東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
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愛そして愛

光戦隊マスクマン』感想・第33-34話

◆第33話「タケルよ!愛を斬れ!」◆ (監督:東條昭平 脚本:藤井邦夫)
 「私は、キロスを愛しています。キロスへの愛を貫く為には、この命惜しくはない」
 「しかし……キロスは……キロスは、君を愛してはいない」
 「たとえそうでも、私は私の愛を貫く。それでいいのです」
 「エリー……」
 盗賊騎士キロスの前に現れた地底人の少女エリー。3年前、地底獣に襲われていたところをキロスに助けられたと思い込む少女は一方的な思慕の念をキロスに向けるが、エリーの存在など目にも入らず地底獣狩りをしていたに過ぎないキロスは、「俺はおまえを倒し、最強の男だと証明してみせる」とレッドマスクとの対決にこだわり、一気にバトルジャンキー路線へ突入。
 「キロス……あなたの敵は、私の敵」
 「やめろ、エリー」
 恋に恋する乙女の視野狭窄でタケルにナイフを向けるエリーもエリーですが、タケルはタケルで、出会ったばかりの女と割とすぐ雰囲気出せる危険なタイプで、風邪でも引いていたのか今回の演技指導だったのか、普段よりハスキー度2割増しぐらいの声がそれに輪を掛けます。
 カウンターのゴッドハンドを食らった上にエリーの介入でプライドを傷付けられたキロスは、タケルとエリーにまとめてクレセントスクリュー。
 「エリー! 女のおまえが、男と男の勝負に、要らぬ手出しをした事を悔やめ!」
 「キロス! エリーはおまえを助けようと!」
 「黙れ! 俺は女に助けてもらうほど、情けない男ではない!」
 二人まとめて吹き飛ばされるも、献身的で盲目的な愛という自己満足に酔い痴れるエリーは、タケルの言葉には耳を貸そうとしない。キロスの襲撃の余波で崖から落ちそうになったエリーに手を伸ばすタケルだが、キロスはその背を踏みつける。
 「はははっ、いいざまだタケル! 俺はおまえの、その優しさが許せん」
 エリーには改めて3年前の真実を冷酷に告げ、タケルにとどめの刃を振り下ろすキロスだが、タケルの瞳に炎が宿るとオーラバリアが発動して逆に蹴落とされ……ようやく掘り下げられた結果、ハカ、もといただの喧嘩好きのチンピラに。
 仲間達と合流したタケルは改めてオーラマスクするも、強力な念動力を操るゴーラドグラーの重圧攻撃に苦戦するが、テーマ挿入歌をバックにジェットカノン。キロスが撤退するとオケランパされ、ギャラクシーロボがダッシュパンチからバズーカで念動攻撃に打ち勝ち、スパートそして合掌。
 なにぶん藤井先生なので、エリーはいつキロスの攻撃からタケルをかばって惨死を遂げるのだろうとドキドキしていたら奇跡の生存を勝ち取ったのですが、勘違いからの強烈な思い込みで空回りを続けるエリーに対してタケルの説得が成功するわけでもなく、エリーが最初から「眼中にない」キロスは、無関心な残酷さこそ見せるもののエリーを積極的に利用するほどの邪悪さも描かれずで、エリーと絡んだタケルとキロスの魅力がこれといって増す事が無いまま、平板に終わってしまったのは大変残念。
 どうせなら、乙女の純真を徹底的に利用し踏みにじるキロス……ぐらいまでやってくれれば印象が違ったかと思うのですが、キロスの最強へのこだわりと、キロスにとってのエリーの存在、が物語の中で上手く両立できず、結論:「心底どうでもいい」ので囮としての機能性すら邪魔、という正面衝突を引き起こしてしまい、キロス回の筈なのに用意された要素がキロスの性質と合っていない、という奇妙な事になったのは、ゲストの扱い的になにかアイドル企画回的な事情だったりしたのでしょうか。
 「タケル……美しく尊い愛も、一歩間違うと悲しく恐ろしいものになる事を忘れるな」
 今回やたら遠隔オーラ通信で介入してくる姿長官がそれらしくまとめるのですが、タケル×美緒と関連づけるならもっと明確に踏み込んで欲しかったですし、地底人と地上人の交流要素が特に掘り下げられるわけでもなく、全方位に中途半端な作りになってしまいました。

◆第34話「愛と殺意のブルース」◆ (監督:長石多可男 脚本:井上敏樹
 Gロボ登場編の前に、15(藤井邦夫)-16(井上敏樹)-17・18(藤井邦夫)、と4話連続サブライターがあったので、さすがに曽田先生も今作ではペースを落としてくるのかと思いきや、19~25(7連)-26(藤井邦夫)-27~32(6連)、といつもの生産量に戻っていたのですが、ここで久しぶりの2回連続サブライター投入となり、第16話以来の井上敏樹
 自ら300年の眠りを解き、マスクマンとの戦いを志願するグロンドグラーがバイクを練習中のアキラとモモコを襲撃し、モトクロスバイクによるアクションが掴みで迫力のあるアクセント。モモコのバイクに思い切り轢かれたグロンドグラーは、かつて自分を助けた女の面影をモモコに見出すと姿を消し、残ったフーミンとアングラ兵に囲まれるアキラとモモコだが、その時、フルートを吹きながら現れる謎の男が!(笑)
 「何者?!」
 気障な仕草でサングラスを外した男はフーミンにいきなりの飛び蹴りを浴びせるとフルート格闘術でアングラ兵を蹴散らす凄まじい戦闘力を見せつけ、それを木陰から見つめるイガム…………えーとこれは、
 〔「ようよう姉ちゃん俺らに付き合えよ」(ちんぴら) → 「待てい!」(通りすがりの謎の男) → 「やんのかこら!」 → どかばきぐしゃ → 「畜生! 覚えてろー!」(茶番) → 「お嬢さん、お怪我はありませんか」 → 「まあ素敵」〕
 というやつなんですかゼーバ様ーーー?!
 前回は、不良に助けられたと誤解したお嬢様が不良に片思いするが不良は本当に最低な奴だったオチでしたが、今回は不良が仲間に協力してもらって憧れの女性にアプローチするネタで、今見るとサブライター回の変な被り方に首を捻りますが、当時としては、流行を意識した内容だったのでしょうか……?
 (今作放映の1987年には、東映により『スケバン刑事』『ビー・バップ・ハイスクール』『湘南爆走族』の実写映画が「ツッパリ三連打」として公開)
 地底獣の行方を追う光戦隊はフルートの男と再び出会い、男はいきなり飛び上がってタケルを投げ飛ばすと、カージャック。
 「デートさ。車借りるぞ」
 そのままモモコを助手席に乗せて盗んだ車で走り出し、大変、井上敏樹です(笑)
 「どういうつもり」
 「俺は君を助けた。貸しを返してもらいたいだけだ」
 「え?」
 「俺を愛してくれればそれでいい」
 「呆れた。強引な人ね」
 身勝手だがどこか魅力的な濃いめの男が物語を振り回す、というザ・井上ワールドですが、こと東映ヒーロー作品の流れで見ると、悲恋ロマンス物を多投する藤井邦夫の存在が、同じ色恋絡みでもエキセントリックな掛け合いを中心に据えていく井上脚本の芸風確立にどの程度の影響があったのかは、気になってきます(笑)
 井上敏樹の脚本デビューは1981年に遡り、東映特撮作品への参加が1984年、戦隊初参加が前年の『フラッシュマン』なので、雑な憶測以上のものにはなりませんが(そうでなくとも基本的に、色々なものを吸収して出力しているわけで)、藤井、井上、そして後の荒川稔久、という恋愛要素の盛り込みに積極的な面々の中での、脚本家としての個々の差別化や、役割分担の発生みたいなものはあったのだろうな、というのは想像すると面白いところ。
 その点、この三人が一同に介した『五星戦隊ダイレンジャー』(1993)では、ひたすら我が道を行く藤井邦夫、男と男の濃く激しいぶつかり合いから気がつくとライバルが真ヒロインになる井上敏樹、誰もやらないので私がリンを可愛くしますとアイドル回を放つ荒川稔久、と見事な色彩が生まれていたり(笑)
 ちなみに曽田先生は、ヒーロー作品としてのチューニングという部分も含めて、割としっとりした純愛好みなのかな……? というのは諸作を見ての印象。藤井-井上ラインへの推論含め、これから80年代後半の戦隊を見ていくとまた、印象が変わってくるかもですが。
 そして恐らく、長石監督はモモコを綺麗に撮る事に大変こだわっており、ヒカル――と名乗ったフルートの男とのデートシーンがしばし描かれて、多分これ、この時代のノリだったのだろうな……というポップな演出がたまに飛び出す『マスクマン』(笑)
 二人は高級レストランでのディナー後、窓からダイブして豪快に食い逃げし、後で光戦隊情報処理班が、「任務上の必要事項でした」と弁償して口止め料を払います!
 そして、そんな犯罪行為を
 「今日は楽しかった」
 で済ませるモモコ、光戦隊の闇はどす黒く深い。
 「でも、ヒカルはぜんぜん、自分のこと話してくれないのね」
 「俺のことか? 俺は君の事をずっと探し続けてきた。もう、何百年も前からずっと」
 勢いでモモコに迫るヒカルだが、地上忍法フーセンガムの術に阻まれ、はしゃぐモモコの姿を追う内に、「おまえうちの妹みたいに、任務忘れて地上人といちゃいちゃしてないか?」とイガム王子が姿を見せる。
 ヒカルの正体は、ゼーバにより三日間限定の人間変身能力を与えられたグロンドグラーであり、グロンの目的は人間として面影の君といちゃいちゃする事、そして後にマスクマンを全滅させる事にあった!
 「モモコ、俺は、俺はおまえが欲しいんだ!」
 モモコにマスクマンからの脱退を求めるも拒否されたヒカルは、翌日タケル達を襲撃するが、モモコの姿に動揺した事を裏切りとみなされ、炸裂するゼーバ様からのお仕置きビーム。
 「モモコ……殺してくれ。俺を、殺してくれモモコ」
 「そんな……ヒカル、何故なの?!」
 「俺は……愛と、光の世界で、生きたかった……。……モモコ……俺の本当の姿は……俺の、本当の姿は……!」
 ゼーバのお仕置き光線により人間の心を破壊されたヒカルは、闘争本能に支配されたグロンドグラーの姿に戻るとモモコにさえ牙を向け、タケルに諭されたモモコがオーラマスクすると、割とざっくりジェットカノン。
 2話連続登場のGロボがダブルバルカンで蜂の巣にして鉄拳でトドメを刺し、モモコは夕暮れの中でフルートを吹いてその死を悼むのであった……。
 ケンタ夏の蜻蛉回と比べると、モモコが地底獣グロンドグラーの姿を見た上で説得を試みる点は良いのですが、それに対してタケルが「もうあれは人間ではない」と止める事で結局は人と獣の境界線は突破できず、なまじグロンドグラーに人語を喋る知性を与えてしまった事で、グロンドグラーの獣性がわかりづらくなってしまったように思えます。
 その為、「人間の姿では愛せても、獣の姿では愛せない」というマスクマン側の判定が、必要以上にドライに見えてしまう事に。
 また今回も、地底の住人と地上人の関わりを描きながら、それをタケルと美緒の関係には太く関連づけない(タケルがこれといって特殊なリアクションを取る事もない)為、物足りなさを感じてしまう内容に。戦隊シリーズも10年近くを数え、作劇に関する試行錯誤は窺えるものの、当時の尺の都合もあってか、色々やろうとしたけど時間が来たのでハイこれまで、みたいになってしまいがちなのは今作の残念なところ。