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ジグザグの向こう側

高速戦隊ターボレンジャー』感想・最終話

◆第51話「青春の卒業式」◆ (監督:蓑輪雅夫 脚本:曽田博久)
 太宰博士はターボビルダーの建造にあたって妖精の古い地図に従って建設場所を決めていた事が明らかになり、つまりは地脈を通じて地球のエネルギーが集まっているスポットと考えれば大封印がそこにあるのも必然といえますが、世が世なら、太宰博士はアグ○の力に選ばれて筋トレに目覚めていたのかもしれません。
 「ターボビルダーは最後の砦! 命に代えても守り抜くんだ!」
 いざ大封印を解放せん、と暴魔城からは戦闘機が出撃し、意気揚々とそれに乗り込んでビルダーに空中を仕掛けたズルテン、開始1分強で、迎撃を受けて墜落死(笑)
 暴魔城崩壊のどさくさにでも紛れるかと思ったらまさかの冒頭で実にあっさり処分されましたが、後代になると実は生きていてVシネマで始末されるパターンでしょうか。
 暴魔幹部陣が怒濤の勢いでリストラを受ける中、貴重なコメディリリーフとして最終回まで生き残りましたが、強者にへつらい弱者を虐げるプライドなき小物街道の貫徹と、声を務めた梅津秀行さんの好演(特にあの、なんとも形状しがたき笑い声!)もあって、印象深い悪役となりました。
 もはやネオラゴーンを倒すしかない、とターボレンジャーは迫り来る暴魔城へと青春ワープで突入し、またもいきなり自室に乗り込まれた大帝様、ちょっとビックリ(12話ぶり2度目)。
 ……なお赤ウーラー及びウーラー一族は今回一切登場せず、前回の戦いで全滅したか、今回この突入時のシーンスキップ中に全滅したと思われます。
 「たわけ! ここまで来た事は誉めてやるが、暴魔大帝ネオラゴーンに勝とうなどとは、虫がよすぎるわ!」
 気を取り直した大帝様は、口からエクトプラズムや懐かしの触手攻撃など多彩な技で5人を圧倒し、勢い余って、自室を破壊(笑)
 「はははははは、大帝の間が墓場とは――」
 いやそこ、笑う所なんですか?!
 勝利の哄笑をあげる大帝様だがその時、頂点への妄執に燃えるヤミマルが姿を現すと、その体は何故かラゴーンの攻撃をすり抜け、神出鬼没。
 「見たか! ヤミマル闇隠れの術!」
 ここで説明せねばなるまい。ヤミマル雲隠れの術とは、己の存在を限りなく森羅万象に溶け込ませる事で世界そのものに身を隠し、思うがままに空間を移動し障害物をすり抜け、他者から干渉される事なく一方的に力を振るう事を可能とする流れ暴魔の秘術である。だがその代償として、術者は一定時間の内に解除の儀式を行わないと、己の存在を保てなくなって完全に世界と一体化してしまうのだ!(嘘解説)
 秘術の効果によりネオラゴーンを一方的に攻め立てるヤミマルだが、キリカのペンダントには闇の中で苦しみ藻掻きキリカの名を呼ぶヤミマルの姿が移り、キリカの存在意義を確保しつつ、最終章のキーアイテムとなったペンダントにも意味を持たせるのは良い使い方。
 心の底で救いを求めるヤミマルに手を伸ばすべくキリカが暴魔城へと走っていたその頃、ターボビルダーに現れる侵入者。
 「や、やや、山口先生!?」
 「太宰博士!」
 動揺する太宰博士の下がった顎に、渾身の右アッパーカットが炸裂!


 「何をするんですか?!」
 「貴方こそなんですか! まともな大人なら止めるのが本当でしょ?!」

 ……じゃなかった、
 「明日は卒業式よ! みんなに卒業式に出てもらいたくて、ずっと探していたの! 卒業式に一緒に出ましょう」
 ……時は少し遡り、暴魔城ではネオラゴーンから消火器の粉を浴びせられて闇隠れの術をあっさり破られたヤミマルが、大帝エクトプラズムの直撃を受け無惨に倒れていた。
 変身の解けた力たちは瓦礫の中から身を起こすも、ヤミマルを片付けた大帝の前にもはや風前の灯火、組織運営に関しては歴代でも最低クラスの手腕ながら、戦闘力に関してはいいもの見せた暴魔大帝の逆転サヨナラホームランがスタンドに吸い込まれるかと思われたその時、突撃教師の本領を存分に発揮した山口先生の声がターボビルダーから響き渡り、5人の魂に再び正義の炎を灯らせる。
 「……みんな! 博士も言っていたじゃないか! 18歳の時こそ、人生の中で一番美しく、最高の力が発揮できると! 俺たち18歳! 最後のパワーを今こそ見せてやるんだ!」
 青春、とはつまり、乗せられやすさと乗りやすさ。
 二度とは戻れぬその時間を高速で駆け抜けろ! と復活したターボレンジャーは猛攻を仕掛け、青春の煌めきを込めたGTソードが大帝の喉を貫く映像がえぐい。
 続けざまのGTクラッシュにより、全身から灼光を噴き上げたネオラゴーンは爆発に沈み、一度も合体武器を使ってもらえないまま、敗北。
 「おのれ……死なば諸共、みんな地獄へ墜ちろ!」
 暴魔城から叩き落とされた5人は空中でターボラガーに回収されるが、最後のパワーでネオラゴーンは巨大化。力尽くで大封印を破ろうとターボビルダーに迫り、要塞メカとして最終回で大妖精17の砲撃シーンが入ったのは嬉しかったです。
 空中の5人は迷わずスーパーターボロボになると巨大ラゴーンの前に降り立ち、先手必勝のスーパーミラージュビーム!
 「ぐわぁおぁぁぁ! ぐぅぅ、ぼうまじょーぉぉ!!」
 ……
 …………
 ………………力強く前進してくるし、以前にスーパーミラージュビームを弾き返した実績もあったので、ここは暴魔大帝ネオラゴーンの底力を見せてくれるだろうとワクワクしていたら、一撃で、死んだ(笑)
 亡き主の断末魔に応えて暴魔城はターボビルダーへ向けて特攻体勢に入り、要塞には要塞だ! とラスボスがスライド。
 ラゴーンと重ねたのでしょうが、もともと暴魔城、巨大な邪神象めいたデザインではあるので、場合によっては人型に変形して、暴魔城ロボがラスボスになる想定もあったのでしょうか(その場合パイロットはヤミマルか、蘇り損ねたレーダか)。
 ターボレンジャースーパーターボビルダーを発動して暴魔城を消し飛ばそうとするが、ペンダントからの声でヤミマルの生存を知ったキリカが必死にそれを制止し、地球かヤミマルか、ギリギリの選択を迫られる。
 ターボレンジャーはヤミマル――いや、流星光へと懸命に呼びかけ、その声に目を覚ましたヤミマルの脳裏に甦る、流星光として過ごした仮初めの青春。
 「みんな…………ほっといてくれ! ……俺なんかもはや、生きる価値のない男! はははははは……心配するな……暴魔城は、俺が破壊してやる!」
 力を求め、力に溺れ、力に敗れた男は、立ち上がると笑いながら銃を連射し始め、崩壊爆死パターンかと思われたその時、レッドターボの叫びがヤミマルの胸に突き刺さる。
 「流星! 月影さんを一人にする気か!」
 流れ流れて2万と18年……旅路の果てに手に入れた本当に大切なものは、力ではなく、誰かを愛する心であったと、今遂にヤミマルの目が開かれる。
 「……キリカ、キリカーーー!」
 「ヤミマルー!」
 二人の叫びと心が再び一つになった時、ま、まさかの赤い糸エスケープ!
 ズルテンの墜落死に始まり、何かとサプライズの多い最終回です(笑)
 ヤミマルはキリカとの間に結ばれた赤い糸の奇跡により暴魔城からの脱出に成功し、それを最後に流れ暴魔の力を失いながらも(ハッキリとは言われませんが、鎧が消滅)しっかりと手を握り合う二人。
 残る暴魔城にはスーパーターボービルダービーム(15文字)が直撃して塵に変え、ここに人と妖精と暴魔、2万年の永きに渡る戦いは終結を迎えるのであった!
 そして、力たちは無事に卒業式を終え――
 (みんな……卒業おめでとう。俺はね、小夜子の赤い糸に救われた。でもその時、赤い糸だけじゃない。みんなの、多くの見えない糸にこそ、結ばれている事に気付いたんだ)
 人の世の中に居場所と可能性を見出したヤミマル――流星光は、被り物を捨ててジーンズファッションに身を包み、ヤミマルについてはかなり甘めの裁定となりましたが、ヤミマルが歪んだ原因として人間からの迫害も明確に描かれているので(集団と差別という普遍的なテーマでもあり)、融和の象徴としてヤミマルの命を救い、憎しみの連鎖を断ち切る事をヒーローの在り方として優先した着地点に。
 映像があまりにストレートだった“赤い糸”が、人間の血の色と共に、人と人の繋がりそのものを示し、そこに未来への希望を見出すのは巧く消化されましたが、(構成として宿敵の崩壊爆死というセオリー破りも意識にあったかと思われるものの)残念だったのは、“流れ暴魔を救う”という落としどころの選択があまりに遅かった事。
 その為に、ヤミマル(及びキリカ)に対するターボレンジャーの対応が、“人の心が通じると信じる相手”なのか“倒すべき邪悪”なのかが物語を通してずっと不安定になってしまい、その「変化」を劇的に積み重ねて行く事も出来ませんでした。
 最終的に大月ウルフ(カシム)を起爆剤として流れ暴魔の真実を知り、救わねばと決意を固めるのですが、流れ暴魔の真実を知った時に、ターボレンジャー側の反省やフィードバックがない(例えば、キリカの育ての親らは容赦なく爆殺しているわけで)ので、過去を知っての改悛が一方的になってしまったのは、もう一押しが欲しい部分でした。
 (どんなに遠く離れていても、あなた達との間に結ばれた糸は、決して切れる事はないわ。ありがとう、ターボレンジャー
 2万年の情念を背負い続けたヤミマルに、薄幸のヒロイン枠としてのキリカ、悲劇的な宿命を背負った悪の幹部カップルとしてどちらも存在感を保ち、キリカが刺されて退場も、ヤミマルが爆死してキリカが巡礼の旅路へ、も回避したのは面白い試みだっただけに、そこに至る道を整備しきれなかったのが惜しまれます。
 「流星……」
 「月影さん」
 「――さよなら」
 力たちに見送られて二人はいずこともなく姿を消し、そしてもう一人……
 「私、ラキアの側へ行きます。みんなと、この星をいつまでも見守ってます」
 「……さよなら、シーロン」
 「決して忘れないわ」
 「「「「「さよなら」」」」」
 「みなさんも、お元気で」
 最後の妖精シーロンは、5人+博士&先生に見送られて地球を離れ、この先もし、人類が著しく地球環境を悪化させるような事があれば、「人類はやはり滅ぼさねばならぬ」と、衛星軌道上から妖精ビームが地表に降り注ぎます。
 太宰博士は山口先生に妖精グラスを貸すなど怒濤の追い込みを決め、最終回のこの二人は、なんとなく同じフレームに入る形に。
 高速戦隊を挟んで右(狂気)と左(日常)の両極に存在するこの二人、数年に渡ってサブライターとして名アシストを見せてきた藤井先生からのパスを、曽田先生が完全に見送ったのは予想外の流れでしたが、それもまた、80年代戦隊の終焉を告げる要素の一つであったのかもしれません。
 ナレーション「妖精の姿を見、声を聞く事の出来た五人の若者たちは、18歳の青春を、燃やし尽くした。そして今、新たなる、未来へ旅立つ。若者たちが守った、この大自然。星や、空や、太陽、花や鳥。いきとしいけるもの全てに、祝福されて」
 今回限りのEDテーマに乗せてスタッフロールが流れ、力たち5人は以前にもやっていた馬跳びで(何故か)青春を示し、みんな揃ってジャンプで、おわり。
 ……個人的な総合評価としては前々作である『光戦隊マスクマン』の感想に近く、「飛び抜けて面白というほどではないものの、なんだかんだ全体の4分の3ぐらいは平均して嫌いではないが、終盤にとっちらかって完成度を高められないまま失速」といったところ。
 2作の違いとしては、要点は見えていたがまとめ切れなかった『マスクマン』に対して、物語を貫く背骨を設定しきれないまま何をまとめれば良いのか見失ったのが『ターボレンジャー』、といった印象。
 背骨不在になってしまった主な要点を三つ挙げると、まず一つは上述した、流れ暴魔に対するターボレンジャー側の不安定さ。勿論、「悪」とみなしていたものが「救うべき存在」として認識を途中で変えても良いのですが、その「変化」を劇的かつ説得力を持って描く事が出来なかった為に、最終盤の盛り上がりを乗せきれませんでした。
 次に、パワーの根源の曖昧さ。
 当初は「自然を愛し妖精を見る事のできる美しい心の持ち主」という選抜型だったのが、どういうわけか「幼少期の神秘体験」を前提条件とした宿命型にスライドし、更にそこから、「必ず、俺たち自身の力で変身できる!」と自家発電に到達して実質的にオーラーパワーと化すのですが、外的なパワーからそれを自らのものとした内的なパワーへ、という段階変化の意図はわからないでもないものの、それが終盤になっても出たり消えたりを行ってしまった事で、なぜ戦えるのか? がむしろ曖昧になってしまい、物語を貫く一本の線にならず。
 ヤミマルキリカはヤミマルキリカで、「流れ暴魔パワーを失って変身できない」事にされるのですが、そもそもあの鎧姿は変身だったの?! はまあさておき、それをターボレンジャーのパワーと対比させるなどの関連付けがこれといって無かったので物語的な広がりも生まれず、「科学の悪用」という要素を切り離した時に、“ターボレンジャーのネガ”とは何かを巧く設定できませんでした。
 ……まあこれ、突き詰めていくと「地球を汚す人類」なのでは? という話になりゴセイナイトが出撃して断罪! 許さない 鉄槌! ナイトダイナミック! 始めそうな案件なので、設計のミスもあったかなーと(それもあってか、環境破壊ネタは途中から完全に消滅)。
 そして3つ目が、「青春」の限界。
 東映としてシリーズがそういう位置づけだったのか、鈴木Pの方針だったのか、曽田さんのこだわりだったのかはわかりませんが、この時期の《スーパー戦隊》は、「青春」を根幹的なメインテーマに掲げているのですが……なんでもかんでも「青春」にまとめるのに、さすがに無理が目立ちすぎたな、と。
 特に前作『ライブマン』が、鈴木-曽田体制における「青春」テーマの集大成として過去-現在-未来を美しく結び上げた内容だった事もあり、今作ではぐっと平均年齢を若返らせた高校生戦隊とする事により強制的に「青春」を持ち込んだともいえるのですが、ではそれが立ち向かうものは何か? をテーマと結合できなかった上、結局そこに2万年の怨念が侵食してくると若さだけでは受け止めきれず、かといって流星光に「青春「を背負わせるには話が進む程に無理が生じ、物語――そしてターボレンジャーの揺らぎを招く一因となってしまいました。
 第1話の特別編に象徴されるように、11代目(当時)のスーパー戦隊として、ある種の仕切り直しを行う意識はあったと思われ、新しいアプローチを随所に盛り込みつつ、比較的シンプルな構成と明るい作風に、熟成された戦隊圧縮作劇が絡み合っての単発エピソードの出来は割と面白いのですが、その面白さが、“1年間の物語の面白さ”に巧く繋がらなかった――『ターボレンジャー』とは何か、を細部と全体として構築しきれなかった――のが、惜しまれます。
 スタッフ面では、『フラッシュマン』第25話以来となる新規脚本家(渡辺麻実)、『チェンジマン』第9話以来となる新規演出家(松井昇、蓑輪雅夫)が参加。
 特に蓑輪監督は、『特警ウインスペクターパイロット版(共に傑作!)に参加する関係で離脱した東條監督に代わってシリーズ初参戦ながらラスト3話を担当し、勿論、この先を知っているから、というのはありますが、様々な面で“80年代戦隊”の終わりに向けた、節目を感じる一作でありました。
 キャラクターについてなど、何か思いついた事があれば別項で追補しようかと思いますが……最後に一つ、これだけは書いておきたい事……「炎・力」は、これまででもトップクラスに扱いにくい名前でした!(笑)(時に、ひらがな名前を越える難度)
 以上、ひとまず『ターボレンジャー』感想でした。
 青春のパワーを信じるんだ!!