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ざっくりと速やかにゼロワン

仮面ライダーゼロワン』感想・第35話

◆第35話「ヒューマギアはドンナ夢を見るか?」◆ (監督:中澤祥次郎 脚本:筧昌也
 「どうしてだ迅?!」
 「僕の正義を叶えるためさ」
 「ヒューマギアの為に、戦うんじゃないのか?!」
 アルトの中で、ヒューマギアの為に戦う=自分に同調して協力する事、になっているのがまずよくわからないのですが、雷電ギアを手に飛び去ろうとしたフェニックスを背後から撃ち落としたワークゼロワンは、俺の敵はヒューマギアの敵、と思い切り剣を振り下ろ……そうとするが滅がフェニックスをカバーリングすると咄嗟に刃を止め、え、そこ、止めるところなの……?
 「俺は……何故……今、動いた?」
 滅は滅で、アークの意志と関わりなく咄嗟に動いたようですが、これが滅の中の「養育ギア」としての本分だとするならば、「夢」とか「自由」とはいったい。
 ワークゼロワンの動きが止まった隙にフェニックスは雷電キーと滅を手に飛び去り、アジトでは意識を取り戻した不破の「おまえの夢はなんだ?!」という呼びかけに亡がアークとの接続を中断し、ZAIAスペックの暴走は停止。
 ゼロワンは、迅を追いかけようとする→「ZAIAスペックが暴走して大変」とイズに呼び止められる→何かする前に知らないところで問題解決→状況に取り残されて棒立ち、と主人公とは思えない扱いをうけ、どうしてそうなりましたか。
 天津は問題の収拾に当たり、ZAIAスペック暴走事件への対応策と会見のトーンが前半の飛電インテリジェンスと全く同じで、面白すぎます。
 改めて主人公が「暴走しちゃったけど悪いのは俺らじゃなくて滅亡迅雷ネット(人間の悪意)なんでー、一応、セキュリティも強化したから大丈夫っしょー」って、半年言い続けていたの、凄い。
 病院で目を覚ました不破は分離した亡の口から消されていた過去について教えられ、不破の記憶改竄に責任を感じる唯阿さんが、イリーガルな手段に手を染めてでも不破の過去を取り戻そうとしたのはドラマチックではあるのですが、人類滅亡を掲げる組織の戦力を強化し、直前にもZAIAスペック暴走により多数の傷害事件や器物損壊が発生しているにも拘わらず、弛緩した空気で平然と会話を続けるのは、さすがにこの場の全員の正気を疑います。
 物語全体としては、滅亡ギルド所属ギアも含めた軟着陸の準備を始めているのかもしれませんが、滅亡ギルドは滅亡ギルドで不破と唯阿を普通に帰すスライム具合な上、語られた不破の過去についてギャグを始めるので、果てしなく困惑。
 一方、怒り心頭の天津は自らA.I.M.S.を率いて滅亡ギルドの討伐に臨み、レイダー部隊とマギア部隊が入り乱れる集団戦の中で、サウザーとポイズンが激突。終始優勢のサウザーがポイズンを追い込むいまひとつ納得のいかない成り行きの末に、スコーピオンジャックの毒針が変身の解けた滅に迫るが、身を挺してそれをかばうゼロワン。
 「おまえはアークじゃない……おまえは……おまえなんだ。おまえ自身の、夢がある筈だ」
 さすがに驚愕する滅へ向けてアルトは熱烈に語りかけ、だんだん、夢無罪みたいな事になってきましたが……特に今作の場合は1話単位でどうにかなる部分ではないにしても、『ニンニンジャー』の時といい、中澤監督は割とこういうジャッジは緩め……?
 「はぁ……また夢の話ですか」
 正直、サウザーの溜息に頷いてしまいました(笑)
 「そんな奴らに夢なんかあるわけないでしょう。人類を滅ぼそうとする奴らに」
 まあ、この人はこの人で徹底して悪役なので、余計な事を付け加えるわけですが。
 「違う!! ……ヒューマギアは悪くない。……悪いのは……ヒューマギアの夢を認めない存在」
 言っちゃった……。
 「アークを生み出した張本人……天津垓、おまえだ!」
 アークが今の形で存在しなければ、滅亡ギルドも、ヒューマギアの暴走も最初から存在しない……という理屈は通らないでもないのですが、はからずもお仕事対決編において“普通の人間の持つ悪意”を描いてしまっている事も含めて、「人間の悪意」や「ヒューマギアの夢を認めない存在」を全て天津/アークに押しつけるのは、あまりにも無茶。
 それを成立させる為にこそ“寓意的な悪の象徴”という手法が存在するわけなのですが、『ビルド』にしろ今作にしろ、その寓話性を自ら破壊してしまっている為に、主人公の言葉が空疎に響いてしまう事に。
 演出的には非常に劇的な瞬間として描こうとしているのですが、作り手の側の想定する物語の熱量と、見ている私の心の温度との差が開きすぎて、完全にノれなくなってきてしまいました……。
 アルトとしては、迅をかばった滅の姿に、父・其雄ギアを重ねて見ているところがあるのでしょうが、それならせめてそこに説得力を持たせる為に物語を組み上げてほしいところで、あっちこっちに話が飛ぶ為アルトの心情が物語の軸になっておらず、主人公の言動についていけないのがとにかく辛い……。
 後これも重ねての話になりますが、アルトの信じる“シンギュラリティに到達したヒューマギアの善意”を、受け手として信じられる仕掛けがフィクションとして足りなすぎますし、アーク無しでもヒューマギアの自我が人の心を写す鏡となるならば、遅かれ早かれカタストロフが発生する未来しか思い浮かびません。
 ではそのカタストロフを回避する為にアルトがやるべき事はなんなのか……? という時に、それは“悪意の根幹をたった一人に押しつける”事ではなく、もっと“人間を見る(知る)”事なのではないか、と思うわけなのですが、そこが欠落しているのが今作の厳しいところ。
 怒りのワークゼロワンは滅に代わってサウザーに挑み、ここ数話の繰り返しですが、幾ら流れを盛り上げようとしても、ヒーローと悪役の格付けが完全に済んでいる為に冴えないクライマックスバトル……と思ったら、なりふり構わぬサウザー、ギーガー4台を投入(笑)
 だがそのギーガー、そしてA.I.M.S.レイダーが亡によるハッキングを受けてサウザーに襲いかかり、あらゆる他人を道具として扱ってきたサウザーが道具の反乱で集中砲火を受ける図は転落の光景としてはなかなか面白いですが、亡は亡で突然のオーバースペックすぎて、見ていて熱量が上がりにくい存在。
 「滅の夢をかなえるのが、今の私の夢なのですから」
 立ち上がった滅は再び変身し、量産型を叩きのめして疲弊したサウザーに襲いかかると、1000%社長、大爆発(数えておけばよかった)。
 天津は恒例の捨て台詞を残して撤収し、滅亡ギルド的に天津を見逃す理由は皆無なのですが、下手に殺して国が軍でも出してきたら困るという判断なのか、殺すまでもない小者認定なのか、あまりにも哀れっぽかったからなのか。……死ねばいいというわけでは全くないですが、天津も天津で都合良く死なないし、滅も滅で都合良く殺さないしで、色々とげんなり。
 率直なところ、一緒に見送っているアルトもアルトで、「天津垓、おまえだ!」と言って殴りかかった後、どういう始末をつけるつもりだったのでしょーか。
 天津が反省して「もう悪い事しません。許して下さい」って泣いて謝るまでバッタ責めでもするつもりだったのか(ここでも、寓話性の破壊・欠如が、行き止まりを生む事に)。
 「どうやらおまえは他の人間とは違うようだな」
 「俺の夢は、人間とヒューマギアが共に笑い合える世界にする事だ」
 その為には、「ヒューマギアの夢を認めない存在」は消毒だぁぁ!!
 「フ…………どうかな」
 一瞬、「同感だ」と聞こえて目が点になったのですが、亡と一緒に立ち去りながら(飛電或人、ヒューマギアの未来を変える男かもしれないな)と呟くモノローグも同じぐらい目が点で、今回だけで滅がすっかりわけのわからない人になってしまって(前回からのアルトの度重なる妄言に汚染されてしまって)、大変残念。
 そしてそれを、なんかいい話に落ち着いた風に見送るアルトは、雷電キーが奪われっぱなしな事と、滅がミドリを抹殺した事の、双方の記憶がすっぽり消滅しているようなのですが、先代社長はアルトの脳にどんなチップを埋め込んだのでしょうか。
 ミドリはまた適当に復元されて農場に復帰し、今作が“ヒューマギアの自我”をどう位置づけたいのかさっぱりわからないまま、デイブレイクタウンでは、雷が復活。
 「これで、滅亡迅雷の復活だね」
 「よくぞ甦った――雷」
 「アークの……意志のままに」
 で、つづく。
 次回は何やら特別編集版のようですが、本編で一切描かれていない設定とか、全く読み取れない心情とかが捏造されそうで、見た方が良いのかどうなのか。
 今作に関しては正直、通常放映再開後に残り話数を全て使って一気の最終章突入してしまった方が、まとまりが良くなりそうな……。