東映特撮に踊らされる駄目人間の日々のよしなし。 はてなダイアリーのサービス終了にともない、引っ越してきました。
旧ダイアリー保管用→ 〔ものかきの倉庫〕
特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)
HP→〔ものかきの荒野〕   X/Twitter→〔X/Twitter/gms02〕

駆け込みエターナル

生と死の狭間で永遠に手を伸ばす

◆『仮面ライダーW RETURNS 仮面ライダーエターナル』◆ (監督:坂本浩一 脚本:三条陸
 「長ズボン履きなさい」
 坂本監督の、やる気ゲージが限りなく0に近付いてしまうので、きっとダメ!
 毎度ながらの坂本監督の煩悩は煩悩として、むくつけき男達の汗と、筋肉と、銃弾と、血しぶきと、サブミッションが飛び交う戦場に、あの男は居た――。
 「みんな知らないんだ……本当の克己を」
 「どういう事だい?」
 「……克己だって……みんなの英雄だった」
 「みんなの、英雄? ……すなわち……仮面ライダー?」
 劇場版『仮面ライダーW AtoZ/運命のガイアメモリ』において仇役だった仮面ライダーエターナル/大道克己および不死身の戦士・NEVER部隊の過去を、ゲストヒロインの語りを通して描く、スピンオフ作品。
 『AtoZ』のクライマックスが振り返られつつ、OPのキャストクレジットと共に、大道克己の事情と、不死身の戦士NEVERの怪物性が描かれ、克己の母・マリアに“理想の母”像を見ていたフィリップ(役の菅田さん)が、少年時代の克己を演じているのが、どうしても笑えてしまいます!
 同じくスピンオフ企画の『仮面ライダーアクセル』は、坂本監督のフェチズムが軒並み悪い方向に転がっていて、個人的には心に傷を負うレベルの出来だったのですが(『アクセル』の時ほど酷くはありませんでしたが、今作でもやたら小刻みにカメラが揺れるシーンが目立つのは、この手法が坂本監督の中で流行っていたのでしょうか)、やや強引に克己を持ち上げている部分はあるのものの、“悪のライダーの前日譚”とする事で従来作品とは違うアプローチが出来たのが上手い方向に転がって、それなりに楽しむ事が出来ました。
 特に、風都を舞台に照井主演で香港ノワールをやるというコンセプトに無理があった『アクセル』と比べると、時間と場所を本編から切り離した事で、不死身の傭兵軍団のアクション作品、としてそれなりの説得力を持てたのは大きな部分。
 『アクセル』は、既に変身ヒーロー(しかもかなり振り切れた方)である照井竜を、生身のアクションヒーローとして描こうとした結果、執拗に続く生身のアクションシーンが“ヒーローに求められているアクション”からズレてしまっていたのですが、今作でアクションの主体になるのは、あくまで強化戦闘員レベルのNEVER達である上に、総員がヒーローというわけではないので、銃火器持った兵士相手のアクションシーンが見せ場として成立したのは、作品として大きな部分でした。
 では今作が仮面ライダー』である事の意味は何か?といえば、メタ的には「エターナル誕生秘話」というのを担保にしつつ、劇中におけるNEVER化を、「死と再生」を現すイニシエーションとして、古典『仮面ライダー』における改造手術と同義に置く事により、不死身の戦士NEVERを「改造人間の亜種」と位置づけている点にあります。
 これにより、血なまぐさい傭兵集団の姿を描く事がそのまま、“「仮面ライダー」と表裏一体の怪物”を描く事に繋がり、やられ役としての怪人とは別の角度から仮面ライダーというヒーローの抱える異形性を炙り出しながら、逆説的に「仮面ライダーとは何か?」を問うのが、「仮面ライダー」という名称の劇中定義付けを行いながら「ヒーローとは何か?」という根源的命題に迫っていたTV本編のテーゼを取り込んでスピンオフ作品として成立させる、上手い構造。
 エターナルの登場自体は作品終盤になるのですが、それ以前の段階における一つ一つの戦いが“仮面ライダーのなり損ない”或いは“仮面ライダーの可能性”としての意味を持っているのが、『仮面ライダー』作品である意味、『W』らしさになっているのは、良いところでした。
 ストーリー的には超能力実験体の悲劇や財団Xの暗躍が盛り込まれつつ、作品の主体は、劇場版では変身の都合もあってあまり目立てなかったNEVER軍団が大騒ぎだぜ! という内容。野菜の戦士や筋肉の戦士が大暴れするのですが、劇場版での評判を受けてだと思いますが、オカマの戦士に関しては少々やりすぎた感。
 確かに劇場版ではインパクトのある良いキャラだったのですが、短い時間の中でのインパクトの面白さと、出番を増やした時の面白さとは別物であって、「一発ギャグを面白いと誉めたら、調子に乗って大声で連呼し始めてもう辟易」という印象になってしまいました。
 「NEVERになると、過去の記憶や人間らしい感情が少しずつ抜け落ちていくらしい。しょせん、死人だからな。俺にはこれが、どんな曲なのかもう全くわからん。ただ体が覚えてるだけだ」
 「…………そんな」
 「……生きてるんだろう! お前達はまだ。過去が消えていくなら、俺はせめて明日が欲しい。だから足掻き続けてるんだよ」
 克己は救いようのない悪人というばかりではなかった、というのを後付けで描くのは無理も出る上に好きな手法でもないのですが、NEVER化の副作用を補強する事により、当時の克己にはまだ人間性が残っていた、というのは頷ける落としどころ。
 また、大道克己自身、死んだと思ったら改造超人として蘇生してしまった、という狂気の実験の被害者である一面は確かに持っており、その点でも、今作のベースにあるのは「仮面ライダーになれなかった者」の物語である、といえます(目が覚めたらゾンビ戦士になっていたというNEVER部隊自体が、ある意味で70年代ヒーロー的な集団になっているのは、意図しているのかしていないのか、メタな皮肉になってしまっていますが)。
 「NEVERは精神力も吸えないか。死人には希望も無いという事ですね。さようなら――」
 「……ははははははは! これだよ。殺されそうな瞬間、この時だけ、生きてるって錯覚ができるぜ」
 「気味の悪い化け物め。死ね」
 「無茶いうなよ。これ以上死ねるか……俺は不死身だ。この世に自分を存在を刻みつけるその日まで――永遠に」
 地味に大活躍の財団X・加頭が変身したユートピアドーパントに追い詰められた克己は、適合者として引きつけられたエターナルメモリを入手し、エターナルへと変身。
 エターナル対ユートピアのマント対決となり、本編で非常に唐突だった加頭の「私はNEVER」発言は、実はこの時、加頭はエターナルに蹴り殺されていたのだったという過去が明かされるのですが、本編で最強クラスだったユートピアをその為に敗死させて良かったのか悪かったのか(笑)
 エターナルは、超能力実験を主宰していた冷酷非情なアイズドーパントと激突し、クライマックスバトルにおけるNEVER軍団怒濤のラッシュ攻撃は、面白いかと聞かれたらやはり限度がある、というのが率直な所ですが、NEVER軍団大暴れ、という今作のスタイルは最後まで貫きました。
 アイズドーパントを下し、実験を壊滅に導くも、あまりに多くのものを失った克己は人間性の喪失に拍車がかかり、憎しみに身を焦がす悪魔は風都に視線を向けるのであった――と、劇場版に続く形で回想は閉じ、克己の過去を知った翔太郎とフィリップは、「仮面ライダーになったかもしれない男」に花束を捧げる……。
 「ここ風都が奴の故郷であり、墓標だ」
 二人の最終的な克己評は、綺麗にまとめる為に大甘にしすぎではと思いましたが、ハーフボイルド探偵らしさという事にして、オチ。
 良くも悪くもアクション! アクション! の作りで、その量の多さに対して質的エスカレートが弱い為、終盤のアクションシーンは少々だれてしまう部分はありましたが(超能力村の集団戦は正直、面白く感じず)、ダークヒーローが主役のピカレスクロマンではなく、ネガヒーロー、“英雄になれなかった鬼”としての仮面ライダーを徹底的に描く、というのは、悪役ライダーの前日譚ならではの話作りになって、面白いアプローチでした。
 甘く見ても佳作、とも言いがたいのですが、スピンオフである事を活かして、本編とは別の角度から本編にも繋がるテーゼで「仮面ライダー」を描いた、という点では、工夫の良かった一本。