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獣道と王道

ウルトラマンコスモス』感想・第25-26話

◆第25話「異星の少女(ひと)」◆ (監督/特技監督:原田昌樹 脚本:増田貴彦)
 前回、原田演出への愛を語った直後に、破滅的な出来のエピソードでショックを受けるレベルなのですが、どうしてこうなりましたか……。
 簡潔にまとめると、地球を領空侵犯してきた異星人が防衛軍の攻撃を受けたら、野蛮な惑星は消し飛ばす! と惑星破壊兵器を起動するが、最終的には地球人の中にも優しさがあるんだね! と帰っていく話なのですが、争いを好まないと口では言いながら、挑発に反応したので潜在的に危険だから惑星まるごとデリートしまーす、とやってくる先進文明は邪悪以外の何者でもないと思うのですが、何故か一部の乱暴な地球人が不幸なすれ違いを生みそうになったけど、真心が通じて良かったね、みたいに処理されるので激しく困惑。
 加えて、基本の筋はシリアスなのに、ムサシと事件関係者の出会いが軒並みコミカルに描写され、それが物語の緩急になるどころかステップを著しく乱し、糸の切れた凧のように物語のコントロールが失われているのですが、どうしてそうなりましたか……(原田監督は、むしろそのコントロールに長けたタイプなので、非常に不可解)。
 話の流れそのものも、見るほどに首が傾いていく内容で、
 戦闘行動中の防衛軍に対し、キャップの指示を受けてどういうわけか攻撃中止を命令するフブキ。
 防衛軍の優先区域に落ちた脱出カプセルを防衛軍が回収していくのは当然なのに、基地に戻ると何故か、反抗しなかった事を責められるムサシ。
 挙げ句の果てに、脱出カプセルの中に入っていた異星人少女の身柄を、SRCの医療センターに預ける防衛軍(ので情報はキャップに筒抜け)と咀嚼困難な展開が続き、防衛軍の扱いは、完全に今作の鬼門。
 そしてその壊滅的状況にトドメを刺すのが、異星人少女の担当医として登場する、ゲストのカワヤ医師。
 ぼさぼさ頭に皺だらけの白衣とサンダル姿で風采が上がらない一方、自信過剰で思い込みが激しい色男気取りで、女好きな上にしつこい為にトレジャーベースの全女性職員にフられた伝説の男……ながら、その命がけの優しさが異星人少女の心を打つ、事になるのですが、率直に前段階の素っ頓狂ぶりの描写が完全にコースアウトしている為、どうしてこの人物が心を打つ話にしてしまったのだろうか、というか、心を打つ役割の人物をどうしてこんな描写にしてしまったのか、というレベルであり、その説得力を生む為にまたも雑な憎まれ役にされる防衛軍の酷い扱いは見ていてひたすら辛く、変人だけどいい所もある、にしても限度があります。
 更に、セクハラ・パワハラ描写に対する今作の緩さ、20年前のフィクションである事を考慮したとしても、医療倫理にもとる行為の未遂と示唆は笑い話で済む範疇を逸脱しており、ほぼほぼ性犯罪者としか受け止められず、ハンドルもブレーキもアクセルも全て壊れた末に爆発炎上しながら奈落の底へとダイブしていく、最初から最後まで、目を疑う出来のエピソードでした。

◆第26話「カオスを倒す力」◆ (監督:北浦嗣巳 脚本:大西信介 特技監督:佐川和夫)
 第16話以来、10話ぶりに地球で仕事を行うカオスヘッダーにより、東京都内で発生する連続失踪事件。
 カオスヘッダーは人間の体に一時的に憑依する事でその心理を分析しており、東京出張中に事件の被害に遭った父を求めて群馬から東京を目指す少年の心に寄り添うムサシは、少年の言葉を信じてカオスお父さんを発見。
 「カオス、ヘッダー? それは、我々の、事か……?」
 割とふわっとしていたカオスヘッダーには集団としての自己認識がある事が明確になり、その攻撃を受けて吹き飛ばされるムサシだが、少年の呼びかけにより父親がカオスヘッダーの支配を打ち破る、非常に正攻法。
 特別悪くもないが良くもない、といった面はあるのですが、『コスモス』ここまでのアベレージを考えると、変わった味付けを加えようとして失敗するよりは、北浦監督の演出も含めて、正攻法に徹してくれたのが良かったなと。
 体内から追い出されたカオスヘッダーは、巨大な悪魔的な姿で実体化し、このデザインも正攻法。
 立ち向かうコスモスだがスペース鶴拳が通じずに苦戦を強いられるとカオスヘッダーに記憶への侵入を許し……如何にも今後の伏線になりそうな予感。
 ところで、コスモスの戦闘は妙にカットを割るというか切るというか、ウルトラマンと怪獣の立ち位置も、それを映すカメラ位置も同じなのに、右パンチ→左パンチと連続せずに、右パンチ→(切断)→左パンチ、といったような見せ方、いわばマンガのコマ割りのような“隙間”を映像に作るのですが、戦闘の躍動感という点ではそこまで効果的にも思えず、戦闘シーンにしきりに用いるのが、ちょっと不思議な演出。
 コロナとなったコスモスは連続投げで一度は優位に立つも、飛び蹴りをバリアで防がれると圧縮空気の連打を受けて窮地に陥るが、意識を取り戻した父と少年が歓喜の抱擁をかわすと動きが鈍り、その隙にコスモスは辛うじてカオスヘッダーを撃破するのであった。
 人間の心を分析したカオスヘッダーは、それ故に人の心の影響を受け、人の持つ優しさによって自己崩壊したのかもしれない、とサブタイトル通りにカオスを倒す力が暗示されて、つづく。