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出発と帰還

仮面ライダー鎧武』感想・第46話

◆第46話「運命の勝者」◆ (監督:石田秀範 脚本:虚淵玄
 「今その全てを滅ぼす力に手が届く! 貴様を越えた先に!」
 「越えさせない! 越えちゃならない! 戒斗、それがおまえにとっての俺だぁ!」
 ロード鎧武とロードバロンが激突し、戒斗と雌雄を決する最終決戦において、紘汰が己の位置を見定めるのは、格好良くはまりました。
 バロンの強烈な一撃が鎧武を縦一閃し、膝を付いた鎧武にトドメの一撃が振り下ろされるが、辛うじてそれを受け止めた鎧武はバロンの剣を叩き折り、その切っ先をバロンの腹に深々と突き刺す。
 「葛葉……何がおまえを……そこまで、強くした」
 「守りたいという祈り。見捨てないという誓い。それが俺の全てだ」
 「おまえは……本当に、強い」
 戒斗は紘汰の腕の中で力尽き、その亡骸を背負って紘汰は舞から黄金の果実を受け取り……ここで肝要なのは、“どちらかの生き死にでしか決着の付かない状況”を受け手に飲み込ませる物語の積み重ね、その納得度を高める場のテンションだと思うのですが、個人的にはそれを感じられず、画面の中と温度差が大きい決着になってしまいました。
 勿論、世界全体がヘルヘイムの森の侵食を受けているし、戒斗は世界をリセットする気満々だしで、刻一刻と人類文明の終焉が迫ってはいるのですが、この時点では、それが字面上の背景設定に後退してしまっていて、後半の構成は大失敗。
 今作における破滅感のピークといえるのは、王様が弾道ミサイルを消し飛ばして世界中にインベスの雨を降らせた第34-35話なのですが、そこから約10話、リアルタイムで二ヶ月半、時間にしておよそ3時間半、映画にしたら2本分、極限状況を表すテンションが保つわけがないので、残り1クールどうするのかと思ったら、特に仕掛けが無かったのは大変ガッカリ。
 なお悪い事に、第42話においてオーバーロードを全滅させて心理的な一段落をつけてしまい、その後にオーバーロードを倒してもヘルヘイムの侵食が止まるわけではない事は描いているものの、それは状況のエスカレートではない(むしろ後退)ので……今作が第43話以降のタイミングでやらなければならなかったのは、
 世界に対する、より破滅的な状況の到来による最終決戦へ向けた舞台設定――テンションの再構築
 ではなかったかな、と。
 舞の危機やミッチの苦悩など、個人単位(ミクロ)の極限状況は描かれているのですが、それが世界(マクロ)の極限状況の描写と同調できていないので、舞台と行為の間のテンションがズレてしまっており、ザックの決断と耀子の死が浮いてしまったのも、それが原因といえます。
 裏を返せば、文字情報にすると時に奇妙な言行に、納得できてしまう舞台を与えるのが優れた物語の作用といえるのですが、それを為しえるピーク構築の失敗に自覚はあったのかなかったのか、戒斗の行動の説得力を高める為の加速剤として投入されているのが、ヘルヘイム外傷によるタイムリミット。
 このままでは死ぬから選ばざるを得ない、という行動原理は確かに説得力がある一方、戒斗の信念や情念のコアを薄めてしまったのでは、と思う点なのですが、元来、『鎧武』世界が10年後の滅びを前にしていたと考えると、最終的に戒斗の置かれた状況は『鎧武』という物語そのものとの照応であったのかもしれません。
 (死を前にして何をなすべきなのか、というのは《平成ライダー》においては『ファイズ』のテーマの変奏曲ではあったり)
 一つ興味深いのは、戒斗がなぜこの致命的な外傷を受けたのかといえば、ミッチと紘汰の決裂を気にかけたが故であり、「そんな奴から先に死んでいった! 優しさが仇になって、本当の強さに至れなかった」とは戒斗にとって最大級の自虐であると同時に、一つの満足ではあったでしょうか。
 舞から受け取った黄金の果実を喰らった紘汰は、金髪+マント+鎧姿になり……配信のサムネイルがここなのは、どうかと思いました(笑)
 和風鎧×宇宙服、といったデザインの銀ピカアーマーに身を包んだゴッド紘汰は、それじゃどんなカタストロフにしちゃう? と、カタログを広げ出す勢いのDJに対し、地球の破壊と再生を拒否すると、宇宙最果ての暗黒の星で新たな創世を始めると宣言し、最後まで延々と、語り、語り、語り……。
 この地球ならイージーモードなのに、そんな辺境惑星だとハードモードだぜ、というのを、描写から視聴者に「感じてもらう」でのはなく、DJが「口で説明する」のが、最後の最後まで今作の悪癖として貫かれ、「脚本が映像への落とし込みについて考えていない」のか「脚本が映像/演出を信用していない」のか「映像/演出が脚本の要求に応えられていない」のか、どれにせよ、お互いの長所を引き立て合う事なく、麺とスープが喧嘩したままだったのは、映像作品として残念な着地点になりました。
 「輝きに満ちた青い星、命溢れる楽園」とか言っているけど、いやそれ、滅ぼすんじゃないの……? と、選択の困難さを口で説明しようとするがあまりにDJの発言も支離滅裂になってきて、最終的に、DJの誘惑に決然とノーを突きつける紘汰を描きたかったのはわかるのですが、「より困難な選択」というのもDJが言っているだけなので、視聴者が自発的にその困難さを感じ取らないと、なんら劇的な選択にならない、という視点が完っ璧に抜け落ちている――し、それを強調する為には現在の地球が「命溢れる楽園」である事を示さないといけないわけですが、そちらも抜け落ちている――のが、目を疑うレベル。
 「祝福された世界を追われ、荒野へと去った男と女。新たな創世の神話が、また一つ。さーて次は、どんな種族が進化の試練と向き合うやら」
 紘汰と舞は唐突に「一緒なら何も怖くない」とか言い出すと、侵食した森と一緒に星の彼方へと旅立ち、“蛇”を自認するDJが、一連の出来事を楽園追放になぞらえてくるっと納めるのですが、先程まで「予想外だぜ」とか言っていたのに、結局それだと予定調和という事になり(紘汰は「DJも驚く大変困難な道を選びました!」をDJの説明でしか表現できないからそうなるわけで)、何もかも摂理さんの手の平の上の出来事でーす、の中に面白さを見出す事が、ついぞ出来ないままでした。
 ――3ヶ月後。
 紘汰と舞が去り、ヘルヘイムの侵食が終わりを告げた世界は徐々にかつての姿を取り戻しつつあり、ユグドラシルタワーの解体が進む沢芽市では、松葉杖姿のザックが笑顔でストリートのダンスを見つめていた。
 壁に大量に貼られた行方不明者の捜索願が災害の傷跡を伝え、城乃内はそこに初瀬のそれを貼り付ける……。
 前回-今回と、ロードバロンに敗北後も城乃内&ピエールに役割があるのは嬉しく、特に城乃内は、若いライダー変身者の中では唯一、明確に「社会」に踏み出した事で、日常と非日常を繋ぐ連結点の意味を持つに至った――城乃内が災害の被害者として初瀬を探す姿により、ライダーバトルがこの世界における「過ぎ去った出来事」となって世界のスイッチングが行われている――のは、思わぬジャンプ。
 新装開店なったシャルモンでピエールと並ぶ城乃内は、初瀬のみならずミッチの事まで心配し……大変立派になりました。
 暗い瞳で遠巻きにストリートダンスを見つめていたミッチに気付いたザックは、あの戦いの真相を知る者同士、共に戦い抜いた仲間だろう、とミッチに声をかけ、ミッチの罪の意識を和らげようと言葉を選ぶ気遣いの男であるザックに、共に戦った事もある耀子爆殺の十字架を背負わせたのは、本当にどうなのか。
 「だからさ! もう一度一緒に踊らないか?! 俺たちと!」
 「……僕には、そんな資格なんてないよ」
 ザックの言葉も届かず、その場を立ち去ったミッチが訪れたのは、意識不明で眠る――呉島貴虎の病室。
 貴虎が死亡していると、直接手を下したミッチ救済の目が無くなるしな……と思ってはいましたが、愛される昭和ヒーロー属性の男は、海に沈んだぐらいでは、やはり死なず。
 だが、長時間の漂流により脳機能に障害を負った貴虎は医者も匙を投げた状態で目を覚まさず…………なんか、紘汰と会っていた(笑)
 「もう楽になってもいい。そうなんだろ?」
 「まぁね……だけど一つだけ、まだ頼みたい事がある」
 幻想の海辺で二人は会話をかわし、ゴッド紘汰が、限られた形とはいえ人類を救う為に偽りの神として咎を背負おうとしていた貴虎を慮るのは、良い距離感でした。
 「……この期に及んでか」
 「あんたにしか出来ない。他の誰でも駄目なんだ」
 「私に、何をしろと?」
 「ミッチのところに戻ってやってほしい」
 戒斗との決着時、「守りたいという祈り。見捨てないという誓い」と口にした割には、半ば廃人となったミッチ放置しているような……が気になっていたので、ミッチの事を覚えていてホッとしました。
 「諦めないでほしいんだ。人は変わる事ができる。俺みたいな奴でさえ、違った自分になれたんだ。変身だよ貴虎」
 「……葛葉」
 元来、キーワードのこういう使い方は好みなのですが、第1話から仕込んではいる一方で、紘汰に関しては「違った自分になれた」自己申告よりも、舞が繰り返す「紘汰はいつもそうだった」の方が印象が強く(なにぶん、物語全体における、紘汰の行動原理の根拠になっているので)、あまり劇的に「変わった」イメージが無いのが、正直。
 勿論、「変わる」部分と「変わらない」部分があるのは当然ですし、最終的にある決断を下してはいるのですが、そこに至るまでの茹で時間が長すぎた感があり、『鎧武』全体の感想とも繋がりますが、最後まで、紘汰とは呼吸が合わないままでした。
 物語的には、紘汰が何に「変わった」のかを見せたいのかがピンとこず仕舞いだった、という事になるのですが、最終章で明確に描かれた紘汰の変化といえば「ミッチに刺されてもいい紘汰」と「戒斗を刺す事に決めた紘汰」であり、ではその間に何が転換したのか……を探すと、「もっと強くて、なんでもできる自分」を求めた結果、「オーバーロードになった」のを認める事であり、「オーバーロード(ここでは“大人”の隠喩)としての責任」を取ると決めたのだとすれば、今作における、“大人”と“子供”の対比の構図がピンと来なかった、となるのかもしれません。
 「今の自分が許せないなら、新しい自分に変わればいい。それが出来るって事を、ミッチにも教えてやってくれ、貴虎……あんた自身が変わる事で」
 「……そうか。確かに難題だな」
 「引き受けてくれるか?」
 ただここで、紘汰がミッチばかりでなく、貴虎をも救う道を見出してくれたのは兄さん好きとしては嬉しく、ぼやけた映像の中で苦笑を浮かべ、目覚めた貴虎は傍らのミッチに笑いかけ……次回、最終回。