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『騎士竜戦隊リュウソウジャー』感想・第18話

◆第18話「大ピンチ!変身不能!」◆ (監督:中澤祥次郎 脚本:たかひろや)
 「あのー……500体作れとか……言わないっすよねぇ……?」
 「いわない。私は、いわない」
 ガチ編を受けての冒頭のやり取りが面白かったですが、ワイズルー×クレオンが盛り上がる程に、その内、クレオンがワイズルーによってとんでもなく酷い目に遭わされるのではないか、という悲劇の前振りにしか見えなくなってきております(笑)
 クレオン、強く生きろ。
 ボウリング玉のようなマイナソーとの戦闘中、変身を強制解除されて撤退を余儀なくされたリュウソウジャーは、マイナソーの素体がパワースポットとして話題の「願い石」である事を突き止める。そこでは、石を祀っていた神社の巫女にビリッと来たカナロが、人々から願いを託され続けて負の念を溜め込んでいた石を休めたいと願う巫女に協力していた。
 「何をする」
 「……マイナソーを消滅させる」
 そこへ乗り込んだリュウソウジャー、いきなり剣を抜くや問答無用で石を両断しようとするバンバと、その腕を掴んで止めるカナロを逆方向のカメラでカットを分けて見せるのが格好良く、位置関係で相容れない互いの対称性を示すのが、如何にも中澤監督、というカット割り。
 「人々を守る為だ」
 「それは俺には関係ない。願い石は俺が守る」
 神社の巫女さんにデレデレしていたのから一転、アップで映るカナロの表情も決然として格好良く、初期メンバーに比べると、スポットの当て方及び崩す所と上げる所の配分がハッキリしているカナロは、かなり得している感じ。
 コウが割って入って、両者一旦引き下がった、と思った次の瞬間、カナロの気が逸れた一瞬の隙をつき、バンバは石を両断。
 「マイナソーを消すより重要な事などない」
 強い使命感を貫くバンバですが……
 〔一人殺して多くが助かるならそれが最適だ! → 少し考えを改める → それはそれとして、箱は切ってもいいよね! → 仲間を得て、バンバも少し変わった → それはそれとして、石は切ってもいいよね!〕
 もともと、8話までの成り行きが大惨事すぎたので、責任も原因もこのエピソードには無いのですが、一体全体、何を持ってバンバの「変化」を描きたいのか困惑の止まらない、相変わらずのジェットコースター無神経ぶり。
 勿論、「人 > 物」というバンバの判断基準自体には正当性があるのですが、マイナソー素体に関わる“想い”を汲み取る事の大切さを示唆している今作の物語構造(「マイナソーの素体を探す」本質的な意味は、本来そこにあってこそギミックと物語が繋がる筈なわけですが……)においては、「人=箱=石」は代替え可能な要素である以上、その“正しさ”に対して、それとは“違う道”を示す事こそが本義であり、「変化」であると思うわけなのですが、バンバの行動理念が第3話に戻っていて、クラクラしてきます。
 怒りのカナロはリュウソウチェンジしてバンバに切りかかり、森厳な神社の境内が、あっという間にリュウソウ族の抗争の舞台に!
 「森の手のもんが、死にさらせぇ!!」
 「じゃかあしい! 今度は二度と浮かんでこんよう、駿河湾に沈めたるわ!!」
 乾いた銃声がひび……く寸前に再びコウが割って入るが、カナロは「こいつの仲間になった覚えはない」とバンバに対する敵意を崩さず、実際、カナロが認めた陸のリュウソウ族はコウ・メルト・アスナの3人だけで、バンバとトワはおまけについてきただけなので(今作いつもの仕様ですが、カナロとトワに至っては、まだ一言も会話していない……?)ここのあやふやさを拾ってくれたのは良かったです。……まあ、オチまで見ても、特にクッキリとはしないのですが。
 「ここはなんとか、ワシの顔に免じて手打ちにしてくれんか」と杯を取り持とうとするコウだったが、そこに人々の悲鳴が響き渡り、カナロを置いて駆けつけた5人が見たのは、素体を真っ二つにしたにも関わらず、消滅していなかった石マイナソー。戦いを挑む5人だがやはり変身が解除されてしまい、更には2体目の石マイナソーが姿を見せる!
 石を半分に切っても“石という存在”の死には至らず、むしろ分裂、という大ピンチにリュウソウジャーは再び撤退を余儀なくされ、Youtuber家で険悪な雰囲気に。
 ここで話の緩急という事でか、ういチャンネルを手伝って流しそうめんに協力するのですが、トワの「こんな事している場合?」が本当に、こんな事している場合?過ぎて、前回今回とどうも、中澤監督のギャグ演出が外れ気味。
 「カナロ…………ごめん」
 「……おまえがやったわけじゃない」
 「……俺の仲間がやった。だから俺がやったのと同じだ。それに、仲間が守ろうとしていたものを守れなかった。本当にごめん」
 一方、コウは逆ソウルで願い石を元に戻そうとしていたが果たせず、カナロに謝罪。それに対して、コウには恨み言をぶつけないカナロの男ぶりが上がると共に、カナロに示した責任意識により「仲間」観が描かれたコウの好感度も上がって良かったです。
 コウは改めてカナロに「一緒にドルイドンどもをバラそうや」と呼びかけ……私としてはてっきり、15-16話でカナロとはばっちり共闘態勢が組み上がったとばかり思い込んでいたのですが、作り手の中ではカナロはあくまで「婚活第一で、マイナソー退治は二の次」という扱いだった模様。
 その為、5-8話では劇的な集約のないまま5人の絆を強引にある事にしてしまった今作が、15-16話でこれ以上なく劇的に陸と海の手打ちを描いたにも拘わらず、別のアプローチでそれを繰り返す、という大変締まりの悪い構成に。
 15-16話で、「海のリュウソウ族の未来の為に婚活も大事だけど、再び陸のリュウソウ族と向き合って行く事もまた、未来への道である」というテーゼ(別に「婚活」を否定するわけでもない)を引き出したのに、どうしてこうなったのか。
 もしかしたら、15-16話は荒川さんが先走って書きすぎてしまったのかもしれませんが、それを通したのはプロデューサーなわけで、今作のシリーズ構成にますます疑問が募ります。
 俺の婚活の為だからな、と言い訳しながらカナロはコウに同行し、石マイナソーに立ち向かう6人のリュウソウジャーだが、またも変身解除。他者の“願い”を力にするマイナソーに、「マイナソーを倒したい」という無意識の願いを吸収されている、と種明かしされた所で石マイナソーが巨大化。更にクレオンが、一般市民の“願い”を集める為に街にトランプ兵をばらまき、それを阻止しようとするリュウソウジャーが、赤金・青緑・桃黒、というコンビに分かれての生身バトルは、迫力もあり見せ場として良かったです。
 ワイズルーの思惑に気付いたバンバは、願い石を更に細かく砕こうとするワイズルーをアスナと共に防ぎ、激しい戦いの中で、リュウソウジャーは一つの気付きに至る。
 『オネガイーーーー!』
 「……願いか。…………やっとわかった。願ってたら、倒せるわけがない」
 「そうか! 簡単な事だったんだ」
 「だね! だったら、願わなければいい!」
 「私たちの想いは、願いなんかじゃない!」
 「人々を守るという、強い意志!」
 「それがリュウソウジャーの使命――俺達の騎士道!!」
 「俺は救う。全ての愛する人を!」


「「「「「「リュウソウチェンジ!!」」」」」」

 自分たちの使命は、叶えたい願いなどではなく、掴み取る結果だ、という地点に5+1が辿り着くというのは綺麗にまとめ、リュウソウジャーにしては劇的な変身と(三分割)揃い踏みに。
 ……まあ「それが騎士道」というのは凄く強引な接続でしたが、いつまでも宙ぶらりんのままよりは幾分マシ……か?
 劇的な盛り上がりを作った事は良かった一方、年齢・経験・使命へのスタンス、がコウ達とは違うバンバが一緒くたにまとめられてしまってキャラの特徴が生きないのですが、これはエピソードが悪いというよりも、バンバの設定と話の流れの都合が最初から噛み合っていないという、設計時点からの問題ではあります。

「「「「「「正義に仕える気高き魂!   
   騎士竜戦隊・リュウソウジャー!!」」」」」」


 新フレーズから、赤と金はロボットに乗り込み、残りメンバーがトランプ兵と戦っている間に、石マイナソーと激突。
 「カナロ! 力を合わせるぞ! 一緒に倒すんだ!」
 「…………ふっ。おまえが俺に合わせな!」
 二人の距離感は120%行方不明になっていますが、当初、どういう構想で、ここに至る予定であったのか。
 話の構造上はゴールド真の仲間入りのように描きつつ、緑黒とは互いの視認に望遠鏡が必要そうな距離感だったり、合体するのは赤とだけだったり、歯車のズレ具合がもはや標準仕様ですが、とにもかくにもメラメラ騎士竜王と海騎士竜王がソウルを一つに合体し、ギガントキシリュウオーが誕生。
 一つに合体した巨石マイナソーを相手に連続回し蹴りから連続パンチを叩き込み、最後は電撃灼熱ハンドで撃破するのであった。
 総合的にはそこまで酷くはない出来だったのですが、前半は「例え無機物でもそれにまつわる人の想いがあって、それを蔑ろにしていいのか?」というテーゼがメインだったのに、中盤から「戦士として一皮剥けるリュウソウジャー」「カナロとの共闘」に話の軸が大きくズレてしまい、前半のテーゼを断崖絶壁から投げ捨てたまま別のテーゼに着地。
 クライマックスでギガントキシリュウオーが象徴していたのは「リュウソウジャーの強い意志」であり、それが「人々の“願い”を仮託された願い石の不死性」を上回ると共に、「バンバの示す合理性や効率性」を超えた“違う道”を見出すと解釈できるのですが、肝心のバンバの「人の想い」への意識の変化があるのかないのか、その要素が途中から完全に消滅してしまう為、前半で提示した差異が全く活かされないまま気がつくと一緒くたにされてしまうバンバの存在が断線してテーゼが分断されて繋がらず、クライマックスの説得力が「より強い力でぶん殴る」以上のものに跳ねなかったのは至極残念。
 これが綺麗に繋がると、「コウ達の意志」から「バンバにもたらされる変化」を通して「“違う道”を選び取る強さ」とは何か、というその中身がエピソードと噛み合って、「より強い力(ギガントキシリュウオー)」が映像以上の説得力と意味を持つに至るのですが。
 ……まあそもそも、「リュウソウジャーの強い意志」を象徴させるならどうして赤金だけ合体なのか、というのはあり、根本的にエピソードの仕掛けとギミックの要請がズレている気がするのは、「やりたい事」と「やらなければいけない事」が衝突する毎度ながらの『リュウソウジャー』仕様ではありますが。
 あと、どうにもこうにもバンバ兄さんは、話の都合でドライでクール風だが、話の都合でなぁなぁで馴れ合って、話の都合で崩しにくく下げにくい、という厄介なポジションになっていて、容姿含めて醸し出す雰囲気と台詞回しは好きなだけに、辛い。
 バンバ兄さんが下げにくいキャラの為に結局、コウにしたってカナロにしか謝らず、マイナソーの増殖問題を除けば、カナロを除くリュウソウジャーの誰も、「石を両断した」事は問題にせず流しそうめんしているわけで、突き詰めると、リュウソウ族にとって「人間」とは何か?というのは考えさせられる所です。
 リュウソウ族の言う所の「人々を守る」とは、高等種族としての庇護意識なのか、はたまた、戦闘生物としてのプログラムなのか……。少なくともここまで見る限り、「同じ地球に生きる仲間」みたいな認識ではなさそうなのですが。