そこで示される「ロボ」とは当然「従来シリーズにおける戦隊ロボ」を示していると考えるのが妥当であり、その定義においては今作のキカイノイドは、「ロボ」とは言いにくいだろう、と判断します。
 ではそれが作品にとってマイナスだったのか?
 と考えるとこれは難しいところで、キカイノイドが非人間的な存在ではなく、ニンゲンと同質な別種族であり、仲間達も(当初は)従来の戦隊メンバーと同レベルの扱いを受ける事により作品が“見やすくなった”面は間違いなくあるのですが、一方で、常にロボットが活躍している、とは全く言いがたい状況は、大々的に掲げた作品コンセプトから羊頭狗肉となって、以後、今作に対する、拭いきれないしこりとはなってしまいました。
 何回か書いたかもしれませんが、個人的に事前情報の段階では、かつての《メタルヒーロー》シリーズにおける、『ビーファイターカブト』が終わって『ビーロボ カブタック』が始まった……ぐらいの作風の転換、既存ファンが離れるのも辞さない姿勢での《スーパー戦隊》像の更新もあり得るのでは、と覚悟していたので、結局そこまで思い切った作りにならなかったのは、上述したように“見やすく”はなり、一面で妥当ではあると思うものの、どこか煮え切らないものは感じたところです(『ゼンカイ』に関してはホント、私の好みと全く合わなくても、商業面での活路が開けてくれればそれでいい、と思っていたので……)。
 この後続けて、ゼンカイオー問題が浮上するのですが、これは私個人の“ズレ”というよりも、設計的問題点なので先に進みますと、次に出てくるのが、「見た目ニンゲンだから戦闘を躊躇する」ステイシー&ガオーン問題。
 これは、自分と同じ姿をした生き物は撃ちにくい、という点では一定の納得がいくものの、「一ヶ月の間、良き隣人として交流してきたキカイノイドは、仲間に入れてもなお、躊躇なく撃てる」という介人の射殺基準そのものに深刻な不都合を生じさせる事に。
 元より、登場人物の背負うキルマークについて《スーパー戦隊》シリーズは伝統的・意識的に緩めで、“悪”の側に所属していれば見た目や種族と関係なく殺害OKな一方で(この緩和策として、怪人ポジションを異種族ではなく人工的な戦闘生物とするなどの対処が採られる場合はあり)、その逆に、どんな見た目や種族でも心を通い合わせられる可能性はある、というのが、一種の単純化だとしても寓話として大きな武器になっていたのですが、どこまでの思惑があったのかはわからないものの今作はそこに切り込んだ結果として、武器を弱点に変えてしまった上に、結局それを挽回できなかったのは、大きな失点になりました。
 これは更なる負の連鎖として、トジテンドではないとはいえ略奪を働く世界界賊と話し合おうとする主な理由が、ゾックスが見た目ニンゲンだから、に見えてしまう事となり……そうではない事を示す為にも、複数世界の出会いのテーマ性からも、ゾックスは着ぐるみキャラ(カイゾクマン、みたいな)に出来なかったものか、と思うところ。
 恐らく、現行シリーズが“若手役者の登竜門”として見られている事そのものが、番組制作にとってプラスに働くカードとして切り捨てられない事情はあったのでしょうが、追加戦士枠を普通に人間としてしまった事は今作の煮え切らなさを象徴するようであり、ゾックスへの好き嫌いとか、どちらがより面白くなっただろうか、とは別に、私の中で作品との間のズレの一つとなりました。
 それから、ステイシーザーの能力として、暗黒戦隊を召喚しては使い捨ての障害物扱いするのにどうしても抵抗があり、ずっと引っかかっていたのですが、作品としてはその後どんどん、ゼンカイジャーも含めて過去戦隊の扱いが適当さを増していく事に。
 この点は回を進めるごとに明確に好みのバランスから離れていった点であり、その末の最終回1話前には、どうにも素直に受け止めがたいものがあります。
 全力全開王含めて、基本的には、そこは複雑に考えないで下さいポイントなのでしょうが、それなら最後の最後になって突然、“ゼンカイジャーが力を取り戻す要因”として作品のコア要素でした! みたいにしたのは、筋が悪かったなーと。
 ……振り返ってみると、序盤の段階で打たれていた悪手が後々まで尾を引いていたのが浮かび上がってきますが、そう見ると今作は私にとって、落とし穴を辛うじて回避しているように見えていたが、実はずっと前に落ちていた事に最終盤ではたと気付かされる羽目になった作品、であるのかもしれません。
 なんだか、1クール目を振り返った段階で、波長のズレに関する結論が出てしまいましたが、第14話(白と金がフェイク決闘をして紫がまんまと出し抜かれて涙目になる回)感想の時点で、


 こと〔ゼンカイジャーと界賊一味〕の関係を見た時に、介人以外の4人が実質おまけ扱いになってしまっているのは、気になるところ。

 と書いていて、その後ずっと解決されなかったのだな、と改めて(笑)
 作品としては、第23話でバトルシーザーロボ2世を撃破して一山越えた後、集団ドタバタ路線とステイシー頼りのストーリー進行が加速する事になり、《戦隊》改革の一つとして「キャラ回にこだわらない構造」は、着ぐるみメンバーが主体の今作だから出来た挑戦ではあったのでしょうが、ではその、キャラ回による積み重ねの無い戦隊をどうまとめるのか? の構築がスポッと抜け落ちてしまったのが、最後の落とし穴。
 結果として、メンバー個々に持たせていたテーマは掘り下げられないままラスト3話で心情面だけを押し込む形になってしまい、悪くはないが可燃性不足で消化不良、という形に。
 『ゼンカイジャー』としては最終的に、ジュラン達も、ゾックス達も、神様も、介人が「おもしれー奴だから」動いたのだと、介人こそが中心部にそそり立つ矢印↓であった事を再確認してまとめられるのですが、ではその介人が「過去戦隊」にどう向き合っていたかというと全く興味が無かったわけで、介人の中心性と、ラスト1話前の題材が全く噛み合っていないのは、今作が「作品の文脈に沿った新しいまとめの作法」不在のまま最終章に突入した事で発生した分裂であったのかな、と思います。
 《戦隊》の様式美の一つ(名乗りからの揃い踏み)に徹底してこだわる事で逆に、総体の様式にくさびを打ち込もうとした今作が、その最後に来て『ゼンカイ』の様式を見失った、或いは、構築しきれなかった、のは少々皮肉でありましょうか。
 (ちなみに、過去の先輩達に一番敬意を払っていたのはジュランなのですが、そのジュランの存在感がラスト3話で物凄く減るのはなんだったのでしょうね……)
 当初掲げた看板通りに「一人の人間と四人のロボ」を主題とするなら力強くキャラ回をやっていけば良かったと思うし、その環境を活かしたドタバタ騒ぎを主流にするのなら、その流れにふさわしいクライマックスを用意するべきであったと思うし、どちらもどちらの面白さがありながら、どちらの面白さにも突き抜けきれなかったのが、どうにも生煮え感。
 様々な陥穽を孕みつつも、道中のアイデア回では色々と突き抜けた事をやっていたのに、それが全体へと繋がってこない着地点が、今作につきまとう部分と全体の不調和をますます強く感じさせ、個人的には最終回の悪くはないが心に響いてこない周波数のズレを生んでしまうに至りました。
 好きな回は色々あり、父ちゃん奪還編は会心の出来で、《戦隊》としてどの面白さを採るのか、の取捨選択を繰り返してきた作品だとは思うのですが、どこかその迷い――究極的には、シリーズそのものの在り方に対する自信の無さ――が滲み出て、これが2021-2022最新の戦隊だ! を力強く掲げきれなかった印象です(故に今作の最終回には、物語としての「通過点」のイメージ以上に、作品としての「到達点」のイメージが湧かないのも、生煮え感の理由の一つかも)。
 スーパー戦隊は今のままでいいのか?
 という問題意識は必要なものだろうとは思うのですが、それはそれとして、送り出した作品においては、スーパー戦隊が好きだ! をポーズでも貫いてほしかったし、
 スーパー戦隊が好きか?
 勿論!
 とノータイムで答える身としては、そこが、最もズレてしまった部分であったかもしれません。
 次作『ドンブラザーズ』は、前情報や予告を見る限り、今作を踏まえて更に先へ進もうという意識は感じられるので、どう転ぶにせよ、これが最新の戦隊だ! を力強く感じられる到達点に行き着いてくれれば、と思います。

 ……えー、作品と自分との間のズレを辿っていたら、ネガティブな要素の洗い出しみたいになってしまったので、別項でもう一つ、『ゼンカイジャー』の好きだったところを、簡易総括2として、おまけ的にまとめたい予定。