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地球と鳥人の間

地球戦隊ファイブマン』感想・第18話

◆第18話「お金貯めます!!」◆ (監督:長石多可男 脚本:井上敏樹
 「おまえが一番信じられん」
 銀帝軍は最近ストレスによるお肌の艶が気になってきたメドー様からのご褒美もといお仕置きビームを受け、一言の元にぶった切られたドンゴロス(最近気付いたのですが尻尾が生えており……ドラゴン族だったりするのか)は、お腹に金庫を付けた強欲な銀河闘士ブタルギンを出撃させる。
 その頃、数美は街で元生徒のひろし少年と再会。
 ひろしは一回100円で他人の宿題をやるなど様々な手段でお金儲けに執心しており、
 「今の世の中、お金が全てじゃないですか。豊かな老後の為に、僕は今から貯蓄に励んでいるんです」
 満面の笑みで告げる、戯画化された糸目系日本人そのもの、という風貌が、どこから見つけてきたんだ、という会心のキャスティング(笑)
 お金以上に大事なものもある、と諭す数美の言葉に耳を傾けずにひろしが去った後、ど派手なシャツとサングラス姿の文矢が通りがかり…………お金を貯める事そのものに執着するひろしと、バーゲンで雑な散在をする文矢の対比による笑いなのですが、前回が前回だったので、文矢に関してはそっとしてあげておいて下さい。
 そこに現れたブタルギンは、凄まじいパワーと鼻息でファイブマンを撤収に追い込み、数美が左手を負傷。
 「ファイブマンを倒したかったら、もっと金を、寄越すヅラ」
 体内に金を蓄えれば蓄えるほどパワーを増すブタルギンは、ドンゴロスの大金庫の中身を吸い尽くすと、更に現金輸送車を襲撃。偶然その光景を目撃したひろしは、眠りこけるブタルギンの腹から風に舞ってばらまかれた一万円札をかき集めると猫ばばするが、そんなひろしの顔が、まるで醜いブタのようになってしまう!
 特にブタルギンの能力とは描写されない、寓話的戒めなのですが、説明を付けるならば恐らく、ブタルギンの体内に収納された紙幣に触れた事による、ウィルス性の感染症状ではないかと思われます。
 水面に映った(この辺りも童話的であり)自らの顔に己の所業を悔いた少年は、命がけで自分を守ってくれた数美を救う為、大切な貯金をかき集めるとブタルギンの前でばらまき、目の前の小銭に目がくらんだブタルギン(正攻法でこれだけ強いブタ型怪人も珍しいかも)がファイブマン壊滅の決定機を逃した隙に、ファイブピンクが戦線復帰。
 渾身の連続攻撃から桃の個人必殺、そしてアースカノンへと続けてブタルギンを撃破すると、ゴルリン16号が召喚されて巨大ブタが誕生。今回は桃がセンターに入ると、二刀流の仕込みショットガンを浴びせてからの「正義の剣、受けてみなさい!」で、ずんばらりん。
 ひろし少年がお金より大事なものの存在に気付く一方、文矢はまたもバーゲンで変な服を買い…………まあ、文矢に関してはしばらく優しくしてあげてもいいと思います(笑)
 数美2回目のメイン回でしたが、健の宝探し回・レミのカメラ少年回に続き、ゲストを「元生徒」にすれば幾らでも取っかかりが作れる一方で、生徒-教師間の関係性を丁寧に掘り下げないと“誰が「教師」役でも成立してしまう”為に、キャラ回としてのならでは感が薄くなるという、ファイブマン』の設定上の落とし穴が見えてきた感。
 そもそも小学校教師なので、レミを除くと専任ではない点は脇に置くとして、お金の話=算数という点では繋がりを持たせているのですが、もう少し特別な関係性やキャラクターの個性を押し出さないと、キャラ回としては、判で押したような内容でパッとしない、という事に。
 星川兄妹の職業:教師そのものは、子供達の身近な存在がヒーローに・〔教師-生徒〕と〔ヒーロー-大衆〕の関係性の照応・子供達とのスムーズな距離感・導く者としての未来志向、と揃った良い設定だと思っていたのですが、それがそのまま、キャラ回における個性の出しづらさに隣接してしまったのは、1年物の作品の難しさを感じます。
 過去作では『超新星フラッシュマン』が顕著でしたが、メンバー同士の関係性が密接すぎる(一蓮托生の度合いが強すぎる)と個々の陰影が出しにくくなる面があり、今作では、それをいっそ「家族」まで高める事により、「ヒーローとしての行動原理」や「問題解決の手段」に繋げる事で作劇上のプラスに転じさせようとしているのですが、そこで内部的な行動原理(復讐)と外部的な行動原理(子供達の未来を守る)をスムーズに接続する為の「教師」要素が「家族」と一体化してしまう事で、個々のキャラクター性をその枠の外側へ放出・接続できなくなってしまった部分が見えてきます。
 そしてこの枠組みを保持――規定――している土台が、“80年代戦隊が形成してきたヒーロー像”であり、その土台ゆえにひっくり返す事が出来ず、ひっくり返す事が出来ないゆえに生じていた袋小路的状況……の突破の為の打開策の一つとして、次作『ジェットマン』では、「メンバーの基本ヒーロー度を下げる」という荒技が計算尽くで放たれる事になるのですが、改めて、シリーズ史としては節目になったのが、この1990~1991年といえるでしょうか。
 (《スーパー戦隊》でいうと『マスクマン』、《メタルヒーロー》でいうと『ジライヤ』には、この問題に対する試行錯誤の先駆けの面あり)
 エピソードとしてはどうという事のない内容でしたが、『ジェットマン』前年に井上敏樹が、道徳の教科書のようなエピソードを書いていた、のは面白い点(笑)
 次回――闖入者、現る。