『仮面ライダーゼロワン』感想・第19-20話
’(※数年前に、似たようなタイトルのドラマがあったような……と思って調べたら『家売るオンナ』というドラマがありましたが、未見なので今回にパロディ要素があったのかは不明)
◆第19話「カノジョは家売るヒューマギア」◆ (監督:石田秀範 脚本:高橋悠也)
「人件費もかからない……新人教育のコストもかからない。勝手に売り上げ伸ばして…………そしたら俺達人間はどうなるんですか?!」
え、え、え……うーん……どうして今頃、「ヒューマギアの躍進により仕事を奪われる人間」の要素が……??
今作の舞台は寿司職人から警備員、教師に美容師に医者に至るまで「人工知能搭載人型ロボ・ヒューマギアが、様々な仕事をサポートする新時代」であり、そんな段階はとっくに乗り越えた社会だと思っていたのですが、いきなり未来感が逆走して、目が白黒。
勿論、反ヒューマギア的な考え方の持ち主も居れば、浸透の過程における不幸な事例もあったかもしれませんが、ゲストキャラの背景としてそこが強調されるわけではない――つまり特別先鋭的な考え方の持ち主とはされていない――ですし、少なくとも第1部における諸々からは“その先”を描く物語だとばかり思っていたので、必要な描写の蓄積が無いまま(「ヒューマギアという道具」にどう向かい合うのか? というテーマはありましたが、ヒューマギアそのものは存在して当然という扱いであった)世界観の捉え方そのものが大幅に変わってくる発言が飛び出してきて、率直に当惑しています。
「そんな時代は来ません。人間が勝つんです。それを使って」
「でももし?!」
「もし負ければ――絶滅あるのみですよ」
こういうキーワードの重ね方は相変わらず巧いし面白いのですが、エピソードの筋や理屈というレベルではなく、物語の根幹要素が逆方向に走り出し、言ってしまえば手垢のついたテーマ(それ自体が悪いわけではないですが)をわざわざ掘り出してきたのは、一体全体どうしてそうなったのか。
『ドライブ』以来のTVシリーズ参戦となった石田監督と、設定面の摺り合わせで認識に齟齬が生じた可能性はありますが、脚本はメインライターですし、明らかな大逆走をしているので、次回以降の推移を見守りたいポイント。
映画宣伝期間が終わって今回からOP映像に天津とサウザーが登場し、本格スタートする第2部、飛電とZAIAのお仕事勝負第二弾は、住宅販売対決。
ZAIAルーペを身につけ自信満々の不動産会社営業・新屋敷のくどい描写、飛電側の営業ギア・住田スマイルが対応する顧客のくどいキャラ造形、天津社長の背後に置かれたくどい照明、などなどものの見事に苦手な時の石田演出でしたが、たたでさえギャグがくどいのに、新屋敷の上司、飛電の大工ギア、と両陣営にくどいキャラを上乗せしてきて完全に胸焼け。
不破による滅尋問シーンで、カットを細かく割ってカメラ位置を立て続けに切り替える事で不安定さを出す、みたいな演出はやはり見せる監督なのですが……空騒ぎめいたギャグを延々とやる一方で物凄く雑に過去語りを始める新屋敷など、諸田監督とかと負の化学反応を起こさないかはとても不安です。
「悪意とは……感染するものだ。人から人へ。そして人からヒューマギアへ」
人間からの悪意により負のシンギュラリティに達したヒューマギアが、復活したアークからの無線接続によって暴走する事を狙う天津は、スマイルと接戦の続く新屋敷を精神的に追い詰め、謎フードと出会った新屋敷はクジラレイダー(デザイン格好いい)に変身。
「黙ってるなら! 無理矢理、吐かせてやる!」
法の壁をぶち破り加減の不破さんは、滅から聞かされたレイドライバーを追う事で第三極にスムーズに入り、先日は「逮捕だ逮捕だ!」と大騒ぎしていましたが、明らかに唯阿が不破へのルート及び情報源として滅というカードを残しており、A.I.M.S.側の人間関係は面白い部分。
薄暗くて無駄に広い部屋に転がされて、完全拘束状態で至近距離から不破さんに唾を飛ばされるお仕事になっている滅は、是非とも華々しく復活させてあげてほしいです……。
クジラレイダーとしてスマイルのお薦め物件を次々と破壊して回っていた新屋敷だが、いよいよ錯乱一歩手前の状況になると公園の噴水にスマイルを放り込む直接的な暴力行為に及び、悪意にさらされたスマイルは「人類絶対許さなーい」モードを起動。待ってましたと現れた天津が「人工知能には自我を抑制する理性が存在しない」とサウザーに変身してイカスマイルに切りかかり、それを止めようとしてドサクサ紛れに人間を殴る事に慣れてくるゼロワン。
サメゼロワンを軽くあしらったサウザーによりイカスマイルは廃棄処分され、3話連続ゼロワンいいところなしで終わるのですが、主人公の苦境云々以前に、感じ悪いゲストの感じ悪い行動で暴走に至るスマイル・暴走したらしたで苦しみ悶えているだけのイカ・イカ暴走から1000%廃棄処分まで全て天津のマッチポンプ・間でバタバタしているだけの主人公、という戦闘の状況設定自体が致命的に面白くない為、前後編の前編にしても、あまりにもカタルシス皆無。
一時期存在していたらしい「主人公が負けてはいけない」縛り(『鎧武』の虚淵さん証言による)が無くなっているようなのは作劇の幅として歓迎できるのですが、それを物語として面白く描けないのなら、何のための敗北なのか。
必要な事項の処理に追われ、それをヒーローフィクションとしての“面白さ”に変換できていないのは、大変残念でした。
◆第20話「ソレが1000%のベストハウス」◆ (監督:石田秀範 脚本:高橋悠也)
ヒューマギアの重要な特性ではあり、第1部でも繰り返し描写はされているのですが、前回ラストの戦闘で必死にサウザーを止めようとしていた割に、破壊されたスマイルがメモリから復元されると、何事もなかったかのようにそれを受け入れるアルトの姿が、どうにもちぐはぐ。
第1部では、暴走による破壊の結果リセットされてしまうが、それでもそこに「個」を見る人間とヒューマギアの新たな繋がりが描かれていたのですが、第2部ではお仕事対決の都合により破壊されても記憶(キャラクター性)がそのまま継続されている為、アルトが「“同じスマイル”が戻ってこない事を悼む」という要素がすっぽりと抜け落ちてしまい、親交を深めたヒューマギアが破壊される事の劇的さが大きく薄らいでしまう事に。
この為、アルトのその場凌ぎの感情的な対応が悪目立ちしているのですが、天津との対比は必要な要素なのでしょうし、アルトの青臭い感情が悪いわけではないものの、色々なものを飲み込んで「止められるのは俺だけ」と戦っていた頃のゼロワンの方がヒーロー度が高かったわけで、どうしてここでも逆走してしまっているのか。
そして……
「再び暴走しないよう、住田スマイルのセキュリティプログラムをアップデートしました」
「よし、効果があったら他のヒューマギアにも適用しよう」
……え、それ、どうやって確認するの?
飛電インテリジェンスの社員一同で、スマイルを取り囲んで罵声を浴びせながら投石とかするのでしょうか……。
暴走して人間を襲おうとしたヒューマギアと同型だけど、例しに(効果あるかわからないけど)セキュリティをアップデートしてみたからいいよね、と平然と勝負に再投入するアルト(飛電)の、暴走への対応も今もって余りにも軽すぎで、天津社長でなくとも、この会社1000%なんとかしないと、という思いが湧き上がってきます。
実際の暴走の要因には悪意(アーク/天津)の介入があるわけですが、その原因調査よりも目の前の勝負事を優先してしまうので、やはりどうにも頓珍漢。
第1部では、少なくとも「滅亡迅雷ネット」というテロ組織の存在が明確だったので、それを倒せばいい(ヒューマギアそのものには責任がない)という理屈がヒーローフィクション上は成立していたのですが、悪意の発生源が身を潜めてしまった事により、「目の前の敵を倒せば問題が解決する」というロジックが物語的に成立しなくなっているのに、「ヒューマギアへの対処はさして変化していない」為に、割と深刻な亀裂を生む事に。
「対策はもう取ってあるので、彼女はもう暴れません」
と顧客の前で平然と言い放つのですが、A.I.M.S.が介入してリコール案件じゃないですかねこれ……。
或いは既に、説明書に「※たまに暴走して人間を襲う事があります」と書いてあるのかもしれず、『ゼロワン』世界では、「次のニュースです。本日午後、T市で稼働中の道路工事用ヒューマギア3台が暴走し、A.I.M.S.に鎮圧されました」といったニュースが日常茶飯事になっているのかもしれませんが。
「なぜ……売り上げを、意識しなければならないのですか?」
「そういう勝負、でもあるからさ」
「……私の仕事は、家を売って、お客様に、笑顔になってもらう事です」
予算5億円を提示した資産家の新居を探し、一発逆転の大チャンス、に大盛り上がりのアルトは勝敗を気にするあまり利益を優先しようとするが、あくまで顧客の要望に応える物件を選ぶスマイル。
長い目で見れば誠意は信頼を勝ち得るのでしょうし、アルトがアルトで大事なものを見失っているのは意図的でしょうが、売り上げを一切意識しない営業ヒューマギアとか、それはそれで既に暴走しているのでは(笑)
この辺り、物語全体として寓話が成立しているならば寓意的道徳要素として処理可能なのですが、物語の意識する寓話性と、物語に設定されたリアリティが至る所で衝突しているので軒並みツッコミどころに変換されてしまっており、この状況が何を思い出すかといえば『仮面ライダービルド』なのですが、「寓話性を破壊しない為のバランス感覚の不足」というのは大森Pの苦手ポイントなのかもしれません。
スマイルの依頼で家の修繕に向かった大工ギアは、待ち構えていた新屋敷に殴る蹴るの暴行を受けて「人類絶対許さなーい」モードに突入し、アークの介入があるにしても、沸騰早い。1イニングに中継ぎ5人つぎ込むレベル。
そしてまた、前回のスマイルへの行動に続き、今回の暴力行為も映像メモリから普通に損害賠償請求されそうで、精神的に追い詰められているにしてもあまりに愚劣な行為なのですが、やはり、ヒューマギアの映像記録機能については、一般には伏せられているのでしょうか(笑)
「自分の欲望に左右されず、真摯に顧客の事を考えて家を売る事で幸せを生む」というテーマに際して、新屋敷を明らかに非常識な人間(顧客の前で椅子にふんぞり返って足組みなど)に描く必要があったかも甚だ疑問なのですが、ここでもまた、わかりやすさを意図して悪意を戯画的に表現した結果、劇中に持ち込まれているリアリティと正面衝突する問題を引き起こしており、上述した「寓話性を破壊しない為のバランス感覚の不足」を感じます(石田演出による加速はあるでしょうが、石田監督に限った話ではないので)。
そこで戯画的な悪意の描写と、物語世界におけるリアリティを両立させられる事こそが、フィクションの醍醐味だと思うわけなのですが、どうにも踏み外し気味。
もう一つ、前回の華道家に続き、対戦相手を精神的に追い詰めた一因は何をどう言い訳しようと「勝負」の片棒を担いでいるアルトなので、そのアルトの問題点から目を背ける為に、もともと対戦相手には人間的に問題があったのだ、という逃げを打っているのも、気になる部分。
色々あまりにあまりなので、最終的には、「ZAIAスペックは人間の精神に悪影響を与えてしまう欠陥があった」とかしてくる可能性もありそうですが。
新屋敷がもう一度暴走したら問答無用で正義執行だ、と待機していた筈の不破さんは謎フードに翻弄されて姿を消し、クジラレイダーと戦うシャイニングアサルト。中身人間を殴る事に慣れてきたゼロワンは最強フォームで至近距離から鉛弾を撃ち込み、適度に痛め付けるとさすがに手を伸ばすがそれを振り払われると結局必殺キックを叩き込み、久々のゼロワン勝利だったのですが、自暴自棄の格下を相手に最強フォームで一方的に撲殺、となんとも盛り上がらないバトル。
アルトの説得を受けた新屋敷は優れた営業としてスマイルを認め、ヒューマギアに「教わる」心を持ったアルトが、それをゲストキャラに受け入れてもらう、という点は一貫しているのですが、前回の爆弾投下により、今作世界におけるヒューマギアと人間の社会的関係性の現在地そのものがよくわからなくなってしまったので、どう受け止めていいのやら。
かくして精神的な勝敗は飛電に軍配が上がるが、数字は残酷にZAIAの勝利を告げていた。
「利益をあげられない社長に価値はありません」
「利益だけあげても、お客さんや、社員が、笑顔になれなきゃ意味はない」
天津に反論するアルトは、今回ようやく「社長」とは何か? を自問するシーンが入り、台詞だけ取り上げればおかしな事は言っていないのですが、これまで20話、アルトが「社員の笑顔」について配慮した記憶が一切ない為、あれ、もしかしてアルトの中で「社員」って、飛電所属のヒューマギアだけ?? という大変深刻な疑問が発生。
「笑顔(笑い)」そのものが作品の重要なテーゼだけに、ここで着地失敗して足首を骨折したのは、大変痛い。
「笑顔? そんなものに価値がありますか? ――私が飛電を買収すれば、笑えなくなりますよ」
対する天津からは、まさかの、飛電の社員を笑ったり泣いたりできなくしてやる発言が飛び出して、つづく。
生け花対決編に続き、新展開の設計図になによりも主人公が対応できていない事で至るところで配線が火花をあげる住宅販売対決編でしたが、「第1部においてふわふわしたまま放置していた要素が、第2部で加わった新要素により軒並み大噴火する」というのも『ビルド』を思い出すところで、先行きがだいぶ心配になって参りました。
これもう、「第2部は不破編です」とか称して、主観人物を変えてしまった方が良いのではないかレベル。
あと細かいところでは、ZAIAルーペの何が凄いのか、ちっとも伝わってこない……というのは残念な部分で(暴走表現と合わせ、付けていると遠目にはヒューマギアに見える、というガジェットとしてのデザインは秀逸なんですが)、あまり重視されていないのかもですが、もう少し、押し出しの欲しいところ。