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返せ 返せ 緑を青空を返せ

突然、『ゴジラvsヘドラ』(1971)感想(ネタバレあり)

 昭和40年代の<ゴジラ>シリーズというと、年末公開の正月映画だろうかと思って調べたら、7月公開の夏休み映画でしたが、怪獣娯楽活劇を期待して?(前作は、ミニラ登場作品)劇場に行ったら、冒頭から陰惨な汚れちまった海!の映像を延々と見せられる事になった当時の観客の気持ちに思いを馳せずにはいられません。
 ムーディなブルース調で始まったと思ったら、歌詞の内容とは裏腹に妙に明るいテンポに変わる主題歌は、同時期・同テーマのTV特撮『正義のシンボル コンドールマン』(1973)を思い出さずにはいられないところ。
 「水銀・コバルト・カドミウム 鉛・硫酸・オキシダント……」
 と一点を見つめたままの無表情で高らかに歌い上げられるのが、凄く怖いですが!
 一方、劇中TVニュース映像に映し出される、海を割りタンカーを座礁させる巨大な影や、少年が目撃する、海面に浮上する巨大な顔と赤い瞳など、海中に、巨大な“何か”が潜み、その姿を垣間見せるシーンは、迫力満点。
 全体的に海洋ホラーの雰囲気が漂っているのは、初代『ゴジラ』及び、そのネタ元といわれる「霧笛」(レイ・ブラッドベリ)――更に遡るとラヴクラフトやポーへ繋がるか――を踏まえた意図的なものかと思われますが(前後の作品は見ていないので、このテイストがどの程度まで今作の独自性なのかはわかりません)、途中、地下クラブで飲んだくれていた青年が酩酊の末、周囲で踊り狂う人々に魚人の幻影を見るというのは、なにやら宇宙的恐怖への意識も窺えるところであり。
 劇中で少年がゴジラのソフビ人形で遊んでいるなど、ゴジラが「子供達のヒーロー」として受容されていた時代かと思われますが、深夜、霧に紛れて上陸したヘドラが工場の排煙を吸い込んでじわじわと巨大化していると、響き渡る「あんぎゃーお」という咆哮。暗闇を青白い放射能火炎が切り裂き、瞳を赤く光らせたヘドラが振り返って闇の中を凝視しながら警戒していると、のっしのっしとゴジラが姿を現す、という両者初顔合わせのシーンは、大変ヒロイックな登場。
 今作におけるゴジラは生物というよりも、地球の自浄作用そのものといった意を含んだ大自然の荒ぶる神格化であり、メインキャラの少年を一種の神がかりとして現世に顕現するのですが、巨大怪獣vs巨大怪獣の狭間にある人間の立ち位置や、ゴジラと少年(少女)の交信要素など、我が偏愛する『vsビオランテ』は今作の延長線上の作品である事を意識していたのかな、と今更ながら。
 この辺り、少年とゴジラの関係性が前後のシリーズ作品でどう描かれていたのかはわかりませんが、人間と怪獣(今作においては、かなり明確に神格)の間を中間的存在である少年が媒介している、というのは興味深い部分です。
 というかそう見ると、少年の存在や、割と唐突なゴジラの出入りがすんなり飲み込めるというか。
 もう少し後代になると、この物語そのものが、少年が大人になる為の「イニシエーション」として描かれたのだろうか、とも思えるところです。
 その一方で、ヘドラに対してそれなりの学術的検証を経て正体に迫っていく要素が入っているのが物語のアクセントになっているのですが、実質的主人公に近い学者先生(少年の父)が、物凄く無造作にサンプルを素手で掴むのは気になります(笑)
 ヘドラゴジラの戦闘跡を家族総出で調査して試料を集めるなど、当時的なディテールと飲み込むべきか当時でも雑なシーンと見るべきか悩むところですが、「在野の科学者が怪獣に迫る」的な物語構造を軸に据えている一方、「怪獣災害への公的な認識の拡大」もまた明確に描かれているという歯車のズレは物語の最初から最後まで噛み合わず、「死傷者数百名に及ぶ怪獣災害の現場検証を子供連れの家族単位で行い、自宅の書斎でひとり怪獣の正体を研究している学者が、自衛隊に大規模な対応策を伝えて実行に移させる」流れはあまりにも色々と省略しすぎて、今日的な視線ではだいぶ困惑する今作の短所。
 クライマックスバトルでは、ヘドラの酸攻撃によりゴジラの顔がただれ片目が潰れるというのはなかなかのインパクトで、対するゴジラが渾身の貫手でヘドラの片目を潰し、隻眼の怪獣同士が衝突する、というのも類例を思いつかない迫力。ただ、自衛隊の作戦が成功するかどうかのスペクタクルは引っ張りすぎた感があり、少々だれてしまいました……ところでラストに衝撃の解体シーンが待ち受けているのですが、そこにそれを重ねるのか、という演出が色々な意味で凄く、なんとなく映画としての満足感をもたらされてしまう一幕。
 かの有名な?ゴジラの飛行シーンは、勇壮なマーチに彩られて割と見せ場として用意されており、知った上で見ると、案外すっきり、ああそういう狙いだったのかと受け止める事が出来ました(笑)
 ところで今作、割と無駄に(?)人死にが強調される映画なのですが、ヘドラに松明攻撃を敢行していた青年(少年の叔父?)はヘドロ弾の直撃を浴びていたので死亡したと思われるも、少年にも恋人にも一切顧みられないまま終わりを迎えて、けっこう酷い。あと、最後がなっているだけだった自衛隊の指揮官に「馬鹿め!」扱いされた上で決死の酸素弾投下から撃墜されてしまう自衛隊ヘリの扱いも切ない。
 普遍性というよりは時事性の強い映画で、深刻化する公害問題から生まれた怪獣という災厄を描く中に、差し挟まれる若者文化の意味がもうひとつ把握できないなどありましたが(富士の裾野でキャンプファイヤー、を物陰からじっと見つめる6人の古老、もなにがしかの象徴的意味があったと思われるのですが……)、「神霊」としてのゴジラの描かれ方など、ところどころ興味深く、一度は見ておきたかった作品だったので、満足。