東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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「なに? おまえ、赤じゃないのか?!」

戦隊レッドの系譜を雑に振り返る

 これまたリハビリ企画的なものです。資料としている作品は、最後まで見ている作品のみなので、抜けがあります。

1970~80年代


ジャッカー電撃隊』 スペードエース/桜井五郎 ――完璧超人型
科学戦隊ダイナマン』 ダイナレッド/弾北斗 ――完璧超人型
電撃戦隊チェンジマン』 チェンジドラゴン/剣飛竜 ――完璧超人型
超新星フラッシュマン』 レッドフラッシュ/ジン ――準完璧超人型
光戦隊マスクマン』 レッドマスク/タケル ――準完璧超人型
超獣戦隊ライブマン』 レッドファルコン/天宮勇介 ――準完璧超人型
高速戦隊ターボレンジャー』 レッドターボ/炎力 ――準完璧超人型

 「完璧超人」は「優等生」と言い換えてもいいですが、オリンピック近代五種競技の金メダリストで強い正義感の持ち主・桜井五郎、科学者にして剣の達人・弾北斗、軍人として鍛え抜かれた肉体と戦術眼に不屈の精神を併せ持つ転落の匠・剣飛竜、と80年代スタンダードともいえるハイスペックな文武両道タイプ。
 「準」は、“ヒーロー像”としてはスタンダードな完璧超人型をベースにしているが、「作中の描写からスペックがやや低めに見える」ジン・力、「崩しを入れようとしたが結局は完璧超人型から抜け出しきれなかった」タケル・勇介と、いずれも80年代後半に入っての試行錯誤が窺えるレッド。
 特に『マスクマン』以降は傾向が顕著で、レッドマスク/タケルは、「恋愛が絡むと敵前逃亡も辞さない」「子供の夢にゴッドハンド!」など従来の戦隊リーダー像を意識的に崩そうとしていて、戦闘力特化に近いステータスも後の直情型レッドのはしりといえますが、物語が進むにつれて“いつも通り”に塗りつぶされる事になってしまったのは、惜しまれるところです。
 レッドファルコン/勇介も自身でパワー型を自称しているように、文武両道よりは武に偏ったキャラ付けになっているのですが、あくまでも、「(世界中から天才を集めた)科学アカデミアの下の方」でしかないので頭脳も充分に優秀で、今作のコンセプトの一つである「戦う力を戦士メンバー自らが作成」の都合により、完璧超人タイプからは抜け出せない――むしろ、より古いタイプに戻っているともいえる――事に。
 心機一転した『ターボレンジャー』では、戦士メンバー全員を高校生とする事で、その“若さのパワー”と表裏一体の“未熟さ”を与えようとしたのですが、全体的にキャラの掘り下げは弱く、結局は優等生に収まってしまったのは、当時の作り方の限界も見えてくるところです。

1990年代


地球戦隊ファイブマン』 ファイブレッド/星川学 ――完璧超人型
鳥人戦隊ジェットマン』 レッドホーク/天堂竜 ――準完璧超人型
五星戦隊ダイレンジャー』 リュウレンジャー/天火星・亮 ――直情型
超力戦隊オーレンジャー』 オーレッド/星野吾郎 ――完璧超人型
激走戦隊カーレンジャー』 レッドレーサー/陣内恭介
電磁戦隊メガレンジャー』 メガレッド/伊達健太 ――直情型
星獣戦隊ギンガマン』 ギンガレッド/リョウマ ――準完璧超人-欠落型

 長く続いた曽田戦隊の最終作となった『ファイブマン』では、開き直ったかのような完璧超人型に回帰。文武両道にして精神的支柱でもある長兄リーダーが描かれるも、終盤に入ってその“長兄ゆえの苦悩”が存在していた事に触れられるのが現代的なキャラクターの陰影に近づくのですが、作品トータルではスタンダードの枠に収まる事に。
 こうした80年代後半における数々の模索を踏まえ、「ヒーロー性」そのものの低減、に切り込んだ『ジェットマン』では、“完璧なリーダー”であろうとするも本質は“優秀な兵士”にすぎず、自らを「完璧超人」であろうともがく「準完璧超人」レッドホーク/天堂竜が誕生し、ここで天堂竜がたらんとする(そして仲間に強いる)“理想の戦士”像がすなわち(多少の温度差はありますが)“80年代戦隊ヒーロー”そのものである、というメタ要素を持ってして、「《スーパー戦隊》における「ヒーロー」とは何か?」を突き詰める事に。
 そして、“行動原理の根幹にある私情を自らにも覆い隠す”為に“公の正義の化身たらんとする”天堂竜の狂気もまた、80年代ヒーローの抱える狂気をメタ的に浮き上がらせているのですが、「公私の激突」という『マスクマン』『ライブマン』が作品設計の中に持ち込みつつも「ヒーロー性」の維持の為に消化しきれなかった要素を、「ヒーロー性」をより低減させる事によって取り込みに成功したのが、戦隊ヒーロー像を次の段階へ進めた、といえるかもしれません。
 『ジュウレンジャー』見ていないので一つ飛ばして、リュウレンジャー/天火星・亮は、戦闘力特化型にして“ヒーロー未満”の部分をより強調したレッドマスク/タケルの90年代的発展系といえるのですが、「直情型」はひとまず、「考えるより先に動く傾向が強いタイプ」ぐらいの大雑把な感じで。……「突撃型」でもいいかも。
 天火星・亮は、歴代でもかなりヒーロー度を思い切って下げたタイプといえますが、素の性向が割と駄目人間、はこの後、レッドレーサーやメガレッドに繋がっていく事に。
 作品そのものが懐古的要素を持っていた『オーレン』における、帰ってきた完璧超人・オーレッド/星野吾郎を経て、レッドレーサー/陣内恭介は、指標としての単純なカテゴライズがし辛い割と厄介なキャラなのですが、あくまでも「一般市民」をベースに行動し続けるのが、割と歴代でも異質なレッドでありましょうか。……猿顔の系譜の祖とはいえます。
 メガレッド/伊達健太も割と異質で、「長所が一杯あって、愛嬌(弱点)としてのこんな短所が」でも「短所が強引に長所のようにされる」でもなく「短所がいっぱいあるけど、でもこんな長所が」といった描かれ方は戦隊レッドとしては珍しい印象で『カー』『メガ』は、等身大路線、とでもいえるでしょうか。
 そこからガラリと切り替わるのがギンガレッド/リョウマで、万事優れた能力を持つが(「準」扱いにしたのは劇中にヒュウガが居る為)生い立ちなどから大きな欠落を抱えており、それが物語の筋と密接に絡む構造は、この後も小林戦隊の基本形(『タイム』『シンケン』『ゴーバス』)となっていきます。

2000年代


未来戦隊タイムレンジャー』 タイムレッド/浅見竜也 ――完璧超人-欠落型
百獣戦隊ガオレンジャー』 ガオレッド/獅子走
忍風戦隊ハリケンジャー』 ハリケンレッド/椎名鷹介 ――直情型
爆竜戦隊アバレンジャー』 アバレッド/伯亜凌駕 ――メンタルモンスター型
特捜戦隊デカレンジャー』 デカレッド/赤座伴番 ――直情型
魔法戦隊マジレンジャー』 マジレッド/小津魁 ――直情型
轟轟戦隊ボウケンジャー』 ボウケンレッド/明石暁 ――完璧超人-メッキ型
獣拳戦隊ゲキレンジャー』 ゲキレッド/漢堂ジャン ――直情型
炎神戦隊ゴーオンジャー』 ゴーオンレッド/江角走輔 ――直情型
侍戦隊シンケンジャー』 シンケンレッド/志葉丈瑠 ――完璧超人-欠落型

 ガオレッド/獅子走は私の中でちょっと難しい位置づけで、直情型の熱血漢といえば熱血漢なのですが、意外と割り切りが速かったりドライな一面を見せたりで、掴みづらいキャラ。少なくとも00年代のスタンダードとなる熱血・直情・単細胞とは一線を画している印象であり、その系統のはしりは90年代のキャラを踏まえた上でハリケンレッド/椎名鷹介になるのかなーと。
 この両者の違いを考えると、獅子走は「子供っぽさ」が少ないところがポイントなのかもしれません。椎名鷹介の方はどこか「子供っぽさ」が抜けきらないのが、その後の直情型レッドに共通する要素といえますし。
 で、直情といえば直情だけど、どちらかというと狂気に近い善良さと前向き思考を持った無敵メンタルが主体に思えるのがアバレッド/伯亜凌駕。主人公属性としては多かれ少なかれ持ち合わせている要素ではありますが、それが極端な印象。また、「子持ちヒーロー」であるので、そこが直情路線でも少し違って見える部分なのかもしれません。
 かなりストレートな直情路線を二人挟んで、10年ぶりに帰ってきた人間的圧力の強い完璧超人……かと思ったらそうでもなかったのがボウケンレッド/明石暁でありますが、はがれ落ちていくメッキを、登場人物と視聴者の共有する面白さとして、愛され系レッドへとコンバートしたのが、『ボウケン』の上手いところでありました。
 ゲキレッド/漢堂ジャンは、直情型は直情型でも生い立ちに事情のある野生児路線の変化球(直情-欠落型、といえるのかも)。
 ゴーオンレッド/江角走輔は、作品の方向性と合わせて、00年代戦隊の集大成といえる、直情・単細胞がその突破力でメンバーを引っ張っていく系レッド。
 そして、レッド総攻めだった『タイムレンジャー』から始まった00年代戦隊は、レッド総受けの『シンケンジャー』で閉じる事となり、共に小林脚本による「完璧超人-欠落型」レッドとあいなるのですが、『シンケンジャー』ではそこに宇都宮P作品に通底して見える「戦い続けるヒーローはやがて悪と同質化していく」テーゼが加わる事に。
 恐らく宇都宮Pの中の最大の「悪」観念は、外部ではなく内部に存在しているものであり、いわゆるフォースの暗黒面だったり、『ギンガマン』における黒騎士の復讐テーゼの発展系だったりともいえるのですが、そんな、己の中に内在する悪との対面を果たす戦隊レッド、はシリーズにおいてありそうで無かったドラマとなりました(ただ、《スーパー戦隊》としては突き詰めにくいテーマだったのか、『トッキュウ』でも『ルパパト』でも中途半端な部分が出てしまい、宇都宮Pの悪い癖になっていた面もあったりは)。

2010年代~


天装戦隊ゴセイジャー』  ゴセイレッド/アラタ――バランサー型
海賊戦隊ゴーカイジャー』 ゴーカイレッド/キャプテン・マーベラス ――完璧超人-欠落型
『烈車戦隊トッキュウジャー』 トッキュウ1号/ライト ――メンタルモンスター型
手裏剣戦隊ニンニンジャー』 アカニンジャー/伊賀崎天晴 ――直情型
動物戦隊ジュウオウジャー』 ジュウオウイーグル/風切大和 ――完璧超人-欠落型
『快盗戦隊ルパンレンジャー』 ルパンレッド/夜野魁利 ――策士型
『警察戦隊パトレンジャー』 パトレン1号/朝加圭一郎 ――直情型
『魔進戦隊キラメイジャー』 キラメイレッド/熱田充瑠 ――

 以前に別企画でも触れましたが、ゴセイレッド/アラタは歴代でも特異な、周囲がよく見えていて判断力に長け、際だったカリスマ性を持っているわけではないがメンバー間の関係を取り持って物事をスムーズに進めていくバランサー…………てこれあれだ、不滅の牙に欠けているスキルだ!!(笑)
 目の付け所は面白かったものの、長所ばかりを取り上げて短所を描かなかった事でキャラクターとしては都合が良くなりすぎたのが、残念だった点。
 ゴーカイレッド/キャプテン・マーベラスは、よくよく考えるとハイスペックだけど、万事に雑な言行で“完璧超人に見えない”描写をしており、この年代に入ってくると様々な面で複雑化が進んで、敢えて類型化したカテゴライズも段々とやりにくくなってきます。
 また、完璧超人型リーダーの減少にともない、なぜそのレッドが皆を引っ張っていけるのか? 役割としてのリーダーでは無い場合も物語の中心に立っているのか? の理由付けへの意識が90年代後半には見えてくるようになり、尺の増加や求められるドラマ性の変化に応じて重視されるようになっているのは、00年代~10年代にかけての傾向でしょうか。
 これはマイナスに働く場合もあって、特に「レッドを中心人物に位置づける為に、短所を無視するか長所のようにすり替えて、劇中で指摘されなくなってしまう」問題が何度か発生しましたが、10年代後半からは香村純子がメインライターに入った事により、「個人の抱える問題点をこそドラマに組み込む」作劇が丁寧に行われて、全体としても傾向が緩和されてきたように思われます。
 香村作品は、初メインライターとなった『ジュウオウジャー』のジュウオウイーグル/風切大和は、「完璧超人-欠落型」で小林靖子の系譜といえますが、続く『ルパパト』では、W戦隊の利を活かし、アウトローな策士型レッドのルパンレッド/夜野魁利が誕生。そして、直情径行だが頭は良いパトレン1号/朝加圭一郎により、性質と頭脳は別のものとして明確に描かれる事に。
 勿論それは、年間で複数のライターが参加する事が通例に基づく書きやすさや、主要な視聴者層を意識した上で意識的に行われていた単純化など《スーパー戦隊》の事情にもよるものなのですが、《戦隊》キャラクター像に確かな一石を投じる事となりました。
 この点は最新作『機界戦隊ゼンカイジャー』における、暴走特急のようでいながら他者の心情に寄り添う想像力を持ったゼンカイザー/五色田介人についてもいえ、香村作品の一つの特徴といえるかもしれません。
 それを成立させる為のバランス感覚が優れているが故に、他の脚本家には動かしにくいキャラクターが生まれてしまう善し悪しが、小林靖子と同じ轍を踏んでいるのはなんとも因果でありますが。
 キラメイレッド/熱田充瑠もカテゴリしづらいキャラクターで、敢えて言えば「柔らかい直情型」というか、割と前のめりなのを子犬系キャラで上手く脱臭しているというか、系譜としてはゴセイレッド/アラタに近いのですが、周囲が年上の知性派揃いなのでチームバランスを取るという程でもなく、やはり「不思議な方」が言い得て妙でありました(笑)
 ……考えてみると、「年下系レッド」がそもそも希少なので(他はマジレッド/小津魁と、せいぜいゴセイレッド/アラタぐらいか)、そこも変化球イメージの強まる要素でしょうか。

 そんなわけで、抜けもあるので正確さには欠けるなりに、ざっくりと戦隊レッドの描かれ方を辿ってみましたが……80年代のスタンダードといえる優秀なリーダー型から徐々に離れようとする試行錯誤の末に、90年代に入って『ジェットマン』で「ヒーロー性」に大きく切り込まれた後は、アンチヒーロー的な要素を交えた実験的な要素が幾つか見られるように。
 そして恐らくは『メガ』中盤から尺が伸びた影響で、「主人公(レッド)の抱える欠落を軸としたドラマ作り」が『ギンガ』で可能になった一方、00年代には《仮面ライダー》との差別化の為かシンプルな熱血漢がトレンドに。
 10年代に入るとそれらを踏まえつつ、アレンジ傾向が強まっていく、といった感じでしょうか。