『ウルトラマン80』感想・第46話
◆第46話「恐れていたレッドキングの復活宣言」◆ (監督:東條昭平 脚本:平野靖司)
ナレーション「疲れていたマージンは、玩具と本物を間違えてしまったのだ」
で、レッドキングが復活する『ウルトラマン80』3倍濃縮みたいなエピソード(笑)
セルフパロディのサブタイトルにも何やら苦し紛れ感が漂うのですが、恐れていたのは上の方からのオーダーなのでは説。
少年少女が立入禁止の洞窟の中で発見した謎の壺から、
「あかさたなんなんまみむめもん」
の呪文に応え、封印されていた魔人マージンが復活。きれい好きの魔人は、街の掃除の報酬として子供達に好きなものをプレゼントするが、人の善悪とはかけ離れた存在であるが故に、集めたゴミをまた散らかしてから再び掃除するマッチポンプも気にせずにほいほいとプレゼントを渡してしまう。
マージンの行動は謎の怪音波としてUGMにキャッチされ、その捜査を続ける矢的と涼子は、高所から転落した少年をウルトラキャッチ。その際に負傷した矢的を涼子は光の国から持ち込んだメディカルガンで治療し、地球でウルトラ族の技術をみだりに使うの良くない、と矢的が再び涼子を諭し……「宇宙的後進文明である地球人に対し、軽率にウルトラ族の技術を見せたり与えてはいけない」というニュアンスはわかるのですが、そもそも“超文明の超人が超能力で地球人を救う物語”なので、「郷に入っては郷に従え」を合言葉に「超技術」を否定すると、必然的にウルトラマン80そのものの否定に繋がってしまうので(シリーズとしてはこのテーゼを掘り下げた作品もあったと思いましたが)、地球人離れしたウルトラキャッチの直後に先輩風を吹かす矢的先生の説得力が無。
では少年を見捨てていいかといえば、それが出来ないからこそ矢的はウルトラマン80をやっているわけであり、“奇跡の安売り”を戒める一方で、“恣意的な奇跡”から逃れられない80/矢的猛の抱える自己矛盾に直撃してしまうのは、今作の構造と相性の悪い題材であったようには思います。
この題材を成立させる為には、“奇跡の理由”を、行使する矢的と、行使される地球人の双方に関して描く必要が出てくるのですが、その点は一種自明の理として物語の前提条件に組み込まれてしまっているので、そこを「地球人」と「超越の力」に再び分離して掘り下げていったのが、90年代のシリーズ作品の一面でありましょうか。
なお矢的先生はメディカルガンを見て怪訝な顔で「なんだいそれは?」「それは君の星から持ってきたのかい?」と意味不明の供述をしており、ユリアンが絡むと、時空間の乱れが深刻化していきます。
魔法の壺の存在を知る矢的たちだが、悪ガキたちがレッドキングを呼び出してしまい、壺は混乱の中で砕け散ってしまう(マージン……)。小学生グループ同士の諍いは、悪ガキが咄嗟に妹を助けるのに協力してくれた事で丸く収まり、蒔いた揉め事の種をしっかり片付けようという意識は一貫しているのですが、片付け方が毎度雑なのは凄く『80』(笑)
出撃したUGMの戦闘機はあっさり撃墜され、80変身。激しいファイトの末、噛みつき攻撃を受けた80は思い切りはたき飛ばされ、カラータイマーが点滅を始める大ピンチ。
この危機にメディカルガンを使おうとする涼子だが80はそれを拒否し、
ナレーション「80は、子供たちに楽をしてはいけないという事を見せたかったのだ」
マージンの件と絡めて伝えたい事はわかるのですが、そもそも劇中の子供たちがメディカルガンの存在を認識していないので、ものすっごいメタ発言になっています!(笑)
気合を入れて立ち上がった80は、連続の投げ飛ばしからウルトラスパーク飛び蹴りを決めると必殺光線でフィニッシュし、派手に砕け散るレッドキング。
「ま、もう済んだことだから仕方がないが、今度魔法の壺を見つけたら、ちゃんと届けるんだぞ」
主体を小学生にすると、巻き起こされた怪獣被害を有耶無耶にしないといけなくなるのも難儀ですが、なんとなくチーフが丸く収めるも、実際に届けたら「こらこら、悪戯電話はやめなさい。UGMは遊びじゃないんだ(がちゃん!)」だった事は想像に難くないので、大人はみんな嘘つきだ!
子供達が反省する姿を見て涼子はメディカルガンを矢的に預け、「欲に溺れて分不相応な力を振り回すといずれ手痛いしっぺ返しを受ける教訓」と「社会の成熟度を逸脱した技術は人の為にならない科学倫理」が童話を媒介に接続されるのですが、そこに更に「ウルトラ族は地球人文明とどう接するべきか」を加えた結果、地球人類の自助努力に意識の強い矢的先生、という新たな生命体が誕生する事に。
また、3話前に城野隊員が殉職した世界で「これさえあれば、どんな怪我でも病気でも、へっちゃら」なメディカルガンを持ち出すのは具合が悪いというか、メディカルガンでも治療不能な致命傷であったと解釈は可能にしても無神経で、今作ここまでの積み重ねとあれこれ噛み合わず、欲張りすぎて主題がスッキリまとまらない着地になってしまいました。
……それにしても、最終クールにして、矢的が若きウルトラ族の教師として機能するのは、今作ここまでの迷走を考えると非常に皮肉ですが、これはいったい、未練なのか面当てなのか。
「ウルトラ族(の超技術)」と「(消耗の果てに退場する)マージン」を重ねるのは、雑な対比といえば雑な対比である一方、かつてこの星を去ったウルトラセブンなどを念頭に穿った見方をしようと思えば幾らでも出来るところでありますが、そこでマージンとウルトラマンをハッキリ分けるものは“明確な自由意志”であって、では地球のどこに守るべき価値――奇跡を起こす理由――を見出すのか? をレンジに入れていたのかいないのか、といったエピソードでありました。
次回――なんか、また、予告でほとんど喋ったような……(笑)