東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
旧ダイアリー保管用→ 〔ものかきの倉庫〕
特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)
HP→〔ものかきの荒野〕   Twitter→〔Twitter/gms02〕

それは復讐のカオス

超獣戦隊ライブマン』感想・第7-8話

◆第7話「恐竜vsライブロボ」◆ (監督:東條昭平 脚本:曽田博久)
 オブラーくんはあんな凄い頭脳獣を作り出したというのに、どうして小さな恐竜一匹しか連れて帰ってこれなかったのか、天才の僕にも全然わからないな~? と、ヅノーベースに帰るやケンプから厭味を言われるオブラーだが、そのたぐいまれなる頭脳は既に、恐竜を巨大化するプランBの計画を練り上げていた。
 ギガファントムで巨大化できるのは頭脳獣のみの筈……オブラーの大胆なアイデアに驚愕するケンプとマゼンダを背景に置き、手前で書類をめくるビアス様にフォーカスする格好いい演出で、ビアス様はオブラーの計画書にゴーサイン。
 一方、山奥の洞穴に潜む少年とゴンだったが、肉食恐竜の本能に目覚めたゴンが豚を襲い、リアル豚に噛みつこうとする恐竜の着ぐるみと、それに角材で殴りかかる農家の男性、という混沌とした映像が発生。
 駆け付けた勇介たちはなんとかゴンの動きを止めて即席の檻に閉じ込めるが、豚6頭を瞬く間に平らげたゴンを保護し続ける事の難しさを痛感して思い悩む。
 「……殺すよ。僕が殺すよ」
 そんな中、覚悟を決めた少年の横で、祖父が猟銃を構えているのが実に70ねんだ……いや、違う、88年なのですが、少年が真っ先に「この世界では生きていけない」恐竜と向き合う凄まじい展開。
 「ゴンが誰かに殺されるぐらいなら……僕が殺すよ。悪い奴らに苦しめられるなら……僕が殺すよ。お爺ちゃん、銃を貸して!」
 涙を流しながらゴンに銃を向ける少年だが、引き金に指をかけるも耐えきれずに銃を取り落としてしまい……この間、誰も止める素振りを見せないのが実に70ねんだ……いや、88年なのですが、大変70年代テイストなハード感(山暮らしの祖父が猟銃を持っているのは、街の小金持ちの家の壁にナチュラルに猟銃がかかっているよりは納得できますが)。
 ……まあでも、考えてみると同期は『世界忍者戦ジライヤ』!(何かに納得)。
 ところがその時、周囲に恐竜の吠え声が響き渡り、まさか他にも恐竜が現代へ?! と声の方に急ぐライブマンを待ち受けていたのは、ケンプとマゼンダ。
 冒頭ではオブラーに厭味たらしく接していた二人ですが、陽動作戦には素直に協力しているのはビアス様の命令だからだと思われ、こんなところでも大教授がカリスマぶりを発揮。
 美獣ケンプは、ビューティフルアイ(ウィンク光線)、ビューティフルレインボー(範囲爆撃)を次々と発動し、光の早さで勝手に面白くなっていくので、大変困ります。
 「見たか、全てに美しく、華麗な美獣ケンプの技」
 「私は非情の、ハードボイルド・ウーマン」
 ケンプから目配せを受けたマゼンダもそのノリに付き合ってハンドキャノンを放ち、楽しそうだな君たち……。
 裏切りと虐殺から始まった復讐の物語である今作ですが、全編にそれを反映して重苦しい空気で進むのはシリーズ的に明らかに苦しそうなののを見越してか、両陣営に早々にくすぐりの要素が盛り込まれる事に。
 とはいえ、身勝手な自尊心と傲慢な顕示欲が強いケンプ達がナルシシスト的な言行を見せる事には違和感はなく、元よりライブマンの怨念に付き合う義理も無いので、徹底して好き勝手を言っているだけなのは、キャラクターとしては納得が行きます。
 その点では、強烈な因縁を構築され、3vs3の対比関係に置かれている一方で、今のところライブマンとケンプ達は同じ舞台の上に立っていないといえるのですが、それが宇宙空間から地上を見下ろす武装頭脳軍ボルト(大教授ビアス)の在り方と繋がっているのは、上手い所。
 「おまえには母さんが居るんだ! もうひとりぼっちじゃないんだ!」
 一方、吠え声に反応したゴンは檻を突き破ってしまい、両親を失っている少年が、ゴンに親が居る可能性を見出すと再びその逃走を手伝ってしまうのは、前編で提示された要素を拾って心情としてスムーズ。
 だが、ゴンと少年を待ち受けていたのはスピーカーを顔から突き出した改造モヒカン兵で、元より量産型のメカとはいえ、人間型のロボットをわざわざ“動くスピーカー”として見せつけてくるのが、刺激的な映像。
 改造モヒカン兵は更に、ガッシュとオブラーの協力技・ギガファントム改に巻き込まれて大爆発し、弾け飛んだ腕や頭のパーツが少年をかばった勇介の足下に転がってくるのも印象的で、ボルトの目指す、一握りの天才によって支配された世界の姿を暗示しているようにも思えます。
 オブラーの計画通りに、巨大・凶暴化してしまったゴンは、戦闘機に乗ったスピーカー兵士の誘導により街へと向かい、ひたすら非道なオブラーの作戦に、マシンバッファローが出撃。
 「空に鳥!」 「大地に獣!」 「海に魚!」
 「「「生きとしいけるもの全てを守る、ライブマン!!」」」
 個人メカに乗り込んだライブマンが発進しながら叫び、継続的なキャッチフレーズになるのかはわかりませんが、「さかな」はどうにも、格好良くならない語感……(笑) 「うお」だったら、とにもかくにも5・7・5になって勢いは付いた気がしますが、代わりにもっと大事なものを失った気もして、なかなか難しい。
 陸海空、3つのメカがこの地球に生きる命の姿を示し、それを弄ぶものは許さないと、ボルト戦闘機を相手にメカ戦を展開。陸空海の激しい戦いと今にも団地を破壊せんとする巨大ゴンの姿が交互に描かれる力の入った特撮シーンが続き、誘導担当の戦闘機を破壊して街を救うライブマンだが、オブラーは再びゴンを凶暴化。
 暴れる巨大ゴンはとうとう目からビームを放ってライブロボを攻撃し、現在のところ、ボルト3人組の中で、一枚上の科学力を見せつけてきますオブラー(笑)
 だが、冴え渡る頭脳と強靱な肉体の代償として《ドジっ子属性》を与えられたオブラーは、調子に乗って戦場の至近距離でゴンを操っている所を発見されてしまい、ダイレクトライブロボビームを食らって撤収。オブラーの装置が壊れた事でゴンは元の大きさに戻るが、無理なギガファントムの反動により少年に看取られながらその生涯を終え、東映名物:勝手にお墓を建てたライブマンは、悪魔の科学へ更なる怒りを燃やすのであった……!
 勇介達の科学力ではゴンを生まれた時代には戻せないのが大前提で始まった上で、星博士の遺産でミニチュア恐竜になったゴンが少年と幸せに暮らすみたいな奇跡も起こらず、ひたすらボルトの悪辣さを強調して救いの無い形で終了。
 前回-今回で、ライブマンの掲げるテーゼとしての「生きとしいけるもの全てを守る」が強調された一方で、その敗北も描かれる事になり、軽いユーモアも交えつつ、1-2話の再演的でもある内容。
 良かったのは、ゴンの助命を訴える少年にライブマンが振り回されている内に被害が広がったりする展開にならず、少年が一度は射殺を決意して猟銃まで手にしている事で、その描写により後半を引っかからずに見る事ができました。
 どちらかというと、決断を先延ばしにしている内にボルトに踊らされたライブマンの失点が大きいですが、「確実にヒーローより優れた頭脳を持っている敵幹部」にどう敗因を作り、ライブマンのヒーロー性を下げずに展開していくかは、今作一つの課題になるのかも。

◆第8話「愛と怒りの決闘!」◆ (監督:長石多可男 脚本:藤井邦夫)
 今年もサブライター一番手として藤井先生が参戦。
 めぐみは特訓として男二人を爆弾迷路の中に投げ込み、足下にある円筒の中に置いたカメラからそのやり取りを映しているのでなんだろう……? と思ったら滑り台の入り口で、めぐみに押されて滑り落ちていく二人にサブタイトルがかかるのが、掴みで面白い演出。
 丈は動き回ってばかりで冷静な判断力に欠け、勇介はいちいち格好つけるなと高い所から指導が入り……本当に、爆発させたぞ、この女。
 「情けないわねぇ! 特訓あるのみ!」
 復讐はは、かくも人を狂わせるもなのです。
 一方、ケンプは人間のマイナスの精神から発するカオスを利用し、人々の怒りの心を吸い取って無気力にするイカリヅノーを誕生させる。
 「さすがにDr.ケンプ、愚かな人間の弱点を利用した見事な作戦。これでまた一歩、真の天才に近付いたというわけだ」
 ……「さすがに」も「見事な」も「真の天才に近付いた」も、どれもこれも疑問符が浮かび上がらないでもないのですが、悠然と構えたビアス様の醸し出す説得力ありそうな雰囲気で全て押し流していく力技(笑)
 「岬めぐみか……沈着冷静なあの女も、やはり感情を操ることのできぬ、愚かな人間の一人」
 そしてビアス様、科学アカデミアの英才として、やはり、めぐみをチェックしていた(しかし、服のセンスが合わなかった)。
 迷路特訓から逃げ出した男二人を探し回るめぐみは頭脳獣に怒りのカオスを吸い取られながらも戦い続けるが、駆け付けた赤と黄も怒りのカオスを吸い取られて万全で戦えず、やむなく一時逃走。ケンプとのやり取りで頭脳獣の能力を知るライブマンだが、2年以上に渡って復讐の炎を燃えたぎらせてきた3人は、その最大の原動力を封じられてしまう事に。
 「でも怒りを燃やさなきゃ戦えないぜ」
 「怒りを燃やさずに戦う方法を見つけるんだ」
 作品によっては物凄い方向に行きそうですが、めぐみは子供を守る母親の姿に愛を、丈はチンピラに立ち向かう学生に正義の勇気を見出し、勇介が卓二と麻里の墓を訪れたのは、二人の存在を物語から消さない目配りがあって良かったです。
 そして勇介は卓二と麻里から夢を受け取り……愛・正義・勇気・夢、大切なものを守る為に戦うという事は、決して怒りや憎しみに囚われる事ではないと知るライブマン
 「馬鹿な?! イカリヅノーが、怒りのカオスを吸収しきれないだと?!」「俺たちの怒りと憎しみは、まだまだこんなものじゃないぜ月形!」「俺たちは必ず、貴様の中学時代の卒業アルバムと、パソコン通信のログを手に入れてみせる!」「そして全世界に公表してあげるわ!」「こ、これが、復讐の生み出すパワーだというのか……?! ぐわーっ」
 ……とか、
 「怒りの心を消し去る……そうだ、全ての人間と関係を断って、心を無にしてしまえばいいんだ!!」
 ……とか、とんでもない方向に進まなくて、ホッとしたような、残念だったような……。
 「思い上がるな月形!! 俺たちは戦う……」
 「愛を信じて戦う」
 「正義の勇気を信じて戦う」
 「夢を信じて戦う」
 怒りエネルギー充填による大爆発を防ぐべく頭脳獣に再戦を挑んだライブマンは、怒りや憎悪に駆られた精神を乗り越え、第1話時点で、復讐という“私”から全ての命を守る為に戦う“公”へと接続されてはいたのですが、それでは物足りないという判断だったのか、ライブマンが戦う“公の理由”を重ねて補強。
 復讐を捨て去ったわけではないと思われるので……ケンプ達に対して「個人的な怨恨で殺す」から「世界に対する害悪として殺す」にシフトしたのは、余計に危なくなったとは言えるような(笑)
 この辺り、時代性もある部分かと思われますが、復讐を中心軸に置いたヒーローというのが描きにくかったのか、復讐以外の動機をライブマン側から明確にする“ヒーローとしてのイニシエーション”といえるエピソードになっており、今日の目線で見るとむしろ、2クールぐらい引っ張ったところで「復讐心だけでは勝てない敵」とぶつかった時に、チームがそれを乗り越えヒーローとしても成長するエピソードに置いても良いぐらいだったのではと思え、少し持ち込むのが早すぎた気がして惜しまれます。
 「無い? 怒りのカオスが無い?!」
 「なに?! ……馬鹿な……戦いに怒りや憎しみのカオスが、燃えない筈がない!」
 「ケンプ。あんた達の軽蔑する愚かな人間は、怒りや憎しみだけで戦うだけじゃないのよ。ま、人間を捨てたあなたにはわからないでしょうけどね」
 特別なヒーローだけが持つのではない“人間”の心が今ライブマンを支える力となり、思い切り蔑んだ視線を向けるめぐみに、思わず激高するケンプ。
 「黙れ! 戦いとはな、力と科学で、ねじ伏せるものだ!」
 そんな時でも、台詞が面白いぞケンプ!
 人間を捨てたとうそぶくが超人になりきれないケンプは、激情にかられた心をイカリヅノーに吸われて自爆ダメージを受けるとモヒカン兵を繰り出して撤収。ライブマンは三方同時ビーム攻撃が格好良かったイカリヅノーをバイモーションバスターで撃破し、光線エフェクトが少し強化?
 ガッシュが出てきてギガファントムし、『チェンジマン』から続く巨大化光線発射路線ですが、担当者がガッシュぐらい強そうだと攻撃を仕掛けても自衛されそうな説得力があります(笑)
 「夢を懸けて」
 「正義の勇気を守って」
 「愛を信じて」
 「「「ライブロボビーム!!」」」
 怒りファイヤーにより一度は倒れるライブロボだったが、渾身のビームで形勢逆転すると、スーパーライブクラッシュ。
 「愚かなケンプよ……人間の煩悩をまだ捨てきれぬか。超天才にはほど遠い! 恥を知るがいい」
 平伏したケンプにマントをふぁさぁっとかけたビアス様は珍しく一喝し、感情に溺れて醜態をさらしたケンプは屈辱に打ち震え……前話で触れた要素で言うならば、凡俗とは違うステージに立っているつもりで他者を見下していたケンプが、自ら同じ土俵に降りてしまった事をビアス様から指摘され叱責を受けたわけで(自ら生み出した悪魔の科学により自爆するのが今作らしい見せ方)、この屈辱はライブマンに対する根深い恨みに転化されそう。
 地上ではめぐみが、爆弾迷路はやりすぎだった、と男二人に謝罪。
 「私、勇介の夢、丈の勇気を信じて、これからは愛情を持って特訓するわ」
 めぐみはにこやかに縄跳び5000回を要求し、根本のスパルタ気質は変わらないのであった、で、つづく。
 物語の発端と善悪の因縁を構築した1-3話、コミカル要素を加えて物語とキャラの幅を広げた4-5話、と来て、6-8話は、1-3話で打ち出した要素の再確認をしつつ“ライブマンの戦う理由”を改めて言語化して表明する、といった作り。少々くどくなった部分もありましたが、ケンプとの双方向の因縁は今回をもって完成したともいえ、ここから『ライブマン』としてどう物語を転がしていくのか、楽しみにしたいと思います。