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ヤマト族のプリンス!

 『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のブライ登場回をちらっと視聴。約5年後、という事で、和泉さんの風貌はあまり変わっておらず。

電撃戦隊チェンジマン』感想・第49話

◆第49話「哀しきシーマ獣士」◆ (監督:山田稔 脚本:曽田博久)
 ブーバが駄目なら次はシーマだ、とスーパーパワーを放つギルークにより、シーマがメデューサ系の宇宙獣士ズーネへと変えられてしまう。その異形の姿に「シーマ……」と呟くアハメス様の視線にはどこか憐憫が見えるのですが、三銃士が倒された際もそれぞれ怒りを見せていたように、部下に手厚いのはポーズではなく、かつて国を治めていた女王の女王たる所以であるのかも。
 地球に降り立ったズーネはその力により小石をダイヤモンドへと変え、我先にとそれを争い集める人々――更にそのダイヤは、ズーネの放つ念動により、小型の爆弾にもなるのだ!
 この二段構えの恐るべき作戦に地球各地にパニックが広がる中、ズーネ=シーマと気付いた飛竜は、あくまでもシーマを救いたいと説得にこだわり、端から見ると禁断の恋の炎が燃えたぎっています。
 「今のシーマは、自分の星を帰してもらいたくて戦ってるんだ。そして遂には宇宙獣士にまでされてしまったんだ! シーマがどんな思いで宇宙獣士にされたかと思うと……俺にはズーネを殺す事など、絶対にできない」
 その真意は、鏡写しの互いの立場にあり、“今日のシーマは、明日のチェンジマンかもしれない”という事に劇中で徹底してリアリティを持たせてきたのが今作の凄み。
 地球に残っていたワラジーの笛の音がズーネの心に穏やかさを取り戻させ、伊吹長官はその光景を基地で凝視。Sギルークの介入により飛竜とズーネが何処ともしれぬ海岸に吹き飛ばされる中、司令はワラジーとゾーリーの母子を電撃基地へと招き入れる。
 「ズーネは、この曲に、心を奪われていたみたいなんです。……様子が変だったわ」
 「それは宇宙で歌い継がれている、故郷の星を思う歌なのだ。星王バズーが侵略を始めた為に、多くの宇宙人たちが生まれ故郷の星を追われた。そうした故郷を失った宇宙人たちの間で、いつの頃からか広まったんだよ。……きっとズーネにされたシーマも、故郷を想う気持ちが甦ったのだろう」
 ※独自の研究です。
 相変わらず謎だらけの伊吹長官の《知識:宇宙伝説》スキルですが、この“望郷の歌”に耳を澄ませている間、戦士団の呼びかけに気付かないなど、ややいつもと違った調子で描かれ、何やら長官の背景にも繋がってくるのか来ないのか。
 チェンジマンはクルーザーに乗せたワラジーに笛を吹かせながら飛竜とズーネを探し回り、飛竜を襲っていたズーネは、この笛の音により、再び心の底に強く残った望郷の念を揺り動かされる。
 (アマンガ星……私のふるさと。……帰りたい。……アマンガ星に帰りたい)
 ……これはこれで、某家畜化光線と同系統な気がしてきました。
 「私は、シーマ……アマンガ星の王女、シーマ……」
 Sギルークの介入により青と黒が派手に吹き飛び(未だに、隕石召喚の時に「スペース・なんとかー!!」と叫んでいる「なんとかー!」部分が聞き取れなくて困っています)、スーパーパワー×ワラジーの笛の音×飛竜の《説得》(出目は微妙)×シーマの想い、が激しく衝突した末、シーマは自我を取り戻して獣士から分裂。
 「スーパーギルーク! おまえの邪悪な力も、故郷を想うシーマの心には勝てなかったんだ!」
 人の心が、他者の尊厳を奪い道具に変える悪の力に打ち勝つ姿が描かれているのですが、同時にその人の心を持つ者が、人の心ゆえに他者を虐げる側に回っている、という構造が大変えげつなく、それは“地球を守る為”という理由で、チェンジマンも一線を踏み越えて向こう側へ行ってしまうかもしれないという危険性の暗示に繋がっている――すなわち、二重の意味で、“今日のシーマは、明日のチェンジマンかもしれない”というのが実によく練られた構造。
 こういった「善悪の逆転性」は、初期《ウルトラ》シリーズにおいて印象深いテーマ性といえますが、それをあくまで《戦隊》の型を守りながら展開する中で、チェンジマンと宇宙獣士の同一性が炙り出され、怪物であるもう一つの自分を退治する、という鬼としてのヒーロー像に至る、というのは《仮面ライダー》シリーズを想起させて、東映的。
 そう見ると、ブーバ、シーマを通して描かれた宇宙獣士化が文字通りに「獣になる」というのも意味深で、「軍人である」事に象徴されるように、強く社会に所属する人間英雄であるチェンジマンが、半人半獣のかつての英雄を怪物として打ち倒す事で(異形の魔人と化したギルークは元々、ゴズマへの反抗者であり)、宇宙を再生産するエネルギーが解放されていく、という神話的構造も見て取る事ができます。
 飛竜がシーマを救おうとするのは、かつてのタロウとの交友も踏まえた上で、無意識にこの同一性を感じている部分があるからなのかと思われますが(それはまた、これまで数多の宇宙獣士を葬り去ってきた潜在的罪の意識でもある)、果たして今作がどんな着地点に至るのか、大変楽しみ。
 「私はアマンガ星の王女シーマ。チェンジマンはこの手で必ず倒してみせるわ! そして、いつの日か必ず、我が星に帰ってみせる!」
 バトルに突入すると、目を覚ましたシーマは、シーマとして退勤。
 終局へ向けたヨセに入っているここ数話、ここまでの布石を掘り下げて的確に局面が固められている一方、まだ最終局面に持ち込めない都合により、「色々あったけどアハメス一味に戻りました」というオチが続いているのは、少し物足りなく感じてしまう点。
 遊撃部隊として独自の活動を行うSギルークの介入、という形を取る事により、Sギルークの存在感を出しつつ、遠征軍に復帰する事の支障を取り除いている構造そのものは、巧いのですが。
 シーマという核を失い、周囲のヒドラ兵を取り込んで誕生した二代目ズーネは恒例のゴム鞠爆弾を放ち、チェンジマンは連続パワーシュートでの反撃から、パワーバズーカでフィニッシュ。ド派手に地中から登場したギョダーイがズーネを巨大化させ、地味に登場シーンに変化が加えられているギョダーイですが、序盤に比べて明らかに遠距離から巨大化するようになっているのはやはり、一度仕留められそうになったからか(笑)
 巨大ズーネの締め上げ攻撃に苦戦するチェンジロボだったが、フルパワーでそれを引きはがすと、風車斬りからサンダーボルトで一刀両断。死闘を乗り越えた5人は、ワラジーの笛の音を聞きながらしみじみと海を見つめ、大宇宙で今も続く哀しみに思いを馳せる。
 「宇宙には、バズーに星を奪われ、彷徨っている宇宙人が沢山居るんだよな」
 「シーマでさえも、故郷の星に帰りたいと願っている」
 「あ! そういえば俺、ダイヤを一つ失敬してきたんだよな~」
 そんなしんみりした空気を吹き飛ばす相変わらずがめつい勇馬だったが、ダイヤは元の小石に戻っていた、でオチ。一歩間違えると、チェンジマン全滅だったぞ、勇馬。
 ……ところで、シーマは獣士ウーバのミルクを飲んで育てられた事によりヒューマノイドの姿になっている、という設定は、忘れられていないか、ちょっぴり不安な今日この頃(笑) 序盤から伏線をかなり丁寧に広げ、そして拾っている今作だけに、覚えているとは思うのですが……。
 次回――最近、存在意義を失いつつあったジャンゲランにも迫るリストラの魔手!

5/23付けレス

 本日は読書の感想を書きました。

色々と闇

◆ハヤさん
 >特にコウがメルトの言葉を無視してしまったのがひどくて、メルトの仲間不信に明確な根拠を与えてしまっている。
 >後のマスターの言葉に繋げるなら、仲間不信がメルトの頭でっかちな考えに留まるよう加減すべきだったと思います。
コウとアスナなりにメルトを信頼しているが、メルトにはそれが伝わっていない(メルトの内心に課題がある)というならまだスムーズでしたが、むしろこれが続いたらメルトこじれるな、と納得する話になってしまいましたよね……。
 >マイナソーの素体を破壊するというのは陽性ヒーローとしてはダメですが、劇中の彼らにとっては常に選択肢として置いておくべきものだと思いますし
ここの温度差をうまく描いてくれれば、リュウソウジャーとは何か、という部分に奥行きが出そうなので、私も忘れないでほしい部分ですが……箱を破壊した兄さんがトワの耳を引っ張ってさっさと帰る、とかしてくれていたらまた違うんですけどねー。

◆myouさん
 >はじめまして、こちらのブログや特撮感想を3年ほど前から読ませていただいております。
はじめまして。ありがとうございます。
 >バンバとトワに殺人の前科があると思われないよう「今まで二人が始末してきた素体は物ですよ」と伝えるためだったのではないかと。
ああ成る程、言われてみるとバンバ、妙にあっさり「素体が物質である事」を受け入れていましたし、過去の経験の前振り、というのはありそうですね。
 >そして製作スタッフの間では「地球を守るために一人の命を奪うべきか」と言う問題は長々と問うべき事ではなく
コウ達の「地球を守りたい」というヒーロー的な意識が掘り下げられていないので、『リュウソウジャー』としてどうにも咀嚼されてないですよね……。
 >さらにマイナソーの設定は演出にも支障をきたしていて、マイナソーによって多数の犠牲者が出ている描写ができないと言う
 >本末転倒な事になっています。巨大戦に力を入れてる割に盛り上がらないのはこれも原因でしょうね。
巨大化してビル破壊はともかく、怪人サイズの時の面白みが全然無いですものね……デザインこそ違うものの結局「完全体の前座」という扱いも常に一緒なので、ロボで脅威を打ち破る感も弱くなっているという。
 >「命に大小は無い」「ういは友達だ」「最高の仲間を信じてた」と言った上っ面だけはよい言葉を繰り返す割に
 >命や友情の大切さを示すことができてないばかりか無神経な人物の描写を重ねてしまうことが原因だと思います。
そういった言葉の中身を詰める為に物語があるのに、そこが空っぽなので、全部上滑りしているし、それによって動くキャラクター達も生きてこないという完全な悪循環になってますよねー。

◆MOPさん
 >(ちなみに次のアスナ回ではメルトがすごく感じ悪くなりました)。
あああ……。
 >バンバが一人で街を流しているだけでけっこう笑えてしまいますね。
バンバはトワと並んで丁度よく中和されるのだな、と納得しました(笑) そういう、キャストの雰囲気なんかは良いだけに、色々勿体ないですよね。
 >マイナソーが人由来という設定は本当に今作のガンですよね。
今となってはもう、全方位に足を引っ張ってますよね……せめて、中盤からクレオン(マイナソー)の強化に紐付けて素体が動物や無機物から人間に変わる、とかだったらまだ何とかなったかもですが。
 >リュウソウジャーの戦い振りに不安はあるのですが、対するドルイドンもフワッとしてますからね。
今回、ズルとキノコが同席していたので会話があるかと期待したら全く無く、互いの関係性が今もって全く説明が無いというのは、ある意味、凄いですよね……。
 >209歳問題については、その内190年くらいは寝ていた説を採用したいです。
ああ、そういうのもありそうですね。素質のある若者を保存しておいて、戦士が足りなくなると覚醒させる……と考えると、リュウソウ族の闇が大変深いですが(笑)
 >ジュウオウの感想まとめは本当に楽しく読ませて頂いています。続きお待ちしてます。
ありがとうございます。文字数多くて延ばし延ばしになっていましたが、勢いをつけられればと思います。

◆ひらりぃ
 >メルトの知性やコンプレックスを引き出すためにコウとアスナが無駄におバカで人の話を聞かないキャラに見えてしまったのが残念ですが。
アスナはもう諦めるとして、コウがすっかり、話の都合で行動の指針が変わるキャラになっているのは辛いですね。
 >まだ既存メンバーの掘り下げすら不十分なのに持て余しそうな設定がたくさんついてる新キャラが大丈夫なのか不安しかないです。
現状が現状だけにカンフル剤になるのを期待したいところですが、弱った体がショック死しそうな不安もありますよね……。

◆タイキさん
 >そもそもドルイドンと戦うために備えてきたという設定の筈なのになぜかこういう根本の部分で乖離してしまってるのがダメですよね。
あくまで仮想敵は自然発生的なマイナソーだったので、ドルイドンは想定外だったという事なのかもですが、ちょっと無理がありますよねぇ……。
 >こんなことを言わせてること自体本作の戦いが悪い意味でゲーム感覚だと言ってるようなものですよね。
トワのバトルジャンキーぶりを強調したかったのでしょうが、あまり良い台詞ではなかったですよねー。そしてすっかり、アホの子になってしまったトワはその路線を突き進むのか……。
 >むしろ王道だからこそ中身をしっかり詰めていかないといけないのだなと思いました。
これは本当にまさしくで、土台と建物の間が、浮いているんですよね今作……。
 >プリキュアシリーズはこういうのを「浄化」という形で直接破壊しないように神経を払ってるのに
この辺りも、「いざとなれば殺しもやむを得ない」というハード設定が、実際の物語の中で有効活用されるどころか、衝突事故を起こしていて、設計図段階でのミスを感じてしまうところです。
 >ただこれを捻りなくやってしまうとそれこそ「ギンガマン」と完全に丸被りなので、何とか差別化をしないといけない、というのもあるのかなと。
上の「王道」の話と繋がってきますが、ではそこで「味付け」をどうするか、というのが作り手の腕の見せ所になりますが、どうも今作、創作料理が行きすぎた上に、よく見ると調理道具から間違えているみたいな事態になっているな、と……。
 >「ジュウオウジャー」はそこで「ジュウマンと人間の異文化交流(つながり)」に重きを置いて被るのを上手く避けたんだなあと思います。
何をどうすると『リュウソウジャー』になるのか、というのが今作凄く弱いのが立ち上がりのつまづきになってますよね……。

◆KindoNichiyoさん
 >リュウソウジャー5人はどれくらいこちらの人間社会のことを知っているんでしょうね。
あまりシビアにつつく部分でないとはいえ、エクスキューズないまま割と普通に順応しているので「隠れ里で育った宿命の戦士」という設定と衝突していて、根幹設定が物語の面白さに繋がってないんですよね……。
 >箱破壊はねえ…、やっぱり見ていて!?となりました。斬る前に一言詫びるとかあればまだマシだったのかもしれないですし、やり様があっただろうと思いますね。
それこそバンバも、コウ達に「感化」されているのだから、そういう部分を見せるチャンスでもありましたよね。
 >マイナソーに物理攻撃が効かないというタイプがありえるということになったので、今後宿主が人間で攻撃が効かないタイプが現れたらどうするんでしょう。
あれ、物凄い脅威なのに、凄く薄いリアクションで流しましたよね……(笑) どうにも今作、その時の話の都合で危険な設定を生やす、根幹設定を活用しないまま埋める、といったような、設定の使い方の下手さが目立ちますね。
 >最後に、アスナの焼肉食べ放題でメルトが「妙な肉を食うな!」と言ってたのが我が家では結構笑いのツボにきていました(笑)。
に、肉は、なんの肉か、わからないですからね……(不穏)

今年ここまでの最お薦め

<名探偵の証明>シリーズ(市川哲也)、読了

 「Calling。意味は使命。オレたちはなぜ事件と縁が切れないのか。それは使命だからだ。オレにしか、探偵にしか解けない事件がある。そんな事件を解決する使命を、オレたちは与えられているんだ」

◇『名探偵の証明』(市川哲也


 かつて、快刀乱麻の活躍で一世を風靡した伝説の名探偵・屋敷啓次郎。その全盛期から十数年が過ぎ去り……とある事情から表舞台を退き、今ではひっそりと暮らす老いた名探偵の元を、かつての相棒・武富竜人が訪れ、現役バリバリのアイドル名探偵・蜜柑花子との対決を持ちかける――。
◇『名探偵の証明-密室館殺人事件-』(〃)
名探偵の証明 密室館殺人事件

名探偵の証明 密室館殺人事件


 伝説の名探偵・屋敷啓次郎に心酔するミステリ作家・拝島登美恵によって監禁された男女8名。拝島は、自身の作品をモデルに建築したその館――密室館において、自ら考案したトリックにより実際の殺人を行うと宣言。解放の条件は、拝島の殺人トリックを、論理的に解明し、拝島を納得させる事。果たして、8人は生きて館を脱出する事は出来るのか……。
◇『名探偵の証明-蜜柑花子の栄光-』(〃)
名探偵の証明 蜜柑花子の栄光

名探偵の証明 蜜柑花子の栄光


 6日の内に指定した4つの未解決事件の真相を解き明かさなければ、人質を殺す――その要求に従い、日本各地を車で移動しながらの推理行脚を強いられる名探偵・蜜柑花子。迫るタイムリミット、積み重なる疲労、追い詰められていく花子は、全ての謎を解き明かして人質を救う事が出来るのか……?!
 社会的に“名探偵”という存在が認知され、その事が少なからず社会に影響を及ぼしている世界で、新旧の名探偵が交錯する第1作、密室×デスゲームを通して探偵と事件関係者という存在を掘り下げていく第2作、タイムリミットサスペンスの構造を取り入れながら、探偵をどこまでも追い詰めていく第3作……いずれも、実のところ一作一作がミステリ的に凄く面白い、という程では無かったのですが(相応に面白いですが)、三部作のシリーズ作品として大変見事な出来映えで、特に3作目のクライマックス、ある登場人物が立ち向かっていたものの正体が明かされるシーンが非情に素晴らしく、私と似た趣味嗜好の方には、手放しでお薦め。
 つまり今作は○○○○○なのですが、お薦めの肝であるそれを明かしてしまうと、あまりにも読み方にバイアスをかけてしまいそうなので明かせないのがもどかしいのですが、つまり○○○○○なんですよ!(という伏せ字から何となく伝わってしまう気がしないでもないですが)
 このところ、何故か立て続けにそういう作品にあたっていますが、劇中の名探偵・屋敷啓次郎が自伝小説『名探偵の証明』を出してベストセラーになっているなど、「ミステリ小説における名探偵」のメタファーが、実際に存在して認知されている社会、というIFに基づいた世界観になっており、後期クイーン的問題を正面から視野に入れ、登場人物を通して積極的に語る事で“物語”の要素として取り込んでいくメタ構造。
 この辺りは好き嫌いの出るところでしょうし、特に2作目は実在の作家や作品名からフィクションの名探偵の名前までが次々と登場し、鮎川哲也賞の宣伝を始めたのはさすがにやり過ぎだと苦笑いしましたが(シリーズ第1作は、第23回鮎川哲也賞受賞作)、最終盤の仕掛けが面白かったので、まあ良し。
 そしてとにかく、1-2作目を踏まえての3作目のクライマックスが素晴らしく、長編3作目のラストが素晴らしい!という勧め方は我ながらどうかと思うものの、非常にお薦め(2-3作目も文庫化されないものか)。
 “名探偵の使命”というのがシリーズ通して一つ大きなテーゼになっているのですが、それに対して○○○○○○が出てきて、○○○○○という、もう完全に○○○○○として素晴らしく、この男は何を言っているんだ、という感じですが、趣味嗜好に突き刺さる、満足度の高いシリーズでした。

◇『屋上の名探偵』(〃)


 最愛の姉の水着が盗まれた! 怒りに震える俺・中葉悠介は現場に残された証拠品から有力な容疑者に辿り着くが、その人物には完璧なアリバイが。困った俺は藁をも掴む思いで、抜群の推理力を持つと噂される転校生に会いに行くが、口数少なく、独り屋上で弁当をつつく彼女は、何故か推理を口にする事を拒むのであった……。
◇『放課後の名探偵』(〃)

 中葉の落とし物が思わぬトラブルを招き、ミステリ研究会の部長は理想のダイイング・メッセージを実現しようとし、蜜柑にはクラスメイトの悪意が向けられる……3年に進級した中葉と蜜柑の周囲で起きる、4つの事件の結末に見える景色は――。
 そして、蜜柑花子の高校時代を描く連作短編集が2冊。こちらは学園青春ミステリ×日常の謎×ラブコメ少々、と長編シリーズよりソフトな内容になっているのですが(シビアな部分もありますが)、この2冊目のラストがまた素晴らしいのです。
 探偵が最後に真相に辿り着いた理由が会心で、○○○○○として最高の着地。
 『放課後』は連作短編集としての出来もよく、なんなら、長編第1作→『屋上』→『放課後』のルートもありかと思うのですが、とにかく長編『名探偵の証明』を踏まえた上で、『放課後』のラストに辿り着いていただきたい、そんなお薦めのシリーズ。
 大変良かった。