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桜色のエピタフ

ウルトラマン80』感想・番外編

◆『ウルトラマンメビウス』第41話「思い出の先生」◆ (監督:佐野智樹 脚本:川上英幸)
 注目は、矢的先生の後頭部に打点の高い蹴りを叩き込むマドンナ先生。(※無い)
 登校拒否の生徒を迎えに行く教師、という『ウルトラマン80』第2話を彷彿とさせるシーンから物語は始まり、その教師とは、まさに『80』第2話で登校拒否になっていた少年の成長した姿。
 「その時、迎えに来てくれた先生が、こうして、教えてくれたんだ」
 「好きになればいつかは向こうだって好いてくれるさ」
 「でも、今に好きになるさ。こっちが好きだって言ってるんだもの、そっちだって好きにならないわけないさ。明日から毎朝迎えに行くぞ」
 ですね!
 ……すみません、この1年以内に見た筈なのに、逆立ちをして「こうしていると、地球を支えているって気がしてくるだろぅ? ぬは、ぬは、ぬはははははは!」の方は、全く覚えていませんでした(笑)
 矢的先生と登校拒否生徒というと、「彼女でも作れば学校に来たくなるだろ?」のインパクトがあまりに強いわけですが、剥き出しの1980年も、いつしか過ぎ去りし日々の美しい思い出に染め抜かれていくものなのです(というノスタルジーのネガ面については恐らく意識的に切除して、露悪的に出てしまわないように注意を払われた作りなので、これは私の中で『80』があまりに新鮮な為ですが、「思い出の先生」と同時に「思い出」そのものがテーマになっているので、秀逸なサブタイトル)。
 一方その頃、メカっぽい怪獣を追いかけて地球へやってきた80が地球に降り立ち、苦戦しているところにメビウスが現れて共に戦うと、往年の得意技・打点の高い蹴りを決めるサービスから、W光線で大勝利。
 『メビウス』は完全初見なので、『メビウス』要素に関してはどうしても気になった一つだけ触れようと思いますが……狭いな、部屋。
 少子化の影響による統廃合で廃校の決まった桜ヶ丘中学には、かつてを懐かしむ卒業生が顔を見せ、意外や落語が、割と渋めの二枚目に(笑)
 思い出話に花を咲かせる中で、矢的先生は「ある日突然、居なくなった」事が明らかにされ、不自然極まりないのですが、普通に考えると、マドンナ先生へのストーカー行為が発覚して懲戒免職となり、生徒たちにはその事実は伏せられて「矢的先生は家庭の都合で急にゴニョゴニョ……」というやつですね!
 中学教師であるユニバースからそうではないユニバースへ飛び立った『80』マルチユニバース説はさておき、ここで大事なのは、それでも教え子たちは矢的先生を覚えている事でありますが、同時にこのエピソードが、「ある日突然、居なかった」事にされた生徒たちの物語である事が示されており、少々屈折した見方をすると、矢的猛/ウルトラマン80を覚えていたからこそ、かつての教え子達はこの世界に存在の獲得をなしえた、ともいえます。
 それは裏を返せば、彼ら/僕ら/私たちの思い出の中に今も居るから、80はここに帰ってこられたという事なわけですが……これはあれです、「人の記憶こそが、時間」(『仮面ライダー電王』)の具体例になっていて面白い。
 「矢的先生、来てくれるといいな」
 廃校を前にクラス会を開こうと話は弾み、矢的先生を呼ぼうと考えた教え子たちは、桜ヶ丘中学付近で観測された微少なマイナスエネルギーを調査中のメビウス主人公に、かつてUGMに所属していた筈の矢的猛という人物を知らないか、と持ちかける……。
 矢的がUGMに所属していた事は元関係者から聞いた、のはだいぶ強引になった一方、『80』第2話における、これはほぼバレたのでは……が拾われて、教師は矢的猛=ウルトラマン80を主張している、のは本編の記憶が鮮やかだと納得のいく流れ。
 (ウルトラマンとしてだけでなく、教師としても慕われてたんですね。……25年後も経った今でも、まだ)
 あ……うん……まあ……間違ってはいないのですが、このキラキラした眼差しの後輩に、マドンナ先生の通勤路で待ち伏せをする矢的先生とか、城野隊員の前でわざとらしくロマンを語り出す矢的先生とか、ユリ子にデレデレする矢的先生とかの記録映像を送りつけたい衝動にかられます(笑)
 ……あまりにも瞳がキラキラしているので、そういう部分も含めて、全て受け入れそうな気配がしないでもないですが。
 現在、衛星軌道上で待機でもしているのか、ウルトラ念話に応対した80は、かつてマイナスエネルギーの研究中、地球人類に着目し、その持つ可能性には正負の両面がある事から、思春期の少年少女への教育という形でアプローチを試みた事を述懐。
 「しかし、マイナスエネルギーの発生を食い止める事は、できなかった」
 相次ぐ怪獣災害に対応する為に教師を捨ててUGMに専念する事になった……と『80』本編の相次ぐ迷走に一定の整理が付けられ、80にとっての教師時代とは、大切な思い出であると同時に、一種の敗北と悔恨の記憶でもあったと位置づけ。
 「遠く離れたとはいえ、私の心には、常に彼らが居る。メビウス、君の口からみんなに伝えてほしい。矢的猛が謝っていたと」
 そしてクラス会の当日――80の言葉を伝えに学校を訪れる主人公だが、学校そのものが強大なマイナスエネルギーを発生させると失恋怪獣を生み出し、メビウス変身。
 「マイナスエネルギーによって出現した怪獣ならば、私が倒す」
 途中で現れた80がバックルビームを放つと、失恋怪獣はそれを受け入れるように手を広げて成仏し、屋上に集まっていたかつての教え子達はウルトラマン80=矢的猛に今の仕事や感謝の言葉を伝えると、「仰げば尊し」を合唱して、幻のED、といった趣向。
 「教え子たちに逆に教えられてしまったな」
 「……兄さん」
 「感謝してるのは私の方か。彼らとともに過ごせた時間は、私にとっても、かけがえのない思い出だからな」
 「さあ、みんなが待っています!」
 「……メビウス、私は自分の言葉で、謝ってみるよ。大切な、私の生徒達だから」
 無言で飛び去った80だが、矢的猛の姿となるとクラス会に向かい、教え子たちのその後を目にする事で悔恨の記憶から救済された80=矢的猛が、「かけがえのない思い出」と向かい合う事により、「ある日突然、居なくなった」矢的猛と、「ある日突然、居なかった」事にされた生徒たちの双方にとって、かつてそれは確かにあった事として思い出とその存在が肯定されると、教え子達の笑顔に囲まれる矢的先生、で落着。
 上記したようにエピソードの肝が“思い出の肯定”にあるので、最大限に効果を発揮するのは、やはり25年後に(少なくともある程度の思い出期間を置いてから)見てこそ、ではありましょうが、『80』本編の迷走に一定の筋を通しつつ、時代背景と教育現場を繋げてクラス会に持ち込んだのは上手い流れで、そこから幻の卒業式を着地点にするのが綺麗にまとまったエピソードでありました。
 一方でその道具立ての結果、廃校の決定した校舎、には巨大な墓石のイメージも付きまとうのですが、そこから生み出された失恋怪獣は、言ってしまえば“『80』学園編そのものの怨念”であり、80がそれに向かい合った時に怪獣が納得して成仏していくのは、気まずい思いを抱えていた80が25年ぶりに墓参りに来て過去と折り合いをつける物語でもあるかなーと。
 ……書いていて思いついた頓知ですが、中学教師・矢的猛が存在していたユニバースの方では公式には矢的は故人となっており、そちら主観で見ると今回は、25年ぶりに集った教え子たちが、矢的先生の墓参りにいく物語であったのかもしれません。
 それがメビウスの結び目では奇跡のクラス会として現出したのが、今回のエピソードなのかな、と。
 個人的な落としどころの話は話として、構造的に秀逸だったのは、「思い出の先生」への敬慕が「思い出」の実在の肯定へと繋がり、ではその「思い出」の肯定とはなにか、といえば、色々あって“消えてしまった”『80』学園編を補完・再生する事のみならず、《ウルトラ》シリーズ全体の肯定でもある事。
 かつて、私/君/我らが興奮した物語は、例えば成長と共に忘れ去って土中にあるか、或いは朽ち果てた無人の学舎として佇むばかりかもしれないが、しかしそれがそこにあった事は確かであり、ならばその思い出を否定する必要はなく、それぞれの形で胸の中にあればいい……例えば、今咲き誇る桜の木の下にこそ、かけがえのない思い出は糧になって眠っているのかもしれないと、そんな物語になっていたように思います(暗示されているように、存在の肯定と“卒業”が並存しているのも上手い作り)。
 先週まで見ていた&思い入れの方向性としては、キャップと再会したらグッと来たかもなぁとは思いつつも、それやるとまたコンセプトが変わってしまうので、これはこれでありましょうか。
 ――「今日の別れは永遠の別れでなく、また会う時までの仮の別れのつもりで居てほしい」
 あの日から今や40年、ウルトラの星は今も空に輝き続け、遠くの星から来た男が教えてくれた愛と勇気も、きっとどこかで誰かの胸の中に輝き、伝え続けられているのでありましょう……それは、人の可能性の光になって。
 当初は軽くまとめも、とか思っていたのですが、思いの外長くなったので、ひとまずここまで『ウルトラマン80』感想でした。