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諸般の事情で続けて『チェンジマン』

電撃戦隊チェンジマン』感想・第25話

◆第25話「歌え! 大きな声で」◆ (監督:長石多可男 脚本:曽田博久)
 その日、電撃基地では隊員の親睦を深める為のカラオケパーティーが行われており、麻衣の熱唱シーンからスタート。
 「チェンジマンで歌ってないのはおまえだけだぞ。さあ歌った歌った。さあ!」
 カラオケをやり過ごそうとテーブルの下に隠れていた勇馬は伊吹長官に引きずり出され、嫌々マイクを握らされると壮絶な音痴を披露し、顔が必死なのでギャグになっておらず、だいぶ可哀想な光景に。
 勇馬の音痴ぶりに戦士団が大笑いする一方、最初は煽っていたチェンジマン4名は、飛竜が身をのけぞらせたり、さやかが思わず「耐えるのよ」と口走ったりはしつつも、決して勇馬を笑う事なく見守るモードで描かれたのは、戦友としての関係性が見えると同時に、他人を軽々しく笑い物にしない姿が、ヒーローの節度として一線が意識された感じで良かったです。
 「なに言ってんだ! 良かったぞ!」
 半泣きで歌い終えた勇馬が爆笑の渦の中をしょぼくれて戻ってくるとその肩を叩く伊吹長官も、最初は大変嫌なノリの上司でしたが、やらせたのは俺であり、おまえはよくやった、という対応が、良くも悪くも実に昭和の親分気質。
 まあこういう無礼講では、階級上位の人間がちょっと笑いの種になるぐらいが兵卒のまとまりが良くなるものなので、その後の拍手の強制を含め、団結を高めるという目的通りに事が運んでしてやったりなのかもしれませんが…………もしかしてこれ、さやかと麻衣から勇馬は音痴であるという情報を入手した上で、何もかも長官の仕込み通りなのでは。(※と考えると、さやかの「耐えるのよ」という言葉の意味が大きく変わってきて、えぐい、電撃戦隊の頭脳担当班、え・ぐ・い)。
 大恥をかいたと公園で黄昏れていた勇馬は、他人の歌声と自分の歌声をシンクロさせる事で、強力な破壊音波を発生させる宇宙獣士、オペレッタ星のゾノスと遭遇。
 ブーバと一緒に前線に出てきたゲーターは何をするのかと思ったら、破壊音波の素として唄う役でした(笑)
 「まーた音楽責めか! ますます歌が嫌いになったぜ!」
 チェンジマンと一当たりして撤収したオペラ獣士は、公演で唄う子供達や、音楽番組の収録に会わせて各地で歌唱テロを行い、破壊行為と歌そのものを恐れさせる、物理と心理の両面から人間社会を恐怖に陥れる、というのが良く出来た作戦。
 ナレーション「人々は、超音波破壊を恐れて、歌を唄わなくなり、TVから、歌番組が消えた」
 ところが、ゴーストタウンのように静まりかえった街をパトロールしていた勇馬は、超音痴の少年が元気に唄い歩いている姿を目撃。ゾノスの姿を見て咄嗟に少年の口を塞いで隠れるが、あまりにも酷い歌はゾノスの聴覚にむしろダメージを与える事が判明する。
 (あの子は自分が音痴とは知らなかったんだ。だからあんなに楽しそうに歌っていた。……それなのに、こんなに傷付けてしまって)
 勇馬、そしてゾノスから立て続けに「音痴」と言われてショックを受けた少年が、本気で歌手を目指していた事を知った勇馬は、心ない言葉をかけてしまった事を反省し、少年を励まそうと調子っぱずれの大声で音痴のテーマを熱唱。
 「俺も音痴なんだ。今までずっと自分が音痴だって事が恥ずかしかった。でもね、君と会って、君みたいに腹の底から歌えたらいいなーと思ったんだよ」
 「ほんと?」
 「ああ。君は俺に歌の心を教えてくれた。歌は腹の底から思い切り唄えばいいってね。音痴を恥ずかしいと思っていた自分の方こそ恥ずかしいよ。ありがとう」
 勇馬と少年は固い握手をかわすがブーバと獣士が迫り、二人はダブル音痴攻撃。そこに4人が駆けつけ、チェンジペガサス。
 「宇宙獣士ゾノス! チェンジペガサスの歌で地球を守ってみせるぜ!」
 「ほざくな音痴!」
 「電撃戦隊!」
 「「「「「チェンジマン!!」」」」」
 の流れで主題歌バトルにボーカル入ったら何やら複雑な気持ちになるところでしたが、使用されたのはインスト……と思ったから、そこから滅茶苦茶なリズムで主題歌を唄い始めるペガサス(笑)
 チェンジペガサスの逆音波攻撃に藻掻き苦しむオペラ獣士に容赦なくパワーバズーカを叩き込み、ここまで屈指の酷い死に様(笑)
 そして視聴者の耳に平穏をもたらす為か、チェンジロボのテーマ曲にはボーカル入ってホッと一息。
 急げ合体! アースコンバージョン!
 ……がそれはトラップであり、ペガサスはロボのコックピットでも声を張り上げ、調子っぱずれのチェンジロボのテーマを歌い上げ、苦しむ獣士をサンダーボルトで一刀両断し、ホント酷い……(笑)
 かくして恐怖の音波テロ作戦は、歌を愛する心の前に敗れ、勇馬と少年は大合唱。
 「なんて気持ちよさそうに歌ってるんでしょう」
 「お腹の底から歌えば、楽しいものなんだな」
 歌を唄うってなんだろう、という本質を問いかけ、子供の頃に音楽の授業があまり得意でなかった身としてはなんだか身につまされるエピソードでありましたが、己の分をわきまえていく、という事も大事ではあるが、今はまだ、夢を見る事、楽しむ事、それが一番、というのは好きな落としどころです。
 そしていつか壁にぶつかりどうしようもなくなる事があった時、そっと手を差し伸べてくれる存在が、積み重ねられてきたチェンジマンというヒーロー像であるといえます。
 ラストは、ゲストの少年少女合唱団も加わってなんかカオスな事になりつつ、花や自然の風景を挟み込んで、歌とはどこから生まれたのか、人が自然に歌を口ずさむ時、それそのものが地球の自然を讃える強さなのだ、と映像的に綺麗にまとめて、つづく。
 「歌えペガサス! この青空に!」
 ギルーク二刀流回に続き、勇馬が子供ゲストに寄り添い、他の4人が「お兄さん・お姉さん」であるのと比べ、子供と精神年齢が近く距離感も近めというポジションを確立。一緒に肩を組んで少年と唄うところに、飛竜とはまた違う、“勇馬らしさ”が出てきたように思えます。総じてチェンジマンが、音痴である事そのものを笑いの対象にはしない、というのは良かった点。勇馬が歌をポジティブに捉え直す、というのもキャラクターの「変化」として劇的かつ題材として明るくなり、後味の良いエピソードでした。
 次回――これはきっと、藤井先生が本気出す。