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女必殺拳・肋骨砕き!

光戦隊マスクマン』感想・第20話

◆第20話「罠!沈む巨大ロボ」◆ (監督:長石多可男 脚本:曽田博久)
 青空拳法教室を開くモモコは、気合いの叫びとともに、少なくとも10個は積み重なったレンガを、コンクリートブロックを、次々と粉砕していき……拳法、教室……?
 「みんなだって出来るわよ。人間に不可能は無いわ。努力すれば誰だって出来るの」
 「ほんとに? ほんとに努力すればできるの?!」
 「己を信じ、決してへこたれず、最後までやり抜けばね」
 いい事言っている風ですが、光戦隊における「努力」とは、幼少期からの血で血を洗う修行の日々・オーラボール千本ノック・絨毯爆撃浴、などなどを示すので、みんな逃げて!
 教室の少年少女に慕われるモモコの姿が描かれる穏やかでちょっと暴力的な日常から一転、忍び寄る不穏な気配にハッと振り向いたところにサブタイトルが入るのが格好良く、モモコに近付いてきたのは、漆黒の道着に身を包んだ妖艶で怪しげな女――骨妃(こつひ)。
 「子供だましの、間違った拳法をただす為に、全国を渡り歩いている者です」
 「あの女こそがグレートファイブを、倒す!」」
 グレートファイブ打倒を宣言するアナグマ340歳が放った刺客、地底帝国最強の美女の先制攻撃を受けたモモコは、いきなり口の端から血をダラダラと流す死闘へと突入。教室の生徒だった少年2人が、骨妃の力に魅せられて弟子になってしまったと聞き、その後を追う事に。
 「罠だ!」
 「突然どうしたんですか長官」
 光戦隊本部では瞑想中だった姿長官がカッと目を見開き、本当に突然どうしたんだ(笑)
 「いや……不吉な予感がするんだ」
 オーラストーキングしていたのかと思ってドキドキしましたが詳細までは掴めなかった様子の中、骨妃の元に辿り着いたモモコの前では少年達が空中浮揚を修得しており……うん、鍛えれば人間は浮ける筈なので、『マスクマン』世界においては1ミリも間違っていません(笑)
 子供達を諭そうとするモモコだが再び骨妃の攻撃を受け、仲間達が駆け付けるとアングラ兵が出現。タケル達がオーラマスクして集団戦となり、戦いの中で骨妃の攻撃を受けて負傷するモモコだが……
 「モモコ! なぜ変身しないの?!」
 「……子供達との約束を守る為よ! 己を信じ……生身で戦い……決してへこたれず……最後までやり抜く。そう子供達にも教えた…………許さん!!」
 正しく自らの道を歩み続けようとするモモコの姿と、インスタントな力に溺れた少年達(なお、アナグマが妖術で浮揚させていたという真相)が対比に置かれ、それをそそのかした悪に向けて憤怒の形相で立ち上がったモモコは、裂けた道着の袖を引き裂くとバンダナ代わりに頭に巻き付けて気合いを入れ直し、通常なら“ヒーローとして”の叫びになるところでしょうが、今作の場合、生身へのこだわりを含め、“ヒーロー以前”から歩んできた道のりが透けて見えるのは、良いところでも悪いところでもあり(笑)
 従来の戦隊ヒーローが〔人間 → スーパーパワー → 戦士〕だったのに対して〔戦士 → スーパーパワー → 超戦士〕といった気配で、下手な軍人戦隊よりくぐり抜けた修羅場の数が多そうで光戦隊の闇は深い。
 みんなだって出来るわよ。人間に不可能は無いわ。努力すればサブマシンガンの掃射だってかわせるの!
 怒りのアフガンと化したモモコは素手でアングラ兵を蹴散らすと骨妃を追うが、そこに現れたアナグマが人質にした少年達をいたぶり、小学生を火あぶりプレイ。
 骨妃はグロテスクな変身シーンでドクロドグラーの正体を現し、その攻撃に追い詰められるモモコ。
 「約束を破っちゃいけない……その為に、この体で戦ってきたんですもの」
 だが、「己を信じ、決してへこたれず、最後までやり抜く」という子供達との約束にこだわるモモコ(それが、魔道に堕ちた子供達を救う方法であり試練であるという構造)は、絶体絶命の窮地においても、自らオーラマスクを封印。
 「見せてあげる……約束の教えを!」
 なんだかもう、朝加圭一郎っぽい勢いで立ち上がったモモコは、アングラ兵の包囲から銃火の嵐を浴びて最終回数話前のリタイア回みたいな勢いで撃たれまくり、「勝利の為の最適解」=「変身」なのですが、それよりも「子供達を正道に戻す事」が優先事項であると描かれ、その為には「変身」を否定してみせる、というのがかなり大胆な作劇。
 巨視的には、チューブの勝利=地上世界壊滅、である以上、「大きな勝利」を失う危険性を犯して「小さな勝利」にこだわる愚かな行為とはいえるのですが、「小さな勝利」を捨てないヒーローを描くと同時に、“私人としてのモモコ”にウェイトが置かれており、タケルと美緒の関係に始まった『マスクマン』の物語において、過渡期ながら「ヒーローにおける公私のバランス」への意識が窺えます。
 そう見ると、今作が「戦隊メンバーの過去」に少なからず触れているのは『ダイナマン』『チェンジマン』ではほとんど見られなかった要素である、というのが浮かび上がり(『バイオマン』は未見につき不明)、前作『フラッシュマン』では「5人揃って一つの過去」にしてしまった事が作劇の硬直を生んだ問題点を改善しつつ、より“私”の部分を押し出す為の設計になっているのだな、と。
 ……結果として、メンバー個々が妙に殺伐とした過去を持っているように見えるという、妙な副産物が飛び出す事になりましたが(笑)
 第6話「夢のゴッドハンド」(監督:長石多可男 脚本:曽田博久)では、タケルの「秘められた力は、生身の体からこそ、発揮できるのだ!!」がありましたが、メインライター連続6年目となる曽田さんの模索なのか、戦隊参戦3年目の長石監督の切り口なのか、プロデューサーも含めた全体の姿勢なのか、必ずしも「変身」を絶対化しない方向性には戦隊ヒーローにおける「変身」とは何かへの、視線があるようにも思えます。
 考えてみると翌年の《メタルヒーロー》が限りなく生身に近いジライヤで(今思いついたので書き留めておきますが、ヒーローとスーツの関係、繰り返し登場する愉快なヴィラン達など、『ジライヤ』はアメコミの文脈からも再考してみる作品なのかも)、その辺りも今作と『ジライヤ』に繋がるラインを感じるところ。
 勿論、いずれも、その魂の本質は、変身前でも後でも変身できなくても変わらない、というテーゼが通底しているのですが、それをよりビジュアル的に見せていこうとする意図が(作品コンセプトに関わる危うさを孕みつつも)あったのかもしれないな、と。
 銃弾の雨あられを浴びながらもモモコは歯を食いしばり、咆哮と共に突撃 → 子供達の表情を挟む → 引いたカメラを横に動かしてスピード感を補強しつつドクロの攻撃を回転ジャンプ回避 → 回り込んでの攻撃から再び接近戦に、というシーンは、序盤から続く戦闘シーンが一本調子になるのも避け、効果的なアクセント。
 ドクロの打撃を受け止めたモモコは、高めたオーラパワーからゴッドハンド!を鳩尾に叩き込み、渾身の一撃はドクロドグラーの体を貫く、のだが……
 ナレーション「モモコが、自らの教えを示そうと、戦えば戦うほど、恐ろしい罠にはまっていくことを、その時はまだ誰も気がつかなかった」
 今回もナレーションさんがシビアな視点を挟み、力尽きそうになるモモコの前に仲間達が駆け付け、子供達も救出。
 「モモコ、大丈夫か!」
 「……レッドマスク」
 「よくやったモモコ! 君は、モモコ先生として十分に戦ったんだ」
 なぜモモコは生身で戦い続けたのか、というのを仲間達が理解し、それを認め、その意味を示す、大変良い台詞でした。
 ドクロが再起動してバラバと赤影が現れ、モモコも変身して光戦隊・マスクマン! 改めてアングラ兵も増員されて壮絶な戦闘が続く中、物陰に潜むアナグマは「作戦通り」とほくそ笑み、オーラリボンからの連続攻撃でドクロに大ダメージを与え、ショットボンバーを構えるも疲弊の激しいピンクは、辛うじてショットボンバーを打ち終えるも、よろめき倒れ、気を失ってしまう。
 「しまった、ピンクマスクが体力の限界を超えて、エネルギーを使い果たしてしまったんだ。体力が回復するまで、変身不能だ」
 「変身不能?」
 「4人で戦うんだ。――4人で戦うしかない」
 「……やるしかない」
 「ええ。モモコ、あなたの分まで頑張るわ」
 集中攻撃による一時離脱狙い、という作戦そのものには余り面白みは無いのですが(バラバやイガムが個別攻撃による「メンバーの各個抹殺」を目標にしていたのに対して、ドクロさえ捨て駒にして“その先”でグレートファイブ撃破を目標に据えたのは、アナグマの狡猾な知謀といえますが)、“ヒーローとして何が大事か”をモモコの戦いを通して示す前段階が巧く行った事と、不穏さをかき立てるチューブ側のテーマ曲と共に迫り来る巨大ドクロ、気絶したモモコの手に 血に染まった バンダナを巻き付けるイエロー、と危機的状況を盛り上げる演出が達者でぐいぐいと進行していきます。
 「とくと見るがよい、グレートファイブの最期を!」
 腹心アナグマスの策略の冴えにゼーバは高らかに声を張り、決死の覚悟でグレートファイブに乗り込んだ4人が、ピンクの空席を見つめるのも良いカット。
 「一人欠けただけで、これほど苦しいなんて!」
 これまで欠片もそんな言及が無かったのに、苦戦展開になると「バルブが!」とか「回路が!」とか急にメカメカしい発言が飛び出すのは悪い意味でお約束という感はありますが(印象ほど実際には無いかもですが)、操縦に慣れてきてからは圧勝の続いたグレートファイブのピンチは搭乗員の不足から、というのは納得の要因。
 ……ところで、グレートファイブがあの巨体で、ドクロの攻撃を浮けてぐるりと空中一回転しているのですが、どうやって回しているんでしょうかアレ(あれ着て回っているのか日下さん……?)。
 操縦もエネルギーの調整もうまく行かず、追い詰められるグレートファイブだが、起死回生の空中回転光子斬りが炸裂し、ドクロは大爆発。勝った……?!
 「これからだ」
 しかし、勝利の余韻に浸るのも束の間、地面に散らばったドクロの骨が激しく爆発すると地割れを引き起こし、グレートファイブの巨体はその中に飲み込まれていく……!
 目を覚ましたモモコが仲間の元へ駆けていく姿と、地中奥深くに沈みゆくグレートファイブの姿が交互に描かれる事により、モモコがリアクション要員となって危機感と緊迫感が高まり、モモコの別行動がドラマとして効いています。
 「みんなーーーーー!!」
 絶体絶命の状況に姿長官はグレートファイブの放棄を決断。緊急脱出装置の作動を命じるが……果たして、4人は無事なのか?!
 モモコの絶叫、地中に消えるグレートファイブ、荒野を吹き渡る風、風に揺れる真っ赤なバンダナ……と絶望と喪失感をかきたててところから一転、歓喜勝ち鬨をあげる地底帝国チューブ。
 「ゼーバ!」「ぜーバ!」
 「もはや我が行く手を阻む者はない。今こそ総攻撃のチャンス!」
 「ははっ!」
 「地底帝国」
 「チューブに」
 「栄光あれ!」
 「栄光あれ」
 「「「ゼーバー! ゼーバー! ゼーバー!」」」
 少々、明日は楽しいハイキングな雰囲気で、某メギド王子の祝勝記念パレードを思い出さずにはいられません(笑)
 地上では必死に周囲を探し回るモモコが、なんとか緊急脱出に成功した4人を発見。涙にくれて謝罪するモモコにかける言葉もない4人だが……
 「いや、よくやったよモモコ。君は小さな命を救ったんだ」
 たまにはいい事言わないと、と長官がフォローを入れ、少年2人との無事の再会を喜ぶモモコを、暖かく見守る仲間達。
 今回は総じて、大事と小事の引っ張り合いという構造なのですが、二つの尊い命を救った事を肯定的に描く(戦隊メンバーはそれを笑顔で受け止める)一方で、それはそれとして……当然チューブとの戦いに重く立ちこめる暗雲は、表情を暗くする長官とナレーションで触れる、と最後までバランス良く収まり、深刻な空気で、つづく。
 前作『フラッシュマン』から持ち込まれる事になった2号ロボ登場編の序章といえるグレートファイブ敗北回でしたが、一歩間違えると茶番になりかねないアナグマの罠を、作品全体のテーマと繋げていく事と、冴え渡る長石監督の演出力でギリギリ切り抜け、かなり面白かったです。
 タケルはラビリンス回でやっていた(&ロボットに乗らないわけにもいかない)という理由もあったのでしょうが、「血気に逸って単独行動から罠にはまってチームの大ピンチを招く」役回りを、如何にも単細胞なタケルやケンタではなくモモコに回した事で、直情径行パターンの悪印象を和らげつつテーマ部分が引き立って良い差配になりました。
 女性メンバー2人の配置としては、ハルカ:武闘派・モモコ:アイドル系、と思われていたところから、闘志を剥き出しにした“戦士としてのモモコ”像をかなり前面に押し立ててきたのは驚きもありましたが、若干のセオリー崩しをしつつキャラクターの幅も広がり、良かったと思います。
 次回――「心を持つというそのロボットは、殺人ロボットだった!」
 滅亡迅雷ネットにセツゾク……じゃなかった、新ロボ登場の流れから姿長官の過去にも触れられそうなのは、ちょっと楽しみ。