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人の領域の外にて

ウルトラマンコスモス』感想・第36話

◆第36話「妖怪の山」◆ (監督/特技監督:原田昌樹 脚本:武上純希
 山村のミニチュアとか幻想的な満月の夜とからくだ便のトラックとか、導入から激しく原田監督テイストで、再登場のヤマワラワに木の実を与えているのは、以前のヤマワラワ回のEDで意味ありげだった旅館の女将でしょうか。
 好奇心からトラックの荷台に乗り込んでしまったヤマワラワは、オクヒダカ村で大猿と誤認されてアイズへ連絡が入るが、
 ナレーション「その頃、突如出現した怪獣マハゲノムの為に、アイズ司令室はてんてこまいの忙しさでした」
 ……どう見ても、巨大な鬼です。
 催眠弾が通用しない鬼怪獣は戦車隊の砲撃を受けて逃走し、人員の都合でオクヒダカ村へ単独調査に向かったアヤノは、子供達が匿っていたヤマワラワを発見。
 「この子を捕まえに来たのね」
 「……いやいや、ち、違うわ! ヤマワラワの為になるように保護して――」
 「そんなこと言って、チームアイズに連絡して、どっかの島に連れて行っちゃうつもりなのね」
 ここまで、BGMといいテンポといい、今回はゆるーく行きます、とコミカルに進んでいた中に、さらりと重い命題が。
 この点は非常に難しく、下手に入れるとややこしくなるので初回以降は触れていないのは仕方ない面はあると思うのですが、そもそも、「鏑矢諸島に連れて行く」のは「殺されるよりマシではないか」といった対処療法であり、真に解決すべき課題はその先にある点を、『コスモス』として完全に無視しているわけではない事を示してくれたのは良かったです。
 ある意味、こういう回だからこそ、主題ではない部分にさりげなく放り込めた部分もあったでしょうか。
 子供達に受け入れられたアヤノ――帽子を取られた代わりにゴムを貰って髪型を変えるのは、現世と異界の間をつなぐ中間的存在としての両義性を有した「子供」に近付く(やつす)行為として、興味深い描写――は獰猛な大猿と誤認された猟友会に追われるヤマワラワを匿うが、オクヒダカ村に鬼怪獣が迫ると、それを目にしたヤマワラワが巨大化し、始まる妖怪大決戦。その光景は村に伝わる伝説の内容に酷似しており、村人の声援を受けるもヤマワラワが殴り倒されると、更なる神威としてコスモスが降臨。
 コスモスもまた投げ飛ばされるがヤマワラワが加勢に入り……まあ、どうして戦っているのかよくわからないのですが、それもあっての、明らかな「鬼」すなわち「祓うべき邪悪」がすんなりと飲み込めるデザインでしょうか。
 立ち直ったコスモスがコロナを発動して鬼怪獣とぶつかり合うと、ヤマワラワは神楽を舞い始め、自らの中に鬼を封印。
 コスモスは空へ、子供達に見送られたヤマワラワは山へ帰っていき、味のある着ぐるみを活かした子供達とのユーモラスな交流、そして「現実」と「別離」を経験しての子供達の確かな成長が描かれて、つづく。
 村人のアヤノへの対応など、若干、緩すぎて引っかかる部分もありましたし、鬼怪獣への対処法そのものは『コスモス』世界のルールを外れた所で解決してしまっているのですが、ナレーションさんのですます調による“語り聞かせ”の強調など(武上さんがメインライターを務めていた『ガオレンジャー』で用いていた劇作でもあり)導入から“そういう話”としての独立性を高めて描き、元来、「自然」と「文明」の相克を「怪獣」そして「怪獣保護」によって寓意する『コスモス』に、「人」と「人ならぬもの」の領域の物語を重ねたのが綺麗に嵌まって、なかなか楽しめる一編でした。