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思い切り守り抜けネクサス

ウルトラマンネクサス』感想・第24話

 今回、物語の大きな一山という事で、ここまでの『ネクサス』作劇の問題点も集約されており、幾つか繰り返しになる部分も含めて触れている為、少々くどめになっておりますが、2クール分のまとめも兼ねているとご理解下さい。そんなわけで、少々長め。

◆Episode24「英雄-ヒーロー-」◆ (監督:北浦嗣巳 脚本:長谷川圭一 特技監督:北浦嗣巳)
 「嘘だ……ウルトラマンが、姫矢さんが負けるなんて」
 終焉の地に飛び込んだ孤門が、ウルトラ名物はりつけの刑にされたネクサスの無惨な姿を目の当たりにして愕然と呟くのですが、そもそも今作におけるウルトラマンは、そういった「信頼感」とか「絶対性」の象徴ではなかったような……というよりも、そういった部分に疑問を呈す所から始めて、改めてウルトラマンと防衛隊ポジションの信頼関係を構築していく志向性を持っていたと思われるのに、その過程があまりにも雑すぎた為に、肝心のところで劇的に飛躍しないという、毎度ながらの『ネクサス』作劇。
 「ウルトラマンの敗北は、これから始まる聖なる儀式のほんのプロローグに過ぎない」
 前回も同様の問題に触れましたが、突然「聖なる儀式」とか口走る溝呂木も溝呂木でこの期に及んでキャラクターが安定せず、極端なキャラ付けを避ける事で世界観のリアリティレベルを上げたい意図はわかるのですが、それが言い回し一つ取っても統一感に欠けるキャラクター性の薄さになってしまっているのは、本末転倒を感じます。
 登場当初は「デス・ゲーム」路線だった溝呂木は、闇の波動によりネクサスを処刑する事で、姫矢に同化している光の力を終焉の地に解き放つ、と宣言。
 「俺はその光を奪い、無敵の超人となり、世界を思うままに動かしてやる。より高き者……より強き者……より完璧なる者として!」
 大変遅まきながら、一応、溝呂木の目的らしきものが明かされるのですが、デビル溝呂木誕生の秘密の時同様、キャラクターの個性との接続が薄いのでこれといって面白くなく(あの回想からここまでに、それが一切積み重ねられていないという事でもあり)、また事前の情報提示が不足しすぎている為、それでこうしているのか……など、受け手の側で想像を積み重ねて補っていきようもない、という毎度ながらの『ネクサス』作劇(振り返ればファウストも、ネクサスを倒して力を手に入れる、みたいな事を言っていましたが、見せ方が遠回しすぎて伏線としての機能が弱い)。
 その上更に致命的なのは、
 1・己の欲望の為に力を振りかざす溝呂木(vs姫矢)
 2・副隊長に執着して仲間に引き込もうと暗躍する溝呂木(vs副隊長)
 3・人の命を弄び、念の入った嫌がらせを仕掛ける溝呂木(vs孤門)
 が、事ここに至っても一人の溝呂木として統合されない事。
 例えば、2は別枠にしても、溝呂木の目的が明かされた時に「何故3が必要だったのか」がそこに繋がれば、おお成る程、と劇的に跳ねる可能性はあったのですがそんな事はなく、そもそも溝呂木、孤門の嫌がらせに関しても副隊長の勧誘に関しても最終的に失敗しているのですが、「失敗した事」そのものへの反応が無いので物語の要素が繋がっていかない為、めでたく超新星爆発した1クール目が巨大なブラックホールに。
 一応、姫矢のHPとMPは削れましたし、もしかしたら今後の展開で明かされる真相もあるのかもしれませんが、物語の“面白さ”としては、少なくともこの段階で何らかの繋がりを見せるべき要素であると思います。
 溝呂木に関しては、孤門・姫矢・副隊長、の三者に対する悪役を一手に引き受けさせられたのが不幸とはいえますが、せめて2と3の路線を押し進めていけば統合は可能だったかもしれないものの、姫矢の敵としての1の要素を外す事が出来なかった為に、目的発表という一区切りの地点において、「道理を問わない力に溺れ、それを欲望のまま振るおうとする精神性」と「粘着質なストーキング・陰湿な嫌がらせ・ケチな人質作戦を繰り返すやり口」とが全く噛み合わず、『01』ハカイダーばりの空中分解。
 「溝呂木の儀式が、本当に黙示録の実践だとしたら、秩序は確実に崩壊するでしょう。……でも」
 「……でも?」
 「僕が見る未来は、まだ混沌の中にある。光は、完全にその輝きを失っていないという事です」
 イラストレーターもすっかり唐突にオカルトを口走る人になってしまい、今作ここまでの世界観と「儀式」という単語の相性の悪さが、物語のスケール感さえ歪めていきます。
 ネクサスの処刑を見せつけようとする溝呂木の嫌がらせにより、ビーストの触手に掴まえられていたチェスター各機が、無為無策なビーストへの一斉攻撃、と見せて互いを捕らえる触手を撃って脱出してからの変形合体、は格好良く、チェスターのテーマ曲?の格好良さは貴重。
 ウルトラバニッシャーで触手ビーストを葬る金星をあげるNRだが、囚われのネクサスには最期の時が近付き、朦朧とする意識の中で、姫矢はセラと再会する……
 「准、素敵な写真、取れた?」
 「…………俺、俺は、人が生きる姿を、その意味を、撮りたかった。だが俺が撮ったのは、人々の死の瞬間だ。……最低だよ」
 一方、ビーストを撃破したNRはチェスターを降りて溝呂木を取り囲み、「聖なる儀式」とか言い出している溝呂木相手に隊長が「ゲームは終わりだ」と告げるのも洒落ているようでどこかズレてしまっており、全員揃って正面から突っ込んだ上で人質を突きつけられると狼狽、溝呂木ジャンプからの空中闇の波動拳を受けて吹き飛ばされるというNR品質を見せる中、唯一人、それをかわして溝呂木に肉薄する副隊長。
 「腕を上げたな。さすが俺が見込んだ女だ」
 「ふざけないで。ビーストに成り果てた男が」
 「……もう一度だけ聞く。俺の仲間になる気は」
 「なら言うわ。死んだ方がましよ」
 一応、副隊長と溝呂木の因縁が濃縮され、やり取りだけ取り出すとそれなりに格好いいのですが、物凄く根本的な所で、ネクサスにしろメフィストにしろ、人知を越えた存在である事は確かながら、それをはっきりビーストと同一視しているのが劇中で副隊長だけであり、副隊長のビーストへの憎悪も誰とも共有されていないので、24話に渡って続く副隊長の脳内独り相撲が物語のクライマックスと一向に重なってこないのが、大変困った点。
 「……だったら死ねよ」
 溝呂木スマッシュが炸裂寸前、背後からの孤門の銃弾が溝呂木を穿ち、溝呂木は巨大化変身。終焉の地での戦いが激化する中、刻一刻と生命力を失っていく姫矢は、幻想のセラ――セラの魂の残滓が光の力でこの世に縫い止められた存在、といった感じでしょうか――との対話を続ける。
 「俺は君に導かれ、光の力を得た。そして誰かを救う為に戦い続けた。力を与えられた事、それが俺に対する、罰だと思ったから。ボロボロに傷つき、ひとり孤独に死んでいく事が、せめてもの罪滅ぼしに違いないと。……でもそれも終わった」
 姫矢のこれまでの戦いは、自分の求める写真を撮るどころか自らのエゴから死を生産してしまった最大のトラウマに基づく、内省・自傷的行為としての贖罪であった、というのは他者との関わりを避け続けてきた姫矢の言行に関して納得のいくところ。
 「准、その力は、罰なんかじゃない」
 「え?」
 「あなたに与えられた、その、光は、永い時を越えて、多くの人達に、受け継がれてきたの」
 だがそれを否定するセラの言葉に合わせ、謎の遺跡の壁に刻まれた過去のウルトラマンの戦いを思わせるレリーフから、ウルトラマンの宿す光とは“個人の力”ではなく、“繋がっていくもの”であると示唆。
 「守ってあげて……大切な人達を……その力で」
 セラは、姫矢が撮ってくれた写真により、この世界に生きた証が残されたのだ、と礼を告げて光の中に姿を消し……
 「俺は今度こそ守ってみせる。この光で。それが、俺に与えられた使命だ」
 救いを得た姫矢がこれまでの後ろ向きな戦い方と訣別し、自らの得た光の力を前向きに受け止めた事で今ようやく、転んでも立ち上がり、泣いてもまた笑う、真の英雄になる――というのは姫矢准の物語としてそれなりに巧くまとまりましたが、そこで「使命」とか「選ばれた」が全面的に肯定されるのは、やや引っかかるところ。
 登場当初、ネガ姫矢としての溝呂木は「報われないヒーローになんの意味がある?」という問いを持っているように思えたのですが、それに対して「報われるつもりはなかった」姫矢が、その先で出した答が「選ばれた者の使命」というのはピンと来ず、出来れば3クール目でもう少し踏み込んでほしいテーゼです。
 また、繰り返される戦いやその中での様々な出会いを経て自ら光の意味に辿り着く……のではなく、最終的にはセラに答を教えてもらう、というのがどうにも締まりきらず、セラとの対話そのものが“繰り返される戦いやその中での様々な出会い”の産物であり自問自答の投影である、と解釈するには苦しく、孤門(ら)との関わりがセラの死と向き合う道筋をつけたというよりも、神秘の助力を得てセラに許され救われるしかなかったように見える全体的な積み上げ不足が惜しまれます。


男なら 誰かの為に強くなれ
歯を食いしばって 思い切り守り抜け
転んでもいいよ また立ち上がればいい
ただそれだけ出来れば 英雄さ

 姫矢さん自体は嫌いではないので主題歌パワーで脳内補正を入れつつ、立ち上がったネクサスは闇の波動を断ち切り、ウルトラバニッシャーの直撃を受けて割と痛そうにしていたウルトラマンメフィストと、久々の直接対決に臨む。
 「力とは――他者を支配し圧するためにある。それに気付けぬ貴様が、俺に勝てる筈がない!」
 だが、未だ瞳に光の戻らぬネクサスはメフィストの攻撃で地面に叩きつけられ、チェスターのウルトラバニッシャーも闇の波動に相殺されてしまい、残りのエネルギーは一発分。
 「奴の弱点を見つけ、そこに撃ち込むしか勝機はない!」
 「CIC、教えてくれ。最後の一発をどこに撃つべきかを」
 ……え。
 いや、まあ、作戦司令部の判断を仰ぐ事そのものは間違っていないのですが、普通に通信可能なんだ、とか、ここ数話、隊長とティルト上層部の軋轢が描かれていた展開から、土壇場に丸投げで頼り切る姿が、これはこれ、と割り切るにはあまりにも急カーブとか、盛り上がる流れの断ち切り方がミラクル。
 「ウルトラマンの、エナジーコアを撃って下さい」
 ビーストに対抗する為のウルトラ振動波の分析が、NRからネクサスへのエネルギー譲渡になる、という展開そのものは格好いいですし、CICに教えられるのも自然ではあるのですが、ここまでのCICの扱いからすると、NR内部で辿り着いて欲しかった答ではあり。
 「孤門、この一発をおまえに託す」
 「ワンチャンスよ。出来るわね」
 「…………――大丈夫です」
 孤門は握りしめたリコフクロウ様を見つめて力強く頷き、リコの要素を拾ってくれたのは良かったですが、この間、特にダメージを受けていないメフィストが置き去りだったり、戦闘機でずっとホバリングしていたり(合体チェスターの運用描写が、戦闘機というより、足を止めて大砲を撃つ空中戦車なのは、どうも気になります)、もう少し、緊迫感と空中戦の雰囲気は欲しいところ。
 また、何度か触れてきましたが「信頼できる射手」としての説得力が孤門くんに皆無なので、孤門のNRとしての戦いとネクサス/姫矢との絆が一つに繋がる非常に劇的なシーンの筈が、相変わらず、重要な局面で大事な主砲が孤門くんに一任されている理由が隊長からの出所不明の謎の信頼感しかないので、嫌でも今作ここまでの空疎さが響いてくるのが辛い。
 これは、1クール目の孤門くんがどちらかといえばNR活動に懐疑的だった立ち位置も影響しているのですが、リコ問題を乗り越えた後、「NR隊員としての孤門の成長を描く(&好感度を上げる)」エピソードを前後編かせめて1話使って入れて欲しかったところです。一応、リコ問題後の孤門くんの変化そのものは描かれているのですが、「アグレッシブ&アクティブ」になったのと、「隊員としてのスキルアップ」は違うものなのに下手をするとそれが同一視されており、大きな一山にあたって否応なく、今作ここまでの問題点も集約されてしまいます。
 「立て! ウルトラマン!」
 孤門の放ったウルトラ振動光線が胸のコアに突き刺さったネクサスは、仰のけに倒れ込むと空を掴むように手を伸ばすもそのまま動かなくなり、一瞬、打ち所が悪かったかに思われたが、その全身が光に包まれ、見事にライジングして復活。
 「馬鹿な! 貴様の光はもう完全に消えかけていた筈だ」
 「この力は、決して希望を捨てない人々の為にある。それに気づけぬおまえが、勝てる筈がないっ」
 「……希望。笑わせるな! 俺は無敵だ! 断じて負けはしない!」
 2クール分のクライマックスにおける宿敵ポジションである溝呂木のキャラクターがすっかり行方不明なのは大変残念ですが、ライジングネクサスとメフィストは空中戦に突入。殴り合いの途中で動きを変えたメフィストは地上の佐久田を狙って光弾を放ち、それを守ってシールドを張るネクサスというこの期に及んで大変駄目なヒロイン運用ですが、振り返りカットで見つめ頷き合った佐久田とネクサスでめいっぱい雰囲気出されても反応に困るところで(大体、どう考えても姫矢と佐久田の抱いている感情にギャップがあるわけなのですが、藤宮といい姫矢といい、長谷川さん的な格好いい男像なのか)……まあ、これが根来さんだともっと困ったか(笑)
 チェスターのミサイル攻撃をものともしないメフィストとの必殺光線との打ち合いの末、爆炎の中に突入したネクサスは、全生命力を込めたライジングネクサスパンチをメフィストへと叩き込み、闇の波動をかき消す莫大な光の奔流の中に、もろとも姿を消す……。
 「孤門……光は、絆だ」
 「……光は……絆」
 「誰かに受け継がれ、再び輝く」
 そして、悲しみにくれる孤門の前に姿を見せた姫矢准は、満足した男の笑みを浮かべ、白い光の中に去って行くのであった――。
 ……ここ数話、満身創痍で瀕死オーラを放ち続けていた姫矢が、傷だらけの悲壮なヒーローから遺すべきものを遺せた事に満足する最後を迎えての退場編となりましたが、こと退場の予兆に関しては念入りな前振りが成されており、即席ヒロインが決死の特攻を見送るシーンまで追加するサービスぶり。
 お陰で喪失感よりもいみじくも前回の溝呂木が口にしたように「姫矢准の役割は終わった」という印象が強く、1クール目の「斉田リコの役割は終わった」という退場劇と重なる形になってしまったのは、これを受けての3クール目でどう展開されるかにもよりますが、もう少し他のやり口はなかったのかな、とは好みも含めて思うところ(そこからどう逆転するのか、にヒーローの物語の面白さを見ているタイプなので)。
 この辺り『ネクサス』のアプローチ的にどうしても、放映当時においては存在したかもしれないインパクトが15年後では感じにくい為、作劇の粗の方が目立ってしまう、というハンデはありますが。
 ウルトラマンの変身者である姫矢の完全退場(さすがにここまでやって、記憶喪失になってゴミ捨て場で発見される事はないと思いたい。むしろ、光と同化した感じ?)という大きな一山に至り、2クール分の様々な集約が成された事で、今作の構造的問題点も多くの点で浮き彫りになりましたが、2クールを振り返って特に大きなガンだったと思うのは、孤門視点へのこだわりかな、と。
 今作、〔怪獣(ビースト)・防衛隊(ティルト)・ウルトラマン(ネクサス)〕という《ウルトラ》シリーズの基本的な構成要素それぞれに対して“何も知らない”孤門の視点を通す事で一からの組み立てを行い、新たな《ウルトラマン》世界を描く、という基本設計になっており、世界に対する「孤門の困惑」と「視聴者の困惑」を重ねようという仕掛けが見られるのですが、その孤門が開幕して間もなく「インスタント訓練で不定形の怪物と戦う最前線の兵士」という、だいぶ吹っ飛んだ存在になってしまうので、視聴者と孤門の視点の共有に関して大きなボタンの掛け違いが発生。
 これにより、いやそこは孤門は踏まえていなくてはまずいのでは……という部分で、視聴者と疑念を共有しようとする奇妙な作劇(情報工作や、戦場での心構えなど)になってしまい、これが長く物語全体にマイナスの影響を与える事に。
 また、一種のリアリズム&上記要素の効果を高める為に、ビースト被害者(リコもこれに含む)と姫矢サイドを除き“孤門が知らない事は視聴者もなるべく知らない”という形で視聴者への情報を制限しているのですが、その結果、
 ●孤門が居ない場面での会話シーンが基本的に描かれないのでサブキャラの掘り下げが進まない
 ●視聴者に明かされる情報が不足しすぎて“物語”の行き先を類推する楽しさが生まれない
 ●布石不足の謎にまつわる種明かしの後に、実はこうでしたと全てまとめて解説される見せ方が単純に面白くない
 といった状況を発生させた上で、
 ●第13話における例外的なイラストレーターと管理官の会話で一気に背景に触れるがその後は放置
 ●孤門を通して情報を制限している都合で、ティルトに感じる問題点について流されるまま踏み込まない孤門が全体的に受け身な主人公に
 ●そのくせ“視聴者に伝えたい情報”として姫矢の過去だけは積極的に調べるのでキャラが安定しない
 など数々の問題点に派生しており、メリットよりもデメリットが遙かに大きかった印象。
 とにかく、志は高いが見上げるばかりで余りにも足下が疎かになり気がつけば足場ごと地下に落ちていた、という2クールでしたが、ここからの新展開でまずは地上に手を伸ばせるのか、次回――Zネクサス登場?!