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遅まきながら『リュウソウジャー』(駆け足)

『騎士竜戦隊リュウソウジャー』感想・第7話

◆第7話「ケペウス星の王女」◆ (監督:坂本浩一 脚本:山岡潤平
 見所は、ケボーンダンスからタキシード姿でバック宙を決めるに留まらず着地でヒーローポーズを入れた上に即座に回転からの気取った仕草で“ノエルっぽさ”まで加えてみせる元木聖也さんの身体能力とサービス精神の凄さ(本編ではない)
 色々と言いたい事はあるのですが、とりあえず、
 「子供は歌が好きだ。興味を引かれたものの方へ、子供は吸い寄せられる」
 という台詞は必要だったのか。
 あくまで断片的な情報しか持っていない“メルトの認識”なので、実際には歌に何やら神秘の力があってズル魔術師の洗脳を解く効果があったのかもしれませんが、そもそもこの台詞が無ければ視聴者にそういった想像の余地を自然に与えますし、そこから目を逸らす為の意図的なミスディレクションだった場合、ズル魔術師の存在を知らないことを勘案しても、メルトは、子供達が蹴りかかったり組み付いてくるのを異常事ではなく興味の程度問題だと認識しているポンコツという事になってしまうわけで、そこまでしてミスディレクションする価値があるとは思えず、この台詞は本当に必要だったのか。
 前回タンク様を打ち上げ花火にして葬り去り、ひとまず状況が落ち着いたという事で日常シーンが入ったのは良かったのですが……
 突然始まる生体磁場の講義
 突然片言で喋りだすティラミーゴ
 突然明かされる209歳宣言
 の突然三連発で、少しずつキャラに愛嬌と取っかかりを与えていくどころか、二段飛ばしで振り落としにかかる、相変わらずのリュウソウジャー仕様。
 特に「209歳宣言」は、マスターズとの対比も含めてリュウソウジャーの諸々の行動における言い訳になっていた“若さ”の要素を、作品自ら根こそぎ叩き壊してしまったわけですが、「世間知らず」と「諸々の判断が大雑把」「行動の抑制が効かない」は別の要素なので、誕生したのは森で純粋培養されたヤバい奴(ら)という事に。
 リュウソウ族と現生人類は違う生物種である事をわかりやすく示したかったのかもですが、3塁ベンチ側へすっぽ抜けてしまったような気がしてなりません。
 一方、共同生活を拒否して2人で訓練に勤しんでいたトワとバンバは、ドルイドン兵に追われていた女性を助け、やたらヒラヒラしたミニスカ衣装だなぁと思ったら、そうか、そうですか、今回は坂本浩一監督ですか……(遠い目)。
 事前のお祭り番組『スーパー戦隊最強バトル!!』を担当していた坂本監督が本編に参加し、太股! 太股! アイドルの太股!!と剥き出しの煩悩が画面を飛び交い、スピード感が長所の一方、撮りたいところを撮るの優先で細かい繋ぎをすっ飛ばす傾向のある坂本演出と、盛り込んだ要素が四方八方に散らかってまとまらず、なによりキャラクターの強度が弱い今作とが、絶望的な相性の悪さ。
 ある程度のキャラクター強度があったり、物語の背骨がしっかり通っていれば、多少の煩悩や飛び道具や大胆な省略も物語の中に取り込んでしまえるのですが、それを補っていかないといけない現状の今作で、それがあるのを前提の作劇をしてしまった為、要所要所の過剰な見せ方が全て異物になり、物語全体がものすっごい迷子に。
 例えば電光超人ズル魔術師とか、個体としてインパクトを出そうとする意図はわかるのですが、肝心のキノコとの絡みが無い為に劇中における位置づけがさっぱりわからず、前回までと全く違うノリが派手に上滑り。そこはまず、キノコとの関係性を描いた上で、タンク様とは全く毛色の違う上司が出てきた! と見せてこそキャラクターとして掴む事が出来ると思うのですが、足場作りの部分を華麗にすっ飛ばすのが実に『リュウソウジャー』仕様。
 もしかしたらまだキノコと出会っていないのかもしれませんが、それならそれで、タンク様を失ったキノコの現状を描いておかないと物語が繋がっていかないわけで、四方八方手抜かりだらけです。
 あくまでコウ達と距離を置こうとするバンバ兄さんの、
 「裏切られる前に、信じない事だ」
 という言葉は、コウが209歳ならバンバは400ぐらいなのかも……と年月の重みを感じさせておきながら、アイドル王女を持て余したのか、(トワの言葉があっただろうとはいえ)そのままYoutuber家に連れて行ってしまうとか、目も当てられません(連鎖的に、コウの209歳宣言の意味も軽くなる)。
 コウはコウで、遊園地でマイナソーと接触 → 気絶した人々が目を覚まさないので「早くマイナソーを捜さないと!」と外へ(ここまではまだわかる) → ズル魔術師と遭遇して子供を盾にされ「なんだこいつ……ヤバい」と家まで逃走 → 物凄く軽い調子で「その歌……さっき遊園地で聞いた」
 と、状況に対する切迫感皆無。
 坂本監督の行きすぎたフェチズムには少々引くところはあるものの、過去作で好きな演出・エピソードも色々ありますし、腕はある人だと思っているのですが、幾ら作風や脚本と相性が悪い感じにしても、今回のコウに関してどういう演技指導をしたのかは全体的に首をひねります。
 1-6話を見る限り、コウの役者さんはそんなに出来ない人とも思えないのに、遊園地での再戦において子供達に動きを封じられた際の「駄目だこれじゃたたかえなーーい」も、やたら間延びして間が抜けた感じになっていましたし、演出サイドも、自称209歳の無邪気さをどう描くかに困惑したのでは、これ。
 巨大戦でのフォートレスモード(組み替え変形)は好みのネタだったのですが、いざ変形したら逃げ回った挙げ句に(防御力重視の形態なのかもですが)、
 「どうするの?! このままじゃ何もできない!」
 「……あ! 見ろ!」
 と、知恵袋としてフォートレス形態を進言した青が完全に偶然&人任せで、どうしてそうなった。
 「おまえらを助ける為じゃない。あの姉妹を助ける為に、竜装合体だ」
 援護に入ってファイブナイツに合体した黒は、もはや前回の共闘は忘れ去っているのでしょうか……仮に400年ぐらい生きているすると、定期的に「忘れソウル」でも使って記憶を消さないと、脳と精神が耐えられないので常用しているのかもですが…………は?! もしかしてこの200年間、コウ(達)も長老により、定期的に記憶と精神をクリーンナップされ(それ以上いけない)
 前回は弟の恨みにより一時的に共闘、というのは通らないでもないですが、今回も冒頭で散々、他者への猜疑心を強調したのに、王女が妹を探していると知った途端「家族、大事」と急激に軟化し、バンバのウィークポイントとしてはわかりますが、思考A(他人は信じられない)と思考B(ブラコン)の間の葛藤が一切描かれないので、単に話の都合で動いているだけに。
 そして今回のトドメは、ファイブナイツになるも巨大マイナソーに逃げられてしまい、どうしたものかと思ったら、シーン切り替わったら5人揃ってにこやかに姉妹の再会を見守っていたところ。
 ……え? あのー……マイナソーが完全体になると、素体の人が死んだ上に「破壊の限りを尽くし、大勢の人間が犠牲になる」のではありませんでしたっけ……一体全体、何をどうして、5人揃ってそんなに余裕なのか。
 とにかく、シーンが切り替わる度に、キャラクターが過去の記憶を捨ててほぼ別人になるという最悪な作劇が連発した上に、ラストシーンで、3-6話で中心にしていた要素もくしゃっと丸めて溶鉱炉にポイ捨てするという大惨事。
 これまでのリュウソウジャーの行動原理からいえば、一番心配しないといけないのは素体歌手の筈なのですが一切言及がなく、如何にも雑に扱われそうな風貌のゲストに親身な姿を見せる事でヒーロー性を引き上げるどころか、実際に雑に扱うという地獄絵図。
 う、うーん……さすがに、新展開一回目でここまでの不出来になるとは、予想外。