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時よ進め、世界はそれでも美しい

仮面ライダーアギト』感想・最終話&簡易総括

(※サブタイトルは存在しない為、筆者が勝手につけています。あしからずご了承下さい)
◆最終話「今日もまた良き一日を」◆ (監督:長石多可男 脚本:井上敏樹
 「小沢さん…………やっぱり僕には出来ません。このまま帰るなんて、僕には」
 東京を飛び立った筈の飛行機に搭乗していなかった氷川は小沢の元に戻り、土のエルに苦戦するアギトはバーニング。その拳にタイトルがかかって、最終話。
 アギト出現の報にGトレーラーが出動し、太陽光を浴びて超力招来したアギトはシャイニングすると、二刀を振るって土のエルをまさかの瞬殺。アギトはその魂魄を追ってバイクを走らせ、完全にヒロインレースを脱落した真魚ちゃんは、菜園の野菜が壊滅して大ショック……は、不吉の前兆を煽るだけに終わって(しかもあまり効果的でもなく)、真魚ちゃんがちょっと可哀想……というかこれは、ヒロインレース敗北のお知らせだったのでしょうか。
 黒の青年から宇宙エナジーを受けて再生した土のエルは長剣を取り出し、更に風のエルも登場。
 アギトを追ってどこまでも走り続けるGトレーラーは小沢&氷川の強襲を受け、いきなり銃を抜いたぞこの女(笑)
 「きっと……来ると思っていましたよ」
 どういうわけか北條さんは氷川くんに微笑を向け、最終的に、北條さんが抱えていた迷い(巨視的にはともかく、現状において“人間”を見殺しにするのは、決して北條さんにとっても本意ではないわけで)を、“帰ってきた英雄”氷川誠が断ち切った、という形に。
 北條が本部との通信を切って退出すると、復活の氷川G3-X出撃シーンが大変ヒロイックに描かれて第1話のプレイバック的な趣向となり、前作『クウガ』には存在しなかった“仮面を被る”ライダーを描く事の、意味性の強さを改めて感じます。
 第47話以降、物語の主軸から遠くへ弾き飛ばされてきた氷川くんが彗星のごとく華麗に舞い戻る一方、友情と仕事を手に入れて充実生活に踏み出した筈が、またも悲劇に見舞われた涼は、最終話にして、浜辺に打ち上げられていた(笑)
 ……さすがにちょっと可哀想だと思うわけですが、どうにも最終局面に来て、涼(ギルス)を持て余した感じが出てしまいました。
 真魚ちゃんのパワーで復活後は虚弱体質も改善して、しばらくは涼格好いいターンが続いていたのですが、あかつき号関係の要素が終わってしまうと、物語の主題により近い位置に居るのは、やはりG3ーXという事に。アンチ超人類、と関わればまた違ったでしょうが、そうすると更に1クールは必要になりますし……翔一×可奈と対比する形でフォーカスされましたが、それが結局、孤高の強調に帰結するのは、なかなか辛い。
 一方、風と土のエルに囲まれたアギトは変身解除に追い込まれ、気を失った翔一にトドメが迫った時、神をも恐れぬ“英雄”が、竹藪もとい聖地に駆け付ける!
 「無駄な事を。あなたはただの人間だ。人の力では、何もする事は出来ません。人間の運命は、私の手の中にあります」
 ――その 誰もが 諦めそうな 何かに 立ち上がる
 だが、決して逃げない男は「ただの人間」として運命へと立ち向かい、不器用のパワーでダブルエルを相手に善戦を見せるも黒の青年の介入で吹き飛ばされ、そこへ走り込んでくる一台のバイク。
 「しっかりしろ! 津上! 氷川!」
 あ、ちゃんと氷川くんの事も呼んでくれた(笑)
 「俺は……不死身だ!」
 完全に昭和な事を言い出した涼が強化ギルスへと変身すると、翔一とG3-Xも立ち上がり、この間、ひたすら、ふわふわ浮いているだけの謎の青年(笑)
 正直、バトル的には大変苦しい最終回なのですが、思えば昭和も“悪”を観念的に描きすぎてラストバトルが映えない事はあったので、ある種の伝統芸とはいえるのかもしれません。
 「人の運命が、おまえの手の中にあるなら……俺が、俺が奪い返す! ――変身!!」
 アギトもいきなりシャイニングすると満を持しての処刑ソングでクライマックスバトルに突入し、グレネードとダブル踵落としの連携攻撃で風のエルは爆死。シャイニングのダブル紋章キックで土のエルも爆死し、残るは黒の青年のみ。
 その場から浮かび上がった黒の青年は黄金の光球と化すが、それを追いかけるように飛び上がったアギトが渾身のキックを打ち込み……空中で大爆発。
 「津上ーーー!」
 「津上さーーーん!」
 そして世界には、光の粒子が降り注ぎ……沢木邸に姿を見せた黒の青年は、自分が関与する必要はなく、いずれ人間自身がアギトを滅ぼすだろうと沢木に告げる。
 「いや。あなたは人間を創りながら、人間の事を何も知らない。……人は、アギトを受け入れるだろう。人間の無限の可能性として」
 「……では、見守ってみましょう。あなたの言葉が……正しいかどうか。人間とはなんなのか。もう一度。……この目で」
 「……ああ。……きっと俺が……勝つさ!」
 黒の青年は消え去り、晴れ晴れとした笑みを浮かべた沢木は床に崩れ落ち、中盤、人間の可能性を試す名目で亜紀や相良の運命をねじ曲げていた事を考えると、満足げに退場して良いのだろうか感はなくもないのですが、今作においては「力」はあくまで「力」であり、“与えた者”よりも“振り回された者”の方が悪い、という点はシビア。
 “神に支配された世界”から“人が自らの足で歩く世界”へ、というモチーフに、人類vs超人類、という超能力ものの古典的テーマを強調して組み込んできた最終盤、少々、あれもこれもと詰め込んで手を広げすぎた印象はあったのですが、北條vs小沢、氷川誠の帰還、そして、かつて愛するものを救えなかった世界の未来を、義理の弟になるかもしれなかった青年らの中に見て逝った沢木、とパスを繋げてきて浮かび上がったのは、
 「アギトになる」のも運命ならば、「アギトになれない」のもまた運命
 という事であり、これは後日談パートの氷川くんに引き継がれる事に。
 つまり、「アギトを受け入れるだろう。人間の無限の可能性として」とは、アギトそのものが無限の可能性であると同時に、「アギトを受け入れる」事もまた(アギトになれない)人間の無限の可能性を示すのだ、と沢木は自分自身をも含んだ「ただの人間」の勝利の形を高らかに謳い、その為にこそ、人類vs超人類、のテーマは必要であったのかな、と。
 かくして物語は、「アギトにはなれない」かもしれない私たちの心に、人の弱さと可能性とを、問いかけるのでありましょう。
 ――1年後。
 尾室は、G5ユニットの隊長だか指導教官だかになって多くの訓練生たちに訓辞を述べ、今回、20年ぶりに『アギト』を見て感じた事の一つとして、G3ユニットに見える《メタルヒーロー》性というのがあったのですが、特に尾室は役者さんの顔立ちが傾向の近い『特救指令ソルブレイン』の増田と重なると思っていたら、着地点もちょっと近い事に(笑)
 氷川くんは捜査一課で河野とバディを組み、犯人確保シーンで河野さんが一本背追いを決める活躍。
 屋台でラーメンをすする二人は、一頃まことしやかに囁かれたアギトを危険視する法整備が立ち消えになった事について会話をかわし、「人間はそこまで愚かではない」と口にする氷川くんが、「アギトになれない」者たちの戦い方を代表する形に。
 以前、劇場版『PROJECT G4』の感想で、


 『アギト』という物語の中で、氷川くんが戦うべきものとは何かといえばそれは、「人を越えようとする欲望」で、アギト否定とは別の形で、「人が人のまま、生きる事を素晴らしいと思えるように」が、氷川くんの持つ主題なのかな、と。

 と触れたのですが、かつて「……僕も……アギトになりたいのかもしれません」とこぼした氷川くんが「ただの人間」として戦い抜く事を改めて見出し、大衆の中にアギトの可能性因子が山ほど存在する世界において、では「アギトになれない」者たちは戦う事ができないのか? といえば、アギトと手を取り合う未来を作り出そうとする事もまた、人の無限の可能性にして運命との戦いなのだ、と収めてきたのは、お見事でした。
 警察を退職した小沢はロンドンで大学教授の職に就いていたが、そこで、校内の階段で、北條透とばったり再会(笑)
 「北條くん?!」
 「お久しぶりです、小沢さん」
 「なんであなたがここにいるのよ?」
 階段、それは、北條透の出現ホットスポット
 「ええ。少々あなたが恋しくなりましてね……というのは勿論冗談ですが、実はある事件の捜査でこちらに来てるんです。ついでに挨拶を、と思いまして」
 「さっさと消えなさい。ロンドンまで来てあなたの顔なんか見たくないわ」
 「相変わらず口の悪い人だ。それにしても、今ではプロフェッサーですか。どこに行ってもお山の大将がお好きなようですね」
 「なんだったらあなたも私の授業受けたらどう? 少しは賢くなるかもしれないわよ」
 ……長い! やり取りが長い!
 「いえ、結構です。必要な知識は全て……この頭に入っていますので」
 「そうね。厭味を言う知識だけは詰まってそうね。目一杯」
 「ま、それはお互い様、ではないですか?」
 「はいはい。じゃあね」
 冷たくあしらって階段を降りていった……かに見えた小沢はなんだかんだ楽しそうな笑みを浮かべ、同じく笑みを浮かべた北條はその後を追い、これはいったい、なんでしょうか(笑)
 全世界の北條透ファンに捧ぐ、といった内容で、大変、楽しくはあったのですが(笑)
 美杉家では真島くんと真魚ちゃんが一緒に勉強をしており、祝・真島くん再登場。割と真島くん好きなので単純に嬉しかったですが、真島くんは物語において木野さんの魂を受け継ぐ役回りなので、木野さん要素ともいえます。
 そして二人とも、残り5話のところで出てきた新キャラにごぼう抜きにされた負けヒロインなわけですが……あれだけ鉄板ヒロインだった真魚ちゃんが、亜紀さんを軽く退けたと思ったら真島くんに予想外の猛追を受け、なんとか競り落としたと思ったその直後、最後の直線だけで可奈さんにぶっ千切られる事になろうとは、誠に、一年物の作品は奇々怪々。
 「よし、じゃあ、あれだ……気分転換に今日は外でパーっと飯でも食うか」
 「ホント?!」
 「うん」
 「て、またあの店?」
 「当たり前じゃない。他にどこ行くってわけ?」
 真魚ちゃんの笑顔から画面切り替わると主題歌と共にクレジットが流れ出し、バイクと共にまばゆい夕陽に照らされたシルエットの涼は、拾った子犬を懐に抱えて走り出す……。
 上述したように、最終話にしてどうも持て余されてしまった涼ですが、恐らくこの当時、『クウガ』の反動として希求されていたパブリックイメージとしての――孤独でストイックな――仮面ライダー像があって、それを背負わされる面があったのかなと(当時は結構、これでこそ、みたいな反応があった覚えが)。
 もともと涼(ギルス)には、孤高のヒーロー像が投影されている傾向がありましたが、今回とうとう「俺は……不死身だ!」まで繰り出し、“ベルト”をアギトに、“仮面”をG3へと分割した今作、ギルスに与えられたのは“観念”といえるのかもしれず、故に涼は、必然的に“走り去っていく”事に。
 美杉家の3人は、翔一くんがオーナーシェフを務めるレストランAGITOを訪れ、あれだけ真ヒロインとして大暴れした可奈さんが今回出番無しなのですが、これはもう絶対、厨房に居ます(笑)
 翔一くんの満面の笑みで終幕となり……井上敏樹の、色々あったけど細かい事は置いておいて、後日談パートは登場人物みんな楽しそうならいいよね! という最終回の姿勢は凄く好き(笑)
 そんなわけで20年ぶりでも大変好きな最終回Bパートでしたが、前回今回は非常に楽しく見る事ができて、改めて見て良かった『アギト』でした。
 以下、簡単なまとめをつらつらと。

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 感想本文中でも少し触れましたが、今回、20年ぶりの『アギト』を先の内容に触れずに見ていく、のが思っていたよりも感想としてのチューニングが難しかった上、同時進行で見ている作品数が多くなって分解の精度が甘くなり、総じて割と難産だったのですが……道中で、「聖→俗への転換」「極力名前を付けない物語」という二つのポイントが見えた事で、なんとか、20年ぶりに見る『アギト』、として自分なりに落とし込む事が出来ました。
 今作、
 ・記憶喪失の主人公を巡るサスペンス
 ・人類を襲う謎の敵が跋扈するスリラー
 ・現在と過去の事件が重なっていくミステリ
 ・三人のライダーの群像青春劇
 ・光と闇の神話的サーガ
 ・人類vs超人類のSFバトル
 などなど、ヒーローフィクションの大枠の中でジャンルミックスを行いながら、『サイボーグ009』や『イナズマン』や『幼年期の終わり』などの影が見え隠れしつつ、神話や古典的なSFテーゼも横断しながら現代劇として刑事ドラマ方面にも足を伸ばす非常に“顔の多い”作品であり、どの顔を中心に見るかで肌触りの変わってくる部分が、独特の魅力に繋がっているのかも、と改めて。
 また、当時の白倉Pが、あくまでも《メタルヒーロー》シリーズの後継枠と考えていたらしい事が影響しているのか、G3ユニットは特に、《メタルヒーロー》シリーズ(の中でも、《レスキューポリス》3部作&『ジャンパーソン』辺り)の取り込みを意識した部分があったのかも、と思わせます。
 これは、放映当時はまだ90年代《メタルヒーロー》を履修していなかったので、今回の再見で初めて感じた部分。
 そんな多くの顔を持つ今作の中で、“可能性を閉ざそうとする存在”と“可能性を守る存在”の対決になぞらえた、「神殺しの物語」が作品を貫く主軸と置けますが、聖なる存在だった翔一が俗なる存在へと変化していく物語全体の過程と、神の世界から人の世界へという物語全体の構造が呼応。
 そして最終的に、神(運命)を乗り越えていく無限の可能性は、アギトだけにあるのでも、アギトだけが守るのでもなく、全ての人間に開かれている、としたのは良い着地点だったな、と。
 前作『クウガ』における善の寓意が「より良い社会」だったとするならば、今作におけるそれは「より良い人生」ではないかと思われ、ではそれは個々人が「みんな勝手に生きていけばいい」のかといえばそうではないだろう、が年間通して描かれ、第50話における翔一の言葉と沢木の魂の救済に集約されるのは、大変好きなところです。
 ――「可奈さん、生きて下さい。俺も生きます」
 この「生きる」というテーマ性は後の『ファイズ』に繋がっていき、メメント・モリ(死を思え)」を主題により深く掘り下げられていくのですが、改めて見ると『ファイズ』と『アギト』はかなりテーマ的な繋がりが深く、『ファイズ』は『アギト』の子供というか、弟というかぐらいの関係性だな、と。
 更に後の『オーズ』は、「いっけん陽気なお人好しだが空っぽの器としての主人公」「人と人の繋がりというキー」などの共通項から『アギト』の甥っ子ぐらいの印象なのですが、『オーズ』が「ちゃんと生きる」を掲げていたのと比べると、「ふんわかいこうよ、ふんわか」ぐらいなのが、井上敏樹らしいいところでしょうか(笑)
 『ファイズ』にしろ今作にしろ、「生きる」というテーマの根底には、最終話後日談パートに見えるように、井上敏樹の作家性としての「人間(人生)賛歌」が存在しているのではと思うのですが、せっかく生きているのだから、出来る限り笑って前向きに生きようよ、というのは、ある意味で最も今作における「ヒーローフィクション」な部分といえ、なればこそ、その虚構(理想)を体現する存在として翔一くんは笑い続け、何故なら……
 「はい。ある日目が覚めると、とても天気が良かったです」
 以上ひとまず、『仮面ライダーアギト』感想でした!