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恋愛80級

ウルトラマン80』感想・第3話

◆第3話「泣くな初恋怪獣」◆ (監督:深沢清澄 脚本:阿井文瓶)
 マドンナ先生と一緒に帰れるなんてドキドキしちゃう、と一人盛り上がり、ちょっと本を貸して貰ったぐらいで(あれ、もしかして、俺に好意が……?)と舞い上がる矢的猛が、なんというか……こう……表現する言葉の選択に悩むのですが、キャラ配置の時点で織り込み済みの学園物としての要素がストレートに盛り込まれた結果、ウルトラ戦士としてそれはいいのか(笑)
 そこは抜きにしても前回、不登校児に対して「ガールフレンドに最高じゃないか?」と、登校の目的の為に彼女作りを進める姿にちょっと疑問を感じてはいたのですが……この人、純情とか純朴というより、恋愛にドリームを抱きすぎなのでは。
 そう考えると、同じく前回の不登校児に向けた、
 「好きになればいつかは向こうだって好いてくれるさ」
 「でも、今に好きになるさ。こっちが好きだって言ってるんだもの、そっちだって好きにならないわけないさ。明日から毎朝迎えに行くぞ」
 の、意味が変わって聞こえます(笑)
 そんな矢的先生は、クラスの生徒が三角関係のもつれから引き起こした喧嘩騒ぎを仲裁するが、彼女に乗り換えられた少年の嫉妬と憎悪がマイナスエネルギーの塊を発生させ、割と世間に怪奇現象のクレーム電話先として認知されているUGMと、その電話を途中で叩っ切る隊員某。
 初日は不気味な霧と声だけで終わった怪奇現象だが、少年の募る憎しみを受けて、遂に怪獣化。霧の出現地点から少年に当たりをつけていた矢的は、怪獣が現れる根幹の原因を取り除こうと少年の説得を試み、自らの失恋経験を語る。
 「故郷に居た頃、本当に好きな女の子が居てな……」
 二ヶ月必死にバイトでお金を貯めて彼女が欲しがっていた楽器を買ったとの事ですが、光の国のバイトというのはやはり、悪の宇宙人どもを消毒だぁぁぁぁぁ!! みたいな内容なのでしょうか。



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 しかし、楽器を手に入れた時には既に遅く「その子には、新しい恋人が出来てたんだ」と少年に聞かせて共感を得ようとする矢的、まるで「前の恋人」が自分のような口ぶりですが、ここまでの描写を見ると多分、都合のいい妄想。
 たとえ他に恋人が出来ても楽器はそのまま彼女に渡し、愛とは見返りを求めるものではないんだ、という矢的の説得は空振りに終わり、少年の憤りに反応して暴れ出す怪獣ホー。夜戦で見せるのを意識してか体表に散りばめられた反射板のようなものがアクセントとして面白いホーは、酸性の唾液(この後のナレーションによると、どうやら涙のようなのですが、映像的には唾を吐いているようにしか見えない)を撒き散らしながら少年の元彼女の家の方へと進んでいき。それを止めようと矢的は重ねて少年の心に訴えかける。
 前回に比べると、生徒の問題が『80』怪獣の基本設定と繋がり、その憎悪を正そうとする教師としての矢的の奮闘が、怪獣退治と関連づけられたのは、良かった部分。
 「おまえなんか消えろ! おまえなんか俺の心じゃない! 消えろーー!!」
 身を挺した矢的の行動に人を憎む事の愚かしさを知った少年は怪獣を否定するが、既に怪獣は少年の心の制御を離れており、その危機に矢的は80に変身。強酸の唾液を浴びせられて危機に陥るが、バックルビームで怪獣を撃破すると飛び去っていき、翌朝早くから、マドンナ先生の待ち伏せに励むのだった。
 もはや完全にストーカーと化した矢的先生は、今回もマドンナに袖にされたのを失恋少年に目撃され、元カノカップルと和解した少年と励まし合う。
 「だけどな、男は失恋して失恋して、いい顔になっていくんだ」
 ……矢的先生は、勝手に好かれているつもりになって、勝手に恋人気分になって、勝手に玉砕している疑惑がありますが!
 なにぶん40年前の作品なので、矢的先生の言動には色々と目をつぶるべきなのでしょうが、一つ気付いたのは、「ヒーローと子供」なら時代を超えて成立可能な(受け入れやすい)絵空事(ゆえ)の言葉が、「教師と生徒」の構図においては寓話から現実に一歩近付いてしまう作用により、意味合いが少し変わってきてしまうという事。
 そこはわかっていて踏み込んだ部分ではあったのでしょうが、「ヒーローが理想を語る言葉」と「教師が生徒を導こうとする言葉」では、同じ虚構においてもどうしても現実との距離感が変わってしまい、これは今作の構造上の大きな陥穽になったのかもしれません。