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アイは禁断の果実

仮面ライダーゼロワン』感想・最終話

◆最終話「ソレゾレの未来図」◆ (監督:杉原輝昭 脚本:高橋悠也
 「……イズ。君の名前はイズだ」
 うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
 死んだ女の名前つけたーーーーー!!
 「大丈夫! ……どれだけ時間がかかっても、教えるから」
 うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
 昔の女のコピー作る気満々だ!!
 「元通りのイズに、育てるという事ですか?」
 「ああ」
 うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
 格好つけながら断言したぁ!!
 ……さすがに、内心深いところでは“あのイズ”が戻ってこないのはわかっているとは思いたいですし、代替え行為として感情面ではわからない事もないですが、ですが、これから生まれてくるであろう“心”を、社長権限で望み通りに調教しようとする行為は、完っ全に歪んでいると思うのですが、結局、アルトにとってヒューマギアとは何なのか。
 今作終盤が消化しにくい理由の一つとして、もはや「生命倫理」に近い問題が発生しているのに、そんなものは無いがごとく進行していく点があるのですが、そうやって無視し続けてきた末に主人公自身がその泥沼に嵌まって堕ちるところまで堕ちてしまうのが、飛電の血の因果ではありましょうか(劇中のピースを拾い集める限り、先代社長はほぼ間違いなく倫理観が壊れているので)。
 ……精神状態としては、


 「でも今じゃおまえのほうがずっと大切だよ。人間の茂はちょっと車にぶつかっただけで死んでしまったが、マシンのおまえは簡単には死なない。やりようによっては、人間の何百倍のパワーも持てるし、武器だって内蔵する事ができるんだ」
(ジニアス黒田/『超力戦隊オーレンジャー』第18話)
 が近いと思うのですが、最終回ラストシーンで、主人公の心がスクラップになっている事が示唆されるのは確かに、「今までの仮面ライダーシリーズとは、まったく違う結末」なのか……?
 常日頃からアルトの抱えていたマッドサイエンティスト気質が盛大に露出したと思えば、死んだ女を甦らせようとする行動そのものには納得がいくのですが、主人公の着地点がそこで良かったのかには首をひねります。
 笑いを取りたかった主人公が最後に辿り着いた二人っきりのギャグ空間には、茫漠たる白が拡がり、こうなってみると、不破さんがアルトのギャグに素直に笑っていてあげれば……とは、不破さんに責任はないとはいえ、一抹の感傷がよぎるところ。
 「あなたは……?」
 「俺はバルカン。街の平和を守る、仮面ライダーだ」
 その不破さんは謎の自警団ヒーローを気取っており、格好いいといえば格好いいんですが、素顔で力強く名乗るその姿は完全に自称仮面ライダーの不審者(これはこれでちょっとぶっ壊れ気味というか……)であり、頻繁に通報されては唯阿さんが各方面に頭下げて回っていそう……。
 最終回後半を大団円後日談パートに回した見せ方そのものは好きなのですが、なにぶん設定も内心も世界観も虚無から生えてくる作品なので、1年間の積み重ねがそこに乗るわけでもなく、とにかくみんな「仮面ライダー」に繋げるものの、劇中における「仮面ライダー」=「○○」という定義付けが成立しているわけでもないので、唯阿さんを筆頭に夏の日差しが強すぎました。
 迅×滅は完全にサービスシーンな作りで、EDパートは視聴者を楽しませる事が最優先! というやり方も嫌いではないのですが、そもそも「ワンオフ品だった父ギアの死を契機にヒューマギアの死を人間同然に捉えるようになった」アルトの周囲で、「データさえあれば幾らでも復元可能でしょ」と次々とヒューマギアが蘇生するゾンビパニックについて、アルトがどんな思考の摺り合わせをしているのか一切描かれないまま最後まで来てしまい、いっけん大事そうに掲げている作品のテーマを、話の都合で易々と踏みにじって平然としているのが、最終回まで『ゼロワン』作劇でありました。
 アルトと滅の最終決戦については、常ならば、細かく分解(今作については検死)して、何がどうしてよくわからなかったのか、を咀嚼して消化するところなのですが、今作に関しては、それをやる気力も体力も湧かず時間を費やす気も起きないので、このまま幕を閉じたいと思います。
 一つだけ触れておくと、結局、TV本編を見ているだけだと其雄ギアの存在が意味不明な点が死体に灯油をかけて火を放つ事になりましたが、一応、劇場版と繋げて説明は入れたものの、あれもこれも其雄ギアがが全部やりました、という何でもあり具合から劇中リアリティ皆無の超古代の伝説の賢者のごとき便利ギミックとなり、物語の中にキャラクターとして落とし込まれる事のないまま、ただただ都合の良い装置として使われるのが、どこまでも残念でありました。
 「家族がー」「家族がー」と言いながら殴り合っているのに、アルトの家族関係についてあまりにも情報不足、というのも最終回まで実に『ゼロワン』。
 七転八倒したヒューマギアの位置づけとはまた別に、序盤から大きなキーとして設定されていた、“ヒューマギアに育てられた者”としてのアルトと迅の対比すら効果的に消化できずに放り投げられたのは、まあ確かに、これまでにない結末。
 ……見終わってみると、最後の最後まで「おまえを止められるのはただ一人」だったのが、まさに今作を象徴する主人公の決め台詞であったのかもしれません。
 取り沙汰されていた劇場版は、EDパートで引き要素を入れた上で12月公開との事で、プロデューサーが公式ブログでぶちあげていた「今までの仮面ライダーシリーズとは、まったく違う結末」というのは、これの事だったりするのでしょうかもしかして。
 なお、『キラメイ』映画は新春公開予定との事で、両作とも大幅な見直しを要求されたようですが、今作に関しては、コロナ禍云々以前の問題であった事は、改めて強く明記しておきたいと思います。
 以上、『仮面ライダーゼロワン』感想でした。